07.
「さて、今日はこちらに引っ越す準備や移動で大変だっただろうから、話はここまでにして。
君専属の侍女に部屋を案内させよう」
ルーファス様はそう言うと、机の上に置いてあった鈴を鳴らす。
すると、扉がガチャリと開き、「失礼いたします」と断りを入れて入ってきたのは、私より少し年上と思われる侍女の姿で。
その人は私の目の前に来ると、一礼してから言った。
「ディアナ様付きの侍女となりました、ネルと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
その言葉に、私も笑みを浮かべて言う。
「こちらこそ、よろしくね」
「はい」
そう言って微笑む彼女は、優しそうで。
(良かった、良い人そうで)
ルーファス様は一つ頷いてから口を開く。
「あぁ、ちなみに、ここの者達は皆君が俺のお飾りの妻であることを把握しているから、訪問客が来ない限りここでは自由にしてほしい」
「……そ、そうなんですか!?」
驚きのあまり叫んでしまった私に、ネルは苦笑したように言う。
「はい。ディアナ様にご承諾いただく前から、『お飾りの妻を探す』と使用人達の前で公言された時は、頭を抱えたものです。
皆この国でそんな女性は絶対見つからないと思っていたのですが……、ディアナ様がお優しい方で良かったですね、公爵様」
「余計なことを言うな」
「失礼いたしました」
そんなやりとりに、思わずクスクスと笑ってしまってから口にする。
「優しいと言ったら、私ではなくルーファス様ですよ」
「「え?」」
私はルーファス様の腕の中でこちらを見ているタロウと視線が合い、自然と笑みを溢して言った。
「捨て犬を拾って大変だと言いながら、お屋敷で飼うことをやめようとはしなかった。
タロウも優しい飼い主様の元へ辿り着けて、間違いなく喜んでいると思います」
「わん!」
「ふふふっ」
タロウは私がタロウのことを話しているときちんと理解しているから、同調するように吠えてみせる。
そうだよね、と思わず笑みを溢すと、ネルもまた笑って頷いた。
「確かに、公爵様は自分にしか懐かないと言いながら、仕事の時も邪険にせず、膝の上にずっと乗せて執務をされていらっしゃいますよね」
「え、そのお姿を今度拝見してみたいです!」
「!?」
(タロウを抱っこしている姿も見たいし、執務中にタロウをずっと膝の上に乗せて時折頭を撫でて笑みを溢す……なんて妄想が捗ってしまう!!)
スチル絵としても完璧だわ!
と一人脳内妄想を繰り広げてしまう私に、ルーファス様はほんの少し頬を赤らめて言った。
「ネル、それ以上余計なことを言ったら侍女長に言いつけるぞ」
「それは脅しじゃないですか」
「良いから彼女を部屋に案内するんだ。俺は仕事に戻る」
「あっ、ちょっとお待ちください!」
踵を返したルーファス様を制すると、ルーファス様は立ち止まり振り返る。
「なんだ?」
「あの、タロウは私に預からせていただけませんか」
その言葉に、ルーファス様は驚いたように言う。
「それは構わないが……、今日は疲れただろう?
お世話係としての仕事は明日からでも大丈夫だが」
「だ、大丈夫です。逆にタロウと一緒にいられたら、癒されるなって……」
私がそう言うと、タロウも「くぅーん」と甘えたように私とルーファス様とを交互に見つめる。
それを見て、ネルは驚いたように言った。
「本当なんですね。あれほど公爵様にしか懐かなかったのに……」
ネルの言葉に、ルーファス様は少し笑みを溢して言った。
「本当に、俺も最初は驚いた。それに、彼女は“タロー”と名付けてくれた親でもある。
……そして、俺の目には彼女とタローが強い絆で結ばれているようにも見える」
「!」
そう言うと、ルーファス様は私の元まで歩み寄ってきて、タロウを持ち上げて言った。
「では、そんな君のお言葉に甘えてタローを託そう」
ルーファス様の言葉に、私は心から笑って頷く。
「はい、お任せください!」
そう言ってルーファス様からタロウを受け取ろうとしたのだけど。
「!」
受け取った拍子で軽く手が触れてしまって。
ルーファス様は顔色一つ変えられなかったけど、私はなぜか……一瞬、ドキッとしてしまって。
(そ、そうよね、さっきエスコートされたのだし、そもそも契約結婚しているんだもの、今更よね!)
だから鼓動よ、早く静まって〜!
なんて焦っている私をよそに、ルーファス様は「頼んだ」と言って部屋を後にする。
残された私とネルは、顔を見合わせると小さく笑い、ネルの方から声をかけてくれた。
「ではディアナ様。お部屋までご案内いたします」
「うん、よろしくね」
そうして案内してくれるネルの後に続き、長い廊下を只管歩く。
(本当に、どこを見ても素敵なお屋敷……)
廊下の至る所に絵画や高価そうな陶器、品よく生けられた花々など素敵なものばかり。
(これはタロウが暴れでもしたら、大変なことになるわね……)
特に、前世のタロウは紙類が大好きだった。
ティッシュや段ボール、チラシなど……、見つけ次第それらが格好の餌食となり、最後にはボロボロになっていたのを思い出す。
「……タロウ、廊下をあまり走り回るのはやめようね」
「くぅーん?」
……自分にとって都合の悪い時だけ分からないフリをするのも、全然変わっていない。
(正直ほんのもう少しだけで良いから、空気を読んで大人になってくれるとありがたい……)
タロウは本当に元気な子だ。
前世ではよく、“成犬になったら落ち着くようになる”と散歩中によく他の飼い主さんに言われたけれど、歳を重ねてもタロウが落ち着いているようなことはまずなくて。
私達家族は“永遠の子犬”と呼んでいたくらいだ。
(ルーファス様との契約結婚に、お飾りの妻兼お世話係を任されたんだもの、きちんとタロウから目を離さないようにしなくては)
そう考えている間にも並べられている見るからに高級な品物の数々を見て、思わず遠い目になったのだった。