18.婚約
あの一件後もカシスとの関係は変わらなかった。
互いの両親に勘違いさせたことを謝る私に、カシスは『気にしないで。母上と父上には俺から話してるから大丈夫』と言ってくれ、本当にカシスは優しくて温かい人だと思った。
誤解が無事に解け、私は社交界で貴族との交流を深めていき……数ヶ月が経った頃、とある事件が起きた。
「いったいどういうことてすか⁉︎」
夜の伯爵邸の廊下を歩いていると、お父様の執務室からお母様の叫ぶ声が聞こえてきた。
何事かと思い、つい盗み聞きしてしまう。
「共同事業の相手に逃げられたって……騙されたのですか⁉︎」
「いや、相手は何度か一緒に仕事をしている信頼のおける人だったんだ。なのにどうして……」
「きっとこの日のために旦那様をずっと騙してきたのでしょう! 資金も全て持って消えたのですから!」
「すまない……俺がもっと用心していれば……だがなぜ突然……くそっ」
「我が家はいったいどうなってしまうのですか……?」
「今回の事業には多額の投資をしていた。それに、他にも相手が関わっている仕事がいくつかあるから……損失は大きい。多額の借金も残るだろう」
「そんな……」
二人はやけに深刻な話をしている。
「もしどうしようもなくなった場合、ヴィクシム公爵に頼るのは……」
「そんなのダメです! 我が家の存続に関わるほどであるなら、キャロルたちにも迷惑がかかってしまいます」
「そうだよな……簡単に返せる額でもないし……」
その内容はこの家の存続に関わるものだった。
(こんな展開、小説ではなかった……)
考えられるとしたら私のせいだ。
私が小説とは違う未来にしてしまったせいで、本来起こるはずのなかったことが起きたのだとしたら。
(私が、原因で……)
心臓が嫌な音を立てた。
このままでは両親に迷惑をかけてしまう。
何か方法はないだろうかと思い、咄嗟にドアを開ける。
「メアリー⁉︎ もしかして話を聞いて……」
「も、申し訳ありません……お父様、お母様……」
推しの家族を助けることばかり考えていたせいで、私が二人を不幸にしてしまった。
今までずっと私を育ててくれた両親に、親孝行すらできないのか。
「メアリーのせいではない。俺の責任だ。俺がどうにかするから、メアリーは気にしなくていい」
「私も力にならせてください!」
「メアリー……」
こうなったら私が責任を取るべきだ。
私でお金を調達できる方法といえば一つしかないけれど。
「私、どこへでも嫁ぎます。借金を肩代わりしてくれそうな家を探して、そこに嫁げば……」
若い娘が好きな貴族でも商家でも構わない。
私のせいで両親が不幸になる方が見ていられず、罪悪感に押し潰されそうだ。
「貴女にそんな辛い思いをさせられないわ。どうにかするから、メアリーは安心して」
先程まで狼狽えていたお母様も、私の前では凛としていて胸が痛む。
「本当に無理そうだったら、私を使ってください。私にも責任があります」
むしろ私にしか責任がない。
一家存続に関わる危機が小説にもあったのなら、絶対に記載されているはずだ。
このまま没落して両親を不幸に……なんて嫌だ。
それから数週間、不安の中で過ごしていると、私は両親に呼び出された。
「どうされたのですか?」
「メアリー……」
お母様はどこか躊躇いがちに私の名前を呼び、お父様の手には一枚の手紙があった。
「今回の件を聞きつけ、借金の肩代わりすることを条件に貴女に結婚の申し出があったのだけれど……」
「ほ、本当ですか⁉︎ 私で良ければ喜んで……」
「その、相手が……」
お母様の口から名前を聞いた私は、思わず家を飛び出さずにはいられなかった。
向かった先はもちろん、その相手の元だ。
(どうして……どうして、カシスが……!)
お母様の口から出た名前は、カシスだった。
カシスとの結婚を条件に、ヴィクシム公爵家が肩代わりしてくれるのだと。
けれど結婚など建前に過ぎず、きっとカシスが私の家を助けるために提案してくれたのだろうと。
「メアリー、急にどうしたの?」
「カシス……!」
事前の連絡もなく会いに行ったが、すぐ中に案内してくれ、カシスが来てくれた。
「もう聞いたんだね」
「ど、どうしてこんなこと……私なんかのために」
「伯爵家の話を聞いて、いてもたってもいられなかったんだ」
「だからって自分を犠牲にして……!」
「何も理由なく支援したら、二つの家には上下関係ができてしまって、今まで通り接することができないだろう? 君との関係が変わるのは嫌だと思って……だから結婚という形になってしまったけれど、君は嫌じゃない?」
「それはカシスに聞きたいよ! だってカシスには心に決めた人がいるのに、私なんかのために……」
「君を助けられるなら喜んで手を貸すよ、俺は」
「カシス……」
感謝の気持ちが込み上げ、思わずカシスに抱きつく。
「ありがとう、カシス。本当にありがとう。大好き……ごめんね、私のせいで」
「……ああ、そういう意味か」
突然カシスの口からゾッとするような冷たい声が出て、ぱっと顔を上げる。
「メアリー、どうしたの?」
けれど、カシスはいつも通り穏やかな笑顔を浮かべていて、先程の冷たい声は気のせいかと思った。
「いや……聞き間違い、かなって……けれど、『そういう意味か』って、なんの話……?」
「ほら、君は前にも『好き』って言葉にしていただろう? その意味が理解できたって話」
カシスの話を聞いて、つい勢いで『好き』と言っていたことに気づく。
そういえば前にもカシスに言っていたような……?
推しに対して息をするように『好き』と言う感覚と同じで、カシスに向けても無意識のうちに伝えていたようだ。
「けれど、これからは軽率に呟かない方がいいかな。他の男が勘違いして、君に手を出してしまうかもしれないから」
「わかった、気を付けるね。 あ、けれど……」
ふと思い返してみると、カシス以外の人に好きだなんて口にした記憶がない。
「今まで『好き』だなんて言葉、カシスにしか言ったことないや。そう考えると恥ずかしいね」
少し照れくさかったけれど、軽率に言う訳ではないことを証明したくて話した。
「俺に、対してだけ?」
「うん、そうだよ。カシスに対してだけ……カシス?」
ふとカシスを見ると、手で口元を隠し、私から視線を逸らしている。
カシスらしくない反応だ。
「そっかあ、俺だけか……うん、俺って単純だなあ」
「カシス、どうしたの?」
「ううん、こっちの話だから気にしないで。けれど、そうだな……気分が良いからこの件は許してあげる」
「……ありがとう?」
何に対して許してくれてるのかわからなかったが、私とカシスは結婚することになった。
とはいえ伯爵家はまず家の立て直しから始めないといけず、公爵家の気遣いで正式に結婚するのは立て直しの目処が立ってからになった。