俳優 前園サナは結婚したい
待ち合わせの駅前公園。
バレエだろうか、踊っている姿の女の子の銅像の前でわたしは5分前からずっとソワソワしている。
婚活アプリを初めて利用し、マッチングした人と初めて会うのだ。
今日はカフェでお茶だけのつもりだけれど、わたしは自分が騙されていないか不安でいっぱいだった。
マッチングしたとはいえ、良い人ではないかもしれない、だとか、万が一犯罪に巻き込まれたらどうしよう、だとか。
考え出したらキリがないから、お散歩しているわんちゃんたちのフリフリしている尻尾を見つめて時間を過ごす。
待ち合わせ時間まであと5分。
サングラスにマスクをしていたら、この姿でいると連絡済みとはいえ、さすがにお相手には気味悪がられるかしら。
けれど、わたしはそれなりに売れているモデル兼俳優なのだ。
SANAという芸名で15歳の時にモデルデビューをしてから、本名の前園サナに名前を変え21歳から俳優業もやらせてもらっている。
32歳の現在もモデルとして雑誌の表紙を飾り、俳優として今期のドラマの主役をやらせてもらっているのだ。
それなりに、というのも頷けると思う。
だからさすがに素顔を晒すのは、ね?
周囲を混乱させたらお相手にも悪いし。
そんな売れっ子のわたしがなぜ婚活アプリを利用しているのかというと、ただ単に、本当に縁に恵まれないのだ。
ずっと仲良しだったモデル仲間はみんなスポーツ選手やカメラマンと結婚してしまった。
一緒に映画に出演したことがきっかけで仲良くなった親友もお笑い芸人の彼と結婚した。
おめでたいことだから、わたしはもちろん祝福したけれど、この業界は結婚する時期も遅い気がしていたのにわたしの周りの友だちはみんな結婚して子どもに恵まれているのだ。
友人の中で独身はわたしだけになってしまったのだ!
別に独身だって構わない。
仕事は楽しいし本当に恋愛などしている余裕はなかった。
けれど、小さい頃、幼稚園のお誕生日会で発表した将来の夢。
『お嫁さん』
そう。わたしの夢は『お嫁さん』なのだ。
現在の夢として正しく言うのであれば、『わたしと気が合い一緒に家庭を築ける素敵なパートナーに出会い、結婚して子どもを授かり新しい家族を作りたい』ということなのだ。
とにかくわたしは結婚がしたいのだ!
けれども今から恋人を作るための恋の駆け引きをしていかなければならないと考えると、それもしんどい。
でも結婚のためだから!
こんなに売れっ子なのになぜ婚活アプリなのか?
出会いはたくさんある。
確かに出会いはたくさんあるのだ。
けれどなぜかわたしは連絡先を聞かれたり食事に誘われたりということがないのである。
なぜなのか!
そんなに嫌われるようなことしたのかな、と落ち込むこともあったけれど、わたしは仕事に生きることにした。
ってもしかしてそれがいけなかったのかな……
素敵と思ったらわたしから声をかけないといけなかったのかな。
相談をしたくても、みんな『サナさんにはどうせいい人がいるでしょう』と流されてしまう。
家庭のある友だちにも相談して、ホームパーティーに呼んでもらったりもしたけれど、恋人になるところまでは辿り着けなかった。
半年前に一緒に出演した映画の仕事のインタビューで「今は仕事が恋人ですね」なんて答えていたメディアに引っ張りだこな元アイドルのあの子も、そのインタビューの1ヶ月後におめでた婚をしていた。
ということは仕事が恋人なくらい頑張って仕事をしていても、結婚はできるはずなのよ!
わたしが上手くできないだけなんだ……。
そんなことを考えていたら、「サナさんですか」と声をかけられた。
いつの間にか尻尾フリフリのわんちゃんたちもいなくなっていた。
今日の服装やサングラスにマスク着用なのは事前に連絡してあったから、声をかけてきたのはマッチングした彼に違いない。
よかった、会う約束をしておきながら、からかわれて騙されているわけではなかった。
そこから信用しないでいたらダメとはわかっているけれど、自分の心を守るためにも予防線をはっておくのは悪くないと思うのよ。
声のしたほうを見ると、少し童顔の、いえ、丸顔の可愛らしい愛嬌のある顔に、長すぎず短すぎず、特にセットしたようには見えないナチュラルな髪型の男性が立っていた。
いけない、返事もせずにまじまじと相手を品定めするように見ては失礼だ。
「はい、サナです」
返事をしてぺこりとお辞儀をすると、彼もぺこりと頭を下げた。
「柊です。初めまして? でいいんですかね」
緊張した面持ちの彼がはにかんだ。
「メッセージのやりとりはしていたけど、お会いするのは初めてですしね。初めまして」
そう返すわたし。
柊さんはよかったと小声で呟いた。
わたしがサングラスにマスクだから表情が見えなくて困惑させてしまっているのかも。
場が和むように一応サングラスとマスクを外して笑顔を返す。
第一印象は大切だと言うし。
「今日はよろしくお願いします」
にこり、としたつもりだったけれど、わたしの顔を見て柊さんは、はっと息をのんで口をパクパクしている。
やってしまった!
わたしは慌てて外したサングラスとマスクを装着し、「しー!」と人差し指を立てる。
「えっ! えっ、あの前園サ……」
柊さんがわたしの名前を言い終える前に、わたしが柊さんの口を両手で塞ぐ。
「詳しい話はカフェでゆっくり話しましょ」
うふふと周りに怪しまれないように予約していたカフェへと急ぐ。
わたしたちの利用している婚活アプリは、顔写真は絶対に掲載してはいけない決まりで、直接会うまでお互いの顔はわからないようになっている。
それもあってこの婚活アプリに決めたわけなんだけど。
やっぱり驚かせてしまった。
カフェへの道中、柊さんはキョロキョロと辺りを見回し、明らかに怪しかったけれど、待ち合わせの場所からカフェまではすぐだったからなんとか発言を許さないまま辿り着くことができた。
「いらっしゃいませ」
カフェのドアをくぐると、マスターの優しい声が響く。
「ご予約のお客様ですね、奥のお部屋へどうぞ」
そうフロアにいるマスターの奥さんが案内してくれ、個室へ入るとわたしはようやくほっとしてサングラスとマスクを外す。
柊さんはまだ訳のわからない様子で辺りをキョロキョロしている。
このカフェは高校生の頃から通っているわたしの行きつけだ。
わたしが有名になる前からお世話になっていて、有名になってからも色々と気遣ってくれる。ありがたい場所なのである。
そんな大切な場所を知られてしまうのは惜しいけれど、これから先も一緒に来る人ならいいと思って。
思ってはいるのだけれど。
こればっかりはわたし1人の問題でもないし。
今回はそんな訳もあり、場所はこちらで決めさせていただいた。
場所に関しては、事前にわたしが予約しておきますと連絡してあったのだけれど。
「柊さん、ごめんなさい。びっくりさせちゃいましたよね」
「えっ、びっくりどころじゃないです。ドッキリとかですか」
どこかにカメラがあるんですよね、なんて言いながらまだキョロキョロしている。
「カメラは無いです。わたしが結婚したくて婚活アプリに登録したので。完全にプライベートです!」
どう説明したら信じてもらえるのかわからないから、誠心誠意、真実を答える。
「色々お話ししたくて今日のお約束をしました。とりあえず何か頼みませんか? わたしのおすすめのお店なんです」
そう言ってメニューを差し出すと、神妙な面持ちで彼はメニューを受け取った。
しばらくして2人でケーキとコーヒーのセットを頼む。
個室にもコーヒーのいい香りが漂ってくるので、わたしは大きく息を吸った。
「あの、本当に俳優の前園サナさんなんですか。俺がメッセージをやりとりしたのも?」
「驚かせてしまって本当にすみません。俳優の前園サナです。柊さんにメッセージを送ったのもわたしです。メッセージがいつも優しくて、お会いしたいなと思って。信じていただけるようにきちんと説明します。何でも聞いてください」
そう懇願するように答える。こんな形で会う人は初めてだから、どうしたって相手が困惑することはわかっていたのに。
「わかりました。信じます。俺も会うって決めたのが初めての人だったので、色々と不安でつい疑ってしまいすみませんでした」
そんな風に返事をしてくれる柊さんが、メッセージのやりとりだけの時と同じように優しいなと嬉しくなる。
「わたしも婚活アプリでお会いするのが初めてで。柊さんのご迷惑を考えずにすみません」
お互いに謝りあっていると、「お待たせしました〜」と奥さんの声が個室に入ってきた。
コーヒーのいい香りと、ケーキのお皿。
わたしはチーズケーキ、柊さんはガトーショコラだ。
「チョコレートお好きなんですか?」
仲良くなれるように、好印象を持ってもらえるように、私は必死に話題を探す。
柊さんはチョコレートも好きだし、コーヒーはブラックよりミルクを入れら方が好きだとわかった。
お互いに映画が好きだという話でメッセージでは盛り上がったので、映画の話題を振ってみる。
これで次回は映画でも見に行きましょうとなればわたしは安心して帰れるというものだ。
「そういえば、次はどの映画を観に行く予定ですか?」
わたしはチーズケーキを口に運んで回答を待つ。
けれど柊さんはフォークの先を見つめたまま黙り込んでしまった。
「あの、わたし変なこと聞いちゃいました……?」
これがダメならどうやってコミュニケーションを取ればいいのだろう?
どこか失敗した!?
「いや、その、違くて……。本当にあの前園サナさんが俺とマッチングしているっていうのが不思議で。もう気になるから聞きますけど、そもそもどうして婚活アプリなんて使ってるんですか?」
バッと顔をあげわたしを見つめる瞳がまっすぐわたしを見据えていた。
確かにこの話は避けては通れないのだろう。
「そうですね。柊さんが自然に接してくださるのでうっかりしてましたけど。やっぱりわたしの職業柄、気になりますよね。話せば長くなるのですが」
わたしは婚活アプリを使うことになったわけを打ち明けることにした。
わたしの小さい頃からの夢が『お嫁さん』になることだったこと。
友だちがみんな結婚して幸せな家庭を築いていること。
出会いは確かにたくさんある業界だが、なかなか親密にはなれないこと。
仕事ばかりしていて恋愛を蔑ろにしていたこと。
「それで、本格的に結婚に向かって動き出さないといつまで経っても結婚できないって気づいたんです。スタイリストさんにそんな話をしたら、最近は婚活アプリが流行ってるって教えてくれて。スタイリストさんが一緒に探してくれて、顔写真なしのこのアプリを見つけました。わたしは内面を知ってから直接会えるならきっと素敵な人と出会えるだろうなって思って。そしたら無事に柊さんとマッチングできたと言うわけです。本当にありがとうございます」
深々と机に頭が当たりそうなくらい頭を下げると、柊さんも深々と頭を下げた。
「いえ、こちらこそ」
「だから、その、わたしは柊さんが素敵な人だなと思っています。あなたのことをもっと知りたいので、今後もお会いしたいです。あわよくば結婚前提のお付き合いがしたいです!」
結論を急いでしまった。
でもわたしの意思は伝えておかなければ。
柊さんの目をまっすぐ見て伝えると、柊さんは動揺したように見えた。
「直接お会いするまで、サナさんの文面は親近感があるし優しさもあって、良い人柄が滲み出ていたんですよね。俺もそんなサナさんが良いなって思って今日会うことを決めました。できたら未来に続く出会いだと嬉しいなと期待していました。でもまさかあの有名な前園サナさんだとは思わなくて。正直この状況に、ケーキを食べながら混乱してます」
そう言うと柊さんはフォークを置いた。
「話を聞いて、テレビで活躍していようがいまいが、サナさんはサナさんなんだなって感じました。うまく言えないけど」
にこっとわたしに向けてぎこちなく微笑んだ柊さんに、わたしは頬が緩んだ。
やっとほっとした気持ちで心から笑えたことに気がつく。やっぱり緊張して顔がこわばってきたんだろうな。
「よかったら、また会ってもらえますか? もっとお互いのことをよく知るために」
「ありがとうございます! 次は博物館に行きませんか? ちょうど今の特別展示が見たくて1人で行くのもな〜って思っていて。柊さんが良ければ、なんですけど」
「博物館、滅多に行かないので楽しみです」