33.
「ルーファス様、私達は一体どこへ向かっているのでしょう?」
ガタゴトと揺れる馬車の中でそう尋ねれば、ルーファス様は膝の上に乗せているタロウの頭を撫でながら答える。
「まあまあ。もうすぐ着くから」
「この前からそればかりですよ?」
そう言っている間に、馬車がゆっくり停車する。
ルーファス様は馬車から降り、タロウを地面に下ろすと、私に手を差し伸べた。
「手を」
ルーファス様の言葉に恐る恐る手を伸ばせば、ルーファス様は私を丁重に馬車から下ろしてくれる。
あれから一週間程が経ち、何とか多少の痛みを堪えれば歩けるようになった私がルーファス様に連れられて馬車で向かった先は、少し高くなかった坂の上に立つお屋敷のようで。
「……ここは?」
「バーネット男爵の屋敷だ」
「バーネット……?」
聞いたことのない男爵家の名前に首を傾げれば、ルーファス様は笑みを浮かべる。
「最近男爵位を買った新興貴族だ」
「だから、聞いたことがなかったんですね」
私の言葉にルーファス様が頷いた瞬間、不意にタロウがお屋敷に向かって一目散に駆け出す。
「ワンワンッ!!」
リードを持っていたルーファス様はそれにつられて走り出したから、私は慌てた。
「え!? ちょっ、タロウ!? ルーファス様、待ってください!!」
まだ足の痛みがあって早くは走れない!
と、早歩きで坂を登っていくと、タロウは屋敷の前にいた男爵夫妻らしき人達に甘えて擦り寄っていた。
その光景が何だか見覚えがあって、思わず立ち止まってしまった私に、夫妻は気付いたらしい。
そして。
「…………藍香?」
「…………!!」
その名前に、私はハッと目を見開く。
藍香。
その名前を、もう二度と呼ばれることはないと思っていた。
だって、この世には誰一人、もうその名前を知っている人も、呼んでくれる人もいない、そう思っていたから。
この世界の私はもう、ディアナという名前で第二の人生を歩んでいる。
でも、藍香も間違いなく、私の……前世の名前で。
(じゃあ、今私の名前を呼んだこの女性は……)
導き出された答えに、私は震える声で前世ぶりにその女性に向かって口にする。
「……お母さん?」
私の言葉に、お母さん……そして、隣にいるのがお父さんなのだとタロウの態度で気が付いた時、二人は目に涙を浮かべて言葉を返した。
「「おかえり」」
「…………っ!!!」
その言葉を聞いた瞬間。
私はルーファス様の前だというのに、まるで子供のように、忘れていた涙を溢して声を上げて泣いてしまうのだった。
両親と惜しみながらも別れ、私の膝の上で寝ているタロウの頭を撫でながら、隣に座っているルーファス様に尋ねる。
「本当に、驚きました。まさかルーファス様が私の前世の両親を見つけてくださったなんて」
「俺も驚いた。俺はただ、君のことを知りたくて、“転生”という言葉が何なのか、知っている人物を募ったんだ。
そうしたら、バーネット男爵夫妻だけが名乗りを上げてくれて。
話を聞いているうちに、ちょうど前世で娘を亡くして、その子もこれが大好きな小説の世界だと言っていたから、どこかにいるんじゃないかと思って探していると聞いて」
「合点が、いったんですね」
ルーファス様の頷きに、私はまた泣いてしまう。
「やっぱりルーファス様は凄いです。さすが、私の推し……」
「……迷惑かと最初は思っていたんだが」
「まさか! 迷惑なんて思いません!
むしろ、感謝しかありません」
最近ではあまり見ることがなくなっていた前世の夢。
それは多分、少しずつ前世の記憶を忘れかけていたからだと思うし、でもその記憶が薄れていくのを恐れる自分がいた。
「私、怖かったんです。前世の記憶を無くしたら、前世の家族はどう思うんだろうとか。
お母さんとお父さんを忘れるなんて、とんだ親不孝者だって……」
だから、“おかえり”と。
あの日聞けなかった……もう聞くことはないと思っていた言葉の数々に、心が震えた。
(あの日呆気なく命を手放してしまった自分を、少しだけ、許してあげられそうな気がする)
「だから、ルーファス様のおかげでまた前を向けそうです。ありがとうございます、ルーファス様。
私、今が一番幸せです!」
そう笑みを浮かべて言うと。
「……俺は、君をもっと幸せにしたい」
「え?」
思いがけない言葉に顔を上げる。
ルーファス様は、そんな私から目を逸らさずに言った。
「今が一番幸せだと笑ってくれる君を、誰よりも一番近くで見守りたい。この気持ちは、一生変わらない」
「っ、それって……」
ルーファス様もまた、タロウの背中を撫でながら言った。
「俺は、“運命の出会い”に気付くのが遅かった。
こんなに近くにいたのに、“愛の女神の悪戯”やタロウ……、いくつも積み重なった奇跡が、ようやく俺の気持ちに気付かせてくれた。……契約結婚を持ちかけておきながら、我ながら、情けない話なんだが」
そんなことない、と言おうとしたけれど、声になってくれなくて。
首を勢いよく横に振ると、ルーファス様は少し低い声音で笑う。
それから言葉を続けた。
「この前の夜会で、君は恋愛を“自由”だと言った。自分には恋愛は出来ないと思う、と。
あの気持ちは、まだ変わらないか?」
「っ……」
違う。もうとっくに気付いている。
確かに前はそうだったけど、今心に芽吹いている気持ちは、もう嘘をつけないところまで来ていると。
意を決してそう口にしようとした私の唇に、ルーファス様の人差し指が触れる。
驚く私に、ルーファス様は口にした。
「まずは俺から、先に言わせてほしい。
……俺は、ディアナのことが好きだ」
「…………!!」
真っ直ぐで飾り気のない言葉が、私の胸に真っ直ぐに届いて、まるで花火のように心を震わせる。
そして。
「俺にとっての“恋愛”は、ディアナ、君の存在だ」
「…………ルーファスさまぁ!」
「わっ!」
耐えきれなくなってルーファス様の胸に飛びこむように抱きつけば、ルーファス様は笑って私の背中を優しく叩いてくれる。
「困ったな。泣き止んでくれないと返事が聞けないんだが」
「っ、好きです、私も。ルーファス様のこと、推しとしても、恋愛の意味でも大好きです……!」
「はは、推しからは外れないか」
「それはもう!」
私はパッとルーファス様から離れると、笑みを浮かべて言った。
「きっと私は、ルーファス様に出会うためにこの世界にやってきたんだと思いますから!」
「!」
悲しいことも辛いことも、沢山経験した。
それでも前を向いて来られたのは、目の前にいる推しであり大好きなルーファス様が、いつだって側にいてくれたから。
だから。
「私、ルーファス様のことが大好きです!」
「! ディアナ……」
そう口にしたルーファス様の瞳か、不意に真剣な色を帯びる。
(っ、これって……)
その瞳から逸せなくなってしまう私の顔に、ルーファス様の顔が近付いて……。
「わんっ!」
「「!?」」
まるで「僕もいるぞ!」と言わんばかりに、タロウの頭が私達の間から顔を出す。
その小さなモフモフ頭を見て、私とルーファス様は思わず笑ってしまう。
「ふふ、タロウ、仲間外れにされると拗ねちゃうんです」
「今のは空気を読んで欲しかった、という気持ちもあるが……、まあ、タロウには頭が上がらないからな」
「違いないですね」
そう言って笑うと、二人でタロウの頭に左右から口付けを落とす。
そうしてまた、顔を見合わせて声を上げて笑ったのだった。
次回最終話です!