こんにゃく先生、店を出す
星屑による星屑のような童話。
お読みいただけるとうれしいです。
はらはらと舞う桜の花びらが、校庭に散らばる。
今年も春がやって来た、ということだろう。僕、南 新一は、中学三年生になった。
世の中は春本番と言ったところだ。
けれど、僕の気持ちは全く春めいてはいなかった。
――中学三年生なら、高校受験があるんだから、そんなこと言ってる場合じゃないんだろう? そんな質問が天から聞こえてきたような気もするけど、この学校は中高一貫校。そんなに勉強しなくたって、高校には行ける。
第一、 勉強をやる気が全然起きなかった。
いい大学行って、いい企業に勤めるってことが、去年にも増して疑問に思うようになってしまったからだ。そんな人生に、いったい何の意味があるというのだろうか。
そんなことを考えながら昼休み時間に窓側の自分の席から外を眺めていると、我が幼馴染で学級委員の、美千代ちゃんの声がした。
「どうしたの? 元気ないわね、新一君……。これでも食べて元気出してよ。さくさく食感がサイコーだよ」
「さくさく? あ、クッキーだね。ありがとう」
「もしかして、今年も学級委員に成れなかったことを気にしてるの?」
「そ、そんなことないよ……。ぼ、僕にとって学級委員になるとかならないとか、もう全然関係ないんだから」
「ふうん……そうなの」
どきどきしていた。
ホントのことを言えば、学級委員になれなかったことが僕の心の傷に少しだけなっているのは確かだったからだ。けれど、なんかそんなことなど、もうどうでもいいかなと思う気持ちもかなりある。透明な袋に入ったクッキーを取り出し、口へと運んでみた。
「ほんと、さくさくだね。おいしいよ」
「そうでしょ? 私ね、最近さくさく食感のお菓子に、はまってるの」
そのとき、僕は閃いた。
アイツは、世界のどこかで僕たちの会話を聞いていて、チャンスとなれば、世界のどこからかやって来ていたに違いないのだ。今までもそうやって臨時教師として突然やってきては、授業を荒らすだけ荒らし、突然やめてどこかへと消えていく、ということを何度も繰り消してきた。
ならばここはひとつ、こんにゃくの話でもして、わざとアイツを呼び出してやろうじゃないか!
「さくさく食感が好きというなら、さくさくな歯ごたえのこんにゃくとか、食べたくない? こんにゃくクッキーとか、どうかな」
「こんにゃくのクッキー? そんなの、あるのかな。でも、さくさくなら食べてみたい」
――よし、来た。こんにゃく先生、かもーん!
けれど、何も起こらなかった。
おかしい……僕の考えは間違っていたのだろうか。それとも、こんにゃく先生の身に何かがあったのかな……。体調でも悪いのか、と心配になってしまう。
そのとき鳴った、昼休みの終わりを告げるチャイム。
結局、何もないまま昼休み時間も終わってしまった。美千代ちゃんも、「じゃあね」と自分の席へと戻っていく。
僕は、寂しい気持ち満載で、午後の授業を受けた。
次の日の朝――。
心に穴が開いてしまったように、とぼとぼと歩いて学校へと向かう。自分でも不思議だったが、まさか、こんにゃく先生に会えないことでこんな気持ちになる日が来るとは、夢にも思わなかった。
やがて、校門の前のところにやって来たときだった。
思わず目をぱちくりとさせてしまった、僕。
なんと、校門前のちょっとしたスペースに、あの、お祭りでよく見る『露店』がひとつがあったからだ。白いテント屋根の部分には、手書き文字で『こんにゃく菓子 さくさく屋』と書かれていた。
「へい、いらっしゃい!」
見間違うことなど、ありえない。
店の中でてきぱきと働いていたのは、まぎれもなく、あの、こんにゃく先生だった。申し訳なさ程度に生えた細い手足に、黒いつぶつぶの入った四角い灰色の体――。そんな彼が、僕に元気よく声をかけてきたのだ。
僕は、注文をえらく待たされたお客さんみたいな気持ちで、口をぴんととがらせてこう言った。
「何やってるの、こんにゃく先生」
「な、なにを言ってるんです。私は、こんにゃく先生なんかでは、ありませんよ。見ての通り、ただのしがない板こんにゃくでございます」
「ただの板こんにゃく……」
「あら、そこに見えるのは美千代さんじゃないですか! おいしいこんにゃくクッキー、おひとついかがですか」
「あ……今、美千代ちゃんの名前を言ったよね! やっぱ、こんにゃく先生でしょ」
「は? き、聞き間違いではありませんか?」
すると、登校途中の美千代ちゃんがダッシュでテント前にやって来て、「それって……さくさく?」と目をキラキラ輝かせながら言った。
それを聞いた、途端。
でっかい板こんにゃく――いや、こんにゃく先生は、体を二つ折りにするように自信ありげに深々とうなづくと、こんにゃくのつぶつぶでよく見えない口元をほころばせながら、こう答えた。
「もちろん、ですよ。だって、こんにゃくですから……。こんにゃくといえば、さくさく。さくさくといえば、こんにゃく。食感は、さくさくに決まってるじゃないですか!」
「そ、そうでしたか……ね?」
やや疑い気味の美千代ちゃんを気にすることなく、余裕しゃくしゃくのこんにゃく先生が、「はい、こんにゃくクッキー! 最初のお客さんだから、特別にお代は頂かないよ」と言いながら、紙に包んだ焼きたてのクッキーを彼女に手渡した。
登下校中の買い食いは、当然禁止である。
ではあるが、学級委員の美千代ちゃんも、さくさくクッキーの魔力にはかなわなかった。受け取ったクッキーを、即座にぱくりとやる。
が、その瞬間。美千代ちゃんの顔がどんよりと曇った。
「全然、さくさくじゃないわ……」
美千代ちゃんの、ひどく湿った声。
見れば、美千代ちゃんが頬張ったものは、薄くスライスした板こんにゃくに砂糖をまぶして焼いただけのもののようだった。今にもぷんぷんとどこかに行ってしまいそうな美千代を、こんにゃく先生が必死に引き留める。
「あらら。クッキーは、お口に合いませんでしたか。失礼しました。ならばこれはどうですか――こんにゃくせんべい! さくさくですよ」
手渡された、せんべいらしきものに渋々かぶりついた、美千代ちゃん。
しかし、その1秒後には、頭から湯気を出せるくらいに怒っていた。
「さっきのよりも、さくさくじゃないよ!」
さすが学級委員である。言うときは、言う。
ダメなものはダメという厳しい対応も、ほれぼれするくらいに素晴らしい。
美千代ちゃんが手にした食べかけのせんべいは、見た目からすると、板こんにゃくを薄く切ってしょうゆを塗り、焼いたものらしい。それはそれでおいしそうであるが、きっと、美千代ちゃんが求めているような、さくさく食感ではなかったのだ。
くるりと背中を向けてどこかへ行こうとする美千代ちゃんを、またも引き留めようとする、こんにゃく先生。
「こ、こんどこそ! 三度目の正直っていうじゃないですか、美千代さん。次は絶対さくさくな、こんにゃくパイですから!」
――なるほどね。パイなら、さくさくかも!
ボクと同じように、美千代ちゃんもパイならいけると思ったのだろう。
一度大きく深呼吸して心を落ち着けた美千代ちゃんは、もう一度お店の方に向き直ると、「はい、どうぞ。こんにゃくパイですよ」と、恐らくはにこやかに笑っているこんにゃく先生から、こんにゃくパイなるものを受け取った。
が。その途端、感じたのはすごく嫌な予感だった。
その見た目が、どう見たって、さくさくパイ生地のやつじゃなかったからだ。
「……」
美千代ちゃんも、信じられないのだろう。
しばらく黙ったまま、こんにゃくパイを見つめて動かなかった。
けれど、その疑いが最高潮に達したであろうその瞬間に、美千代ちゃんは思い切ってそれにかぶりついた。かぶりついてはみたが、0.5秒でそれを吐き出すと、残りのものをこんにゃく先生の顔か胸か腹かよくわからないところへ投げつけたのである。
「もう、全然ダメ。私、行くから!」
さすが、女子の学級委員である。食べ物判定に対しては、大変、手厳しい。
美千代ちゃんの去り行く背中を見つめがら、恐らくはその肩の部分をわなわなと震わせた、こんにゃく先生。
こんにゃく先生の体に張り付いた残骸を見るに、それはたぶん、板こんにゃくを縦にスライスして二つに分けたものに「りんご」を挟んで焼いた食べ物だと、僕には推測された。
――こんにゃくは生地に混ぜこむか、具にするべきだろ。さくさくにするなら。
なぜか僕まで悲しい気分になっていると、先生がぽそり、つぶやいたんだ。
「すまん……新一君。美千代ちゃんをさくさくなお菓子で喜ばすことができなかったよ。昨日の晩、寝ずにいろいろと考えたのに……」
――ひと晩考えて、これかい。
と、言いたかったけれど、ここは我慢。
結果は別として、こうやって駆け付けてくれた先生にとりあえずお礼を言うべきだと、僕は考えたんだ。
「いや、先生もそれなりに頑張ってくれたことだし……僕は……」
そのときだった。校門の方から教頭先生が三人の若手男性教師を引き連れてやって来たのは。
「そこの板こんにゃく、何をやっている。学校の門前で勝手に店を開くんじゃない!」
あれよあれよという間に、先生たちによってテントやコンロなどの備品が片づけられていく。
こんにゃく先生は、その柔らかくしなる体でしぶとく抵抗した。が、大人三人がかりで引き摺られるようにして、その場から強制退場させられていく。
僕は呆然とその様子を眺めることしかできなかった。
そんな僕に向かって、遠ざかる先生が叫んだ。
「新一君、夢をあきらめるな! 夢を叶えるために、とにかくがんばれよ!!」
ひと晩しかなかったとはいえ、さくさく食感の『お菓子』ひとつ作れない先生にそんなこと言われてもあまり納得はできなかったが、教師たちに引き摺られながらも必死に僕を励ましてくれる先生の姿に、なぜか感動する。
どこでどういう風に知ったかわからないけれど、僕が最近勉強に身が入らなくなっているのも、先生にはわかってたみたいだ。
――こんにゃく先生。先生の、その意味のないひたむきな生き方……よくわからないけれど、僕の心に火を点けてくれた気がするよ。大学に行くことだけが人生じゃないとは思うけれど、志望校合格、そして、世界一の宇宙学者になる夢は諦めない!
そうこうしている間にも、読んで字のごとく「身を粉にして」引き摺られていくこんにゃく先生に向かって、僕も叫んだ。
「ありがとう、こんにゃく先生! なんだかよくわからないけど、僕、頑張るからね!」
僕の叫びは先生に届いたらしい。
男たちに抱えられた巨大な板こんにゃくの横から突き出た、糸みたいにほっそい手で、先生がサムアップする。
なんとも複雑な気持ちで、先生を見送った僕。
もうすぐ授業の始まる学校へと、胸を張って歩みを進めたのだった。
(おしまい)
お読みいただき、ありがとうございました。
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