05.
「ただいま戻りました」
そう口にした私の耳に、ドタバタと足音が近付いてくる。
(……これは、嫌な予感)
案の定その予感というのは的中してしまうもの。
その足音の正体となる人物が近付いてきたことにより、私は咄嗟に横にそれた。
そしてその人……私の兄は、悲しげな顔をして尋ねた。
「どうして避けるんだ!?」
「お兄様、お帰りなさいませ。それから、もう子供ではありませんので私を抱き上げるのはやめていただけますか」
「あぁっ、小さな僕のディアはこんなに大きくなって……、婚姻を申し込まれるほどのレディにっ」
「あの、聞いていらっしゃいますか?」
話が通じない兄を目の前にどうしたものかと困っていると、両親が駆け寄ってきた。
「お帰り、ディアナ。あぁ、ジムは捕縛命令が出ていた盗賊団の様子を見張っている最中に、ディアナが婚姻を申し込まれたことを耳にしたらしい」
「おかげさまで難航していたところを、ディアナのために帰らなければという一心で、正面から強行突破して一瞬で仕留めて帰ってきたらしいわ」
「お兄様……、怪我がなくご無事で何よりですが、私より婚約者様を優先してください」
その言葉でようやくお兄様がガバッと顔を上げ、嘆くように声を上げた。
「もちろん! 彼女には一番最初に会いに行ったさ! そうしたら、『暑苦しいから早く妹のところへ行け』と!」
(あぁ、お義姉様はツンデレだから……)
ジムお兄様とお義姉様は、結婚秒読みなほど仲睦まじい(だから私もお義姉様と呼ばせてもらっている)。
と言ってもお兄様がこんな感じで、お義姉様はしっかり者だけどツンデレだから、夫婦漫才感がいつも凄いのだけど。
「それで!? 我が妹ディア、もちろん婚姻はお断りしてきたんだよね!?」
「あ、そのことですが……、OK、してしまいました」
「!!!!!」
ふらり。お兄様の身体が傾き、そのまま倒れる。
「えっ、お、お兄様!?」
驚きのあまり倒れてしまったお兄様に、私は内心頭を抱えた。
(こうなることが分かっていたからお兄様には言いたくなかったのよ……!)
すぐに意識を取り戻したお兄様を応接室に連れて行き、私は家族からの尋問を受けていた。
「それで? どうしてあれほど断ると言っていた婚姻を受け入れることになったんだ?」
「まさか公爵様に脅されたんじゃないだろうな!?」
「ち、違います!!」
お父様に続くお兄様のとんでもない発言に、ブンブンと首を横に振る。
そして、ルーファス様とお話しして決めた作戦を決行した。
「ルーファス様は、とても紳士的で素敵な方でした。
……確かに私は、ルーファス様のことをこれまであまり存じ上げなかったのですが……、ルーファス様が私に“一目惚れ”だと仰っていただいたそのお姿に惹かれて。
気が付けば頷いておりました」
「「「!」」」
顔を赤らめるのは難しいかもしれないけれど、うつむき加減で目は上目遣いに、もじもじとして見せれば。
(どう!? 恋しているように見えるでしょう!?)
どれも前世の漫画のあざとい系キャラの受け売りですけどね!!!
そうチラッと家族を見やれば、お兄様はふるふると肩を震わせたかと思うと。
「お前は騙されているっ!」
「!?」
「そんないっときの感情は愛と呼ばない!
何が一目惚れだ! 21にもなって!」
(あぁ、お兄様は本当に面倒くさい……)
それでもここで挫けてしまったら太郎に……、い、いえ、もちろんルーファス様にも申し訳ない。
だからこの決断は、たとえ家族にさえも譲れない。
(全ては太郎と過ごすこととルーファス様のお役に立つため!)
そう気合いを入れ、何とか説得を試みようと口を開きかけた私に、お母様が言った。
「あなたにとって公爵様は?」
「え……?」
思いがけないお母様の言葉に目を見開くと、お母様はじっと私を見つめて続けた。
「公爵様はどのようなお方に映ったの?」
「ルーファス様は……」
思い浮かんだのは、前世読んだ小説に出てくるルーファス様の好きなところ。
「一見冷たく見えるけど、本当は優しくて温かいんです。自分のことより他人のことを優先しているところも、それを無自覚で行なっているところも」
それは人間だけでなく、犬である太郎に対しても同じだった。
そんなところがやっぱり格好良いと思ったし、さすがルーファス様! とも思った。
だから。
「この方と結婚したら幸せだろうなと。そう思ったのです」
太郎とルーファス様と暮らせたら、間違いなく楽しそう。
思わず笑みを溢してそう言うと。
「……ちゃんと好きじゃないか」
「え?」
お兄様が何と言ったか聞こえず首を傾げれば、お母様はにこりと笑って口にした。
「合格よ」
「えっ……」
「何よりあなたがきちんと考えて決めた将来のための結婚だもの。
私達が反対することはないわ。ねえ、あなた?」
「そうだな」
お母様の言葉にお父様が頷く。
「そ、それじゃあ」
私の言葉に、お母様が笑って頷いた。
「結婚を認めます。ディアナ、幸せになりなさい」
「……っ、はい!!」
家族に認めてもらえた。
それが何より嬉しくて、私は満面の笑みで頷いたのだった。
それから更に二週間後。
「……そうか、そんなに大変な思いをさせてしまったのか。すまなかった。せめて俺が屋敷に直接伺えていれば」
「い、いえいえいえ! ルーファス様のお手を煩わせるわけには参りませんし、むしろルーファス様がいらっしゃった方がめんど、じゃなかった、大変なことになっていたかと!」
「そ、そうか」
向かいの席にルーファス様、私の膝には太郎と、この前と同じような形で無事に両親から結婚を認めてもらえたことを報告すれば、ルーファス様は私の膝にいる太郎に目をやり言った。
「君が頑張ってくれたおかげで、婚姻届も無事に受理され、本日付で俺達は夫婦になった」
「ふ、夫婦」
思わず反芻した言葉にルーファス様は頷く。
(そ、そっか。そうだよね、愛のない契約“結婚”したんだものね……!)
しかも、お相手はこの目の前の……。
「何か俺の顔についているだろうか?」
「い、いえ!」
「そうか。……で、こちらが一応新たに作成した契約結婚取扱説明書だ。それを一通り読み終わったら、いつでも良いからこちらにサインして欲しい」
「とりせつにサイン……」
新たな『契約結婚取扱説明書』。
相変わらず分厚いけれど、その表紙に書かれていたのは。
「『お世話係兼お飾りの妻』……」
「そう。それが君の仕事だ。それ以外は自由。必要な物は全て都度揃えるから言ってくれ。……それと」
「!」
スッと手を差し伸べられる。
驚いている私に、ルーファス様は言った。
「これから改めてよろしく頼む。ディアナ」
当たり前のように私の名前を呼び捨てにするルーファス様。
(そうよね、私はお飾りの妻だもんね)
膝に座っている太郎を見れば、こちらを見上げる黒い瞳と目が合う。
(うん、私は太郎のためにも頑張るんだ)
小さく頷き、差し出された手を取る。
そして。
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
「わんっ!」
こうして、私とルーファス様と太郎の暮らしが始まりを告げたのだった。