3.推しの兄②
しばらくして落ち着きを取り戻した私は、徐々に苛立ちを覚えていた。
まさに情緒不安定である。
(普通さ、兄が友人の家に遊びに行って弟が来るものじゃない⁉︎ カシス様は交友関係が狭いのね!)
完全に八つ当たりだったが、そうでもしないと心を保てそうになかった。
「はあ、会いたかった……未来のお義母様やお義父様にご挨拶もしたかったのに……」
その時ふと、あることに気づく。
小説のメアリーと推しとの出会いは、家族を殺された推しを伯爵家で引き取ることから始まる。
つまりこのまま家族が死ななければ、推しとの接点が生まれない。
「これは……一大事だわ」
そこで私は考えた。
カシス様と接触して仲良くなり、推しを紹介してもらおうというズルい作戦を!
ついでに推しとの仲を取り持ってもらうのも良いかもしれない。
そうと決まれば即実行。
私は身なりを整え、客間へと向かう。
しかしそこで怪しげな人物を見つけた。
客間のドア前で聞き耳を立てるメイドの姿があったのだ。
(あれは絶対に怪しい……!)
もしかして、あのメイドが公爵家とのやり取りを敵側に漏らしているのかもしれない。
早速顔を覚え、あのメイドについて調べ尽くしてやろうと思った時。
「そこで何をしているの?」
「ひっ……⁉︎」
突然背後から声をかけられた。
思わず声を漏らしてしまい、慌てて口を押さえるがもう遅い。
メイドが「誰かいるの⁉︎」と振り返ったのだ。
「……っ、来て!」
一旦その場を離れようと、私に声をかけた人物の腕を掴んで走り出す。
しかし足音は確実に近づいており、私は近くの部屋へ逃げ込んだ。
それでも不安になり、念のため部屋にあったクローゼットの中に相手と隠れる。
直後、部屋のドアが勢いよく開けられたが、間一髪バレずに済んだ。
「はああ……」
今もまだ心臓がバクバクとうるさい。
もしバレてしまったら、命の危機に晒されていたかもしれないと思うとゾッとした。
これも全部、突然背後から声をかけてきた人のせいだ。
私と一緒にクローゼットに入らせたが、暗闇で相手の顔が確認できない。
メイドが部屋を後にし、足音が完全に聞こえなくなったところでようやくクローゼットから出る。
私に声をかけてきたのは一体どこの誰だ。
「ねえ、突然声をかけないで……」
(うっ、わあ……なんて綺麗な顔)
すぐに注意しようとしたが、思わず相手の顔に見惚れてしまう。
銀色の髪に碧色の瞳はどこか神秘的で、柔らかな雰囲気を纏う美少年だった。
しかしこの顔、どこか見たことがあるような……いや、正確には銀髪碧眼という現実ではお目にかかれないような容姿……そう、それはまるで推しのような──
「ああっ⁉︎」
推しの姿を思い浮かべ、ようやく相手の正体がわかる。
目の前の美少年こそが推しの兄であるカシス・ヴィクシム様だった。
(こ、こんな形で未来のお義兄様に会ってしまうなんて……!)
サーッと顔から血の気が引く。
親同士仲が良いとはいえ、仮にも身分の高い公爵家の令息に私は無礼な真似をしたのだ。
「も、申し訳ありません!」
慌てて頭を下げる。
しかしカシス様は私を責めることなく、安心させるような穏やかな口調で話し始めた。
「君が、メアリー・ジョゼット嬢?」
まだ名乗っていないが、身なりで判断したのか、名前を呼ばれてしまう。
「お初にお目にかかります。私、メアリー・ジョゼットと申します」
「そんな堅苦しい挨拶はしなくていいよ。ほら、顔をあげて?」
あまりの優しさに、部屋でカシス様に対し苛立ってしまった自分を恥じる。
恐る恐る顔をあげると、カシス様は温かく微笑んでいた。
(神様かな……? 推しとはタイプの違うイケメンだ!)
小説での推しは復讐に燃えているため、険しい表情をするシーンが多かった。
それはそれで格好良かったのだが、カシス様のような優しい笑みも素敵だ。格好いい。
「俺はカシス・ヴィクシムだよ。それより、さっきは俺の方こそごめんね。突然話しかけてしまって……誰かに追われていた様子だったけれど、大丈夫?」
「恐らく今はもう大丈夫かと……実は、メイドが客間の前で聞き耳を立てていたので、怪しいなと思ったんです」
「聞き耳を? 確かに怪しいね」
カシス様にどこまで話そうかと悩んだが、あえて全てを話すことでヴィクシム公爵家を狙う敵を警戒してもらおうかと思った。
小説で推しの家族が殺されたのは、推しの叔父がヴィクシム公爵家を乗っ取り、実権を握るためだった。
叔父はヴィクシム公爵家を疎ましく思っていた他の公爵家と手を組み、殺したのである。
「とても信頼しているメイドだったので残念です。身近な人でも簡単に信じてはいけませんね……何が目的なのでしょうか」
まだ十歳の子供がここまで深く物事を考えるなんて怪しさ満載だったが、チャンスは活かすべきである。
なるべく自然に話を持っていきたいところ。
「もしかして、ヴィクシム公爵家を狙う者でしょうか……?」
「俺の家を?」
「はい。たとえばジョゼット伯爵家と仲が良いことを利用して、この家にスパイを忍ばせ、ヴィクシム公爵家に関する有力な情報を得ようとしているとか」
まるで名探偵になったような気分だ。
しかしここまでの推理をして、さすがに怪しまれるかなと心配する。
カシス様は私の話を聞いて目を丸くしていたかと思うと、納得したような表情へと変わった。
「なるほど。それは一大事だね」
まさかこれほど簡単に信じてくれるとは思わなかった。
とはいえこれはある意味チャンスだ。
このまま叔父を警戒してもらおうと、話を進める。
「ヴィクシム公爵家を狙っているような人が思い浮かんだりしませんか? 案外身近な人がヴィクシム公爵家を乗っ取ろうとしているかもしれません」
「身近な人……親戚辺りかな」
「警戒した方がいいかもしれません。私はあのメイドについて詳しく調べます。何かわかればヴィクシム公爵家にも報告しますね」
「わかった。俺の方でも探してみるね」
「ありがとうございます」
すぐに私の話を受け入れてくれたのは助かったが、それ以上に心配になってしまう。
普通、今日初めて会った私の言葉をここまで素直に聞くだろうか。
カシス様がこれほど純粋な方だったとは……だから叔父に利用され、濡れ衣を着せられてしまうのだ。
このままではいけない。
「ですがカシス様はもっと人を疑ってください。今日会ったばかりの私の話をどうしてすぐに信じられるのですか」
「それは君に悪意を感じられないから……」
「違います。悪意があっても人はそれを上手く隠し、相手を利用するのです。私だけではなく、カシス様やヴィクシム公爵家に近づく人のことを簡単に信用してはいけません。たとえ身近な人も、です」
あまりにも人が良すぎるカシス様は、まず警戒心を持ってもらうことが優先かもしれない。
「じゃあ君も、俺を利用しようとして近づいたの?」
「もしかしたら公爵家という肩書きに惹かれて、偶然を装いカシス様に近づいたかもしれませんよ。だからこそ人を疑い、ご自身で見極めてください」
高貴な立場である以上、より一層疑い深くなるべきだ。
「難しいかもしれませんが、カシス様が今後のために必要な力なのです」
叔父に騙されないためにも。
もしカシス様が叔父のことを疑って調べてくれたら、裏切りの証拠が出てくるかもしれない。
そうすれば、推しの家族の命が皆救われるのだ。
「どうして俺のためにそこまで言ってくれるの?」
しかしカシスは驚いたような、不思議そうな、なんとも言えない表情を浮かべていた。
「カシス様には幸せに生き続けて欲しいのです」
そう、全ては推しのため。
カシス様には推しの支えになってほしい。
初対面とは思えない話をしてしまったが、幸いにもカシス様は私を怪しむことなく、むしろどこか嬉しそうだった。
「なんだろう、この気持ち……」
「カシス様?」
「ありがとう、メアリー嬢。これから楽しくなりそうだよ」
なぜお礼を言われたのかわからなかったが、カシス様のあどけない笑顔に、思わずキュンとしてしまう。
こうして私は推しの兄と接触に成功した。