2.推しの兄①
両親は最初反対していたが、私の説得もあって無事先生をつけてもらえた。
前世の記憶を思い出す前の私は、部屋に引き篭もりがちで暗かった。
それを利用し、『私は変わりたいのです!』と言うと認めてもらえた。
最初は屋敷を歩くだけでも体力を消耗して倒れていたが、十歳になる頃には普通に生活ができるくらいまで成長していた。
(先は長いけれど!)
ここからは本番だ。
運動だけではなく食事にも気遣いつつ、スパイ探しを始める。
しかし広い屋敷で何人もいる使用人の中から見つけ出すのは至難の業だった。怪しい人物すら見つけられず、スパイ探しは難航している。
「そういえば、一週間後にキャロルたちが家に来ることになったわ」
このままでは推しが闇堕ちしてしまう……! と危惧していると、家族との食事の場でお母様がそう言った。
私は衝撃のあまりフォークを落としてしまう。
「メアリー、大丈夫? 体調が悪いのかしら」
「い、いえ……大丈夫です」
平気なフリをしたが、動揺が隠しきれず手が微かに震え始める。
キャロルとはヴィクシム公爵夫人……つまり推しの母親で、私の未来のお義母様になる人だ。
ヴィクシム公爵家とは年に数回、互いの家に遊びに行く関係のようで、今回は我が家に遊びに来るらしい。
今までの私は、ほとんど推しの一家と顔を合わせたり、言葉を交わしたことがない。
もったいないことをしていたものだ。
「あの、今回は私も同席させていただいてよろしいでしょうか」
「もちろんよ。いつもキャロルたちは、貴女の心配をしていたからね。元気な姿を見たら喜ぶはずよ」
心配ってことは、もしかして推しも私のことを……と思ったが、二歳年下の推しは現在八歳。まだまだ幼い少年だ。
私の存在すら知られていない気がして、今回は認知してもらうことを目標にする。
少しでも可愛い姿で会いたいと思い、この一週間は自分磨きに励んだ。
髪型や服装は侍女と一緒に悩み、候補を絞って最後にはお母様に選んでもらった。
楽しそうな私を見てお母様は嬉しそうだったけれど、まさか下心があるなんて思いもしないだろう。
そしてついに当日がやってきた。
使用人や両親からベタ褒めだったハーフアップにしてもらい、淡いオレンジのドレスを着て、可憐な少女の完成だ。
(小説では幼少期の二人はほぼ面識がない設定だったけれど、この世界では運命のように巡り合い……恋に落ちるんだ)
そう考えただけで頬の緩みが止まらず、スキップしそうな勢いで両親の待つエントランスへと向かう。
「あら、とても似合っているわメアリー」
「ありがとうございます、お母様」
「そんなに着飾って……さてはカシス様に会うためね?」
「カシス……様、ですか?」
カシス様とは、推しの兄のことだ。
ヴィクシム公爵家の嫡男で次期当主だったが、成人のタイミングで両親殺害の罪を着せられて死ぬ悲しい運命を辿る。
そんなカシス様を心から慕っていた推しは、家族に引き続き兄まで失い……あそこのシーンは本当に辛かった。
「その様子じゃ違うみたいね?」
「いえ、カシス様にお会いするのも楽しみなのですが……公爵家のご子息はもう一人いらっしゃいましたよね?」
まさか八歳の少年である推しを狙っているなんてバレたらどう思われるかわからないため、あえて濁す。
「フリップ様のことかしら」
「はい、そうです」
そう、今日は我が推し……フリップ・ヴィクシム様のためにここまで着飾ったのだ。
「フリップ様は今日、いらっしゃらないんじゃなかったか?」
「ええ。友人の家に遊びに行くようで、今日は三人で来ると……」
両親の会話を聞き、私は絶望感に苛まれる。
ショックのあまり目の前が真っ暗になり……その場に倒れ込んだ。
「メアリー⁉︎ メアリー!」
前世の記憶を思い出してから今まで、この日のために頑張ってきたのだと思っていた。
それがこんな結末だなんてあまりにもひどい。
「うーん……」
結局私は推し不在の公爵一家を出迎えることができず、以前と変わらず部屋に篭っていた。
「メアリー様、お体はいかがですか?」
そんな私を心配するように部屋へやって来たのは侍女のライラだった。
「大丈夫……今回は心のダメージだから……」
推しに会えると思っていたのに、直前で会えなくなった辛さは計り知れない。
「奥様や旦那様も無理に顔を出す必要はない、ゆっくり休むといいと仰っていました」
「そう……ありがとう。もうヴィクシム公爵家の方々はいらっしゃったの?」
「はい。今は客間でお話されているそうです」
本当はそこに私や推しもいて、一目惚れしてもらう作戦だったのに。
幼少期からずっと好きだったという、恋愛作品の王道展開に則るつもりが……この仕打ちはあまりにもひどい。
「しかしよろしいのですか? カシス・ヴィクシム様にお会いしなくて」
「ええ、いいの。もう下がって大丈夫よ。ありがとう」
「かしこまりました。何かありましたらすぐお呼びください」
心配してくれたのに申し訳ないが、今は一人になりたかった。