25.
(ルーファス視点)
「え!? 今日はルーファス様もご一緒に!?」
ディアナの悲鳴交じりの言葉に、俺は頷いて言った。
「あぁ。俺は女性とダンスを踊ったことがないから、練習が必要だと思ったんだ」
そう告げた俺に対し、彼女はひぇええと奇声を上げ、顔を真っ赤にするものだから思わず笑ってしまう。
夜会まで後数日に迫った今日、何とか時間を作ることが出来た俺は、ディアナとダンスレッスンを共に受けることになった。
ディアナと仮初といえど夫婦になったからには、踊ることは絶対であり、複数曲踊る必要がある。
そのために、こうして時間を作って彼女とダンスレッスンを受けることになったのだが。
「わっ、私上手く踊れる自信がなくて……っ」
「俺も女性と踊ったことはないから、お互い様だと思うが」
「踊ったことがない!?」
ディアナに驚かれ、俺は苦笑いをして言う。
「自分で言うのも何だが、俺はとても目立ってしまうらしい。女性から幾度となく誘われることはあったのだが、誰かの手を取ってしまえば他の女性とも踊らざるを得なくなると」
「そ、それは……大変ですね……」
確かに、とポツリと呟かれた言葉は、何か思い当たる節があるということだろう。
(前世の物語中に俺が描かれていたのだろうな)
ちなみに、俺について彼女は何を好きだと思ってくれていたのだろう。
小説には余程魅力を感じるようなことが描かれていたのだろうか?
(……いや、俺の学園生活がそんなはずはない)
この国の、しかも俺達の学園生活が舞台となった小説があるなんて不思議なことだが、あれから毎晩彼女の口から語られることは、確かに学園に通っている俺達しか知らない思い出ばかりで。俺まで懐かしいなあなんて思いながらタロウとして聞いているのだ。
そんなことを考えている間に、ダンスを教えてくれる教師から開始の合図が送られる。
向かい合ってそれぞれ礼やカーテシーをすると、手を取り合い、音楽に合わせて踊り始めたのだが。
「ディアナ、心配はいらない。よく踊れていると思う」
「そ、そうですか!? 良かったです!」
「!」
安心したのか、満面の笑みを浮かべる彼女を直視することが出来ず、そっと視線をわずかに逸らす。
(タロウ化している際に彼女との距離があまりにも近いから、距離感には大分慣れたと思っていたが……、やはり慣れるものではないな)
彼女がタロウに向ける目は、慈愛に満ちており、心から大切にしていることが分かる目をしているが、そんな彼女が俺に向ける目は、当たり前かもしれないが全く違う。
俺に対して向ける目は、その都度変わるのだ。
時にはキラキラとした瞳を、時には柔らかな瞳を。
そして今は……。
「!」
不意に目が合い、戸惑ったように逸らされる視線。
その頬はほんのり上気しているのが分かる。
そう、観劇に行ったあの日から、彼女の様子がおかしい。
というのも、その理由は何となく分かっていた。
それはきっと、俺と同じ理由でいてくれているのではないかと。
(だが、せっかく一緒にいるのに何も話さないまま終わるのは勿体無いのではないか?)
お互いをもっとよく知るためには、言葉を交わすべきだと、俺は気になっていたことを口にした。
「そういえば、ディアナも夜会でダンスを踊るのは初めてなのか?」
「い、いえ、踊ったことはあります!」
ディアナの返答に、一瞬息を呑んでしまう。
(誰だ、そいつは)
この手を取ったのが自分だけではないと思った瞬間、嫌な気持ちが心を支配しそうになったのだが、そんな俺の耳に彼女の困ったような声が届く。
「私の兄とです」
「! ……そうか」
兄。その単語を聞いた瞬間、思わず顔が綻んだのを彼女は見過ごさなかったようで、彼女は困ったように笑って言った。
「笑みを浮かべられたということは、想像がつきますよね?」
「え?」
「あの兄と踊るんですよ!? この私が、あの兄と対等に踊れるとは誰も思いませんよね?」
ジムさんは彼女とは似ても似つかないほどの筋肉隆々の体型をしており、確かに華奢な彼女と踊っているところが想像がつかない。
そう思い、素直に頷けば、ディアナは頬を膨らませて言葉を続ける。
「そうなんですよ。あの兄が私に合わせてくれるわけがないんです!
それなのにお父様ったら、私のデビュタントを兄と踊らせるなんて……、お陰様で兄が私を振り回す構図が出来て、大変悪目立ちをしてしまったんですよ!」
「たとえば、どんな?」
「上げたらキリがないんですけど、まずは……」
そう言って話し始めたディアナの口から飛び出る、不満の数々。
その内容はもちろん大変そうだなと思いつつ笑ってしまったのだが、それよりも。
(あぁ、やはりディアナは可愛いな)
コロコロと表情を変えて話す彼女の姿は、ずっと見ていても飽きない。
それでいて話し上手だから、彼女と過ごす時間は本当にあっという間だと、最近は特に思うようになった。
「極め付けは、最後に私の腰を軽々と持ち上げたんです!
兄は身長もありますから、持ち上げられたら更に衆目に晒される上、何より地面が遠くて怖かったんです」
そう唇を尖らせて言う彼女の姿に、思わず笑ってしまう。
それを馬鹿にされたと思ったのか、ディアナは「笑い事ではないんですよ」と少し拗ねたように言った。
「兄は大男ですから、そんな兄に持ち上げられたら、普通の女性なら気絶します」
「そんなに怖かったのか」
「それはもう! お義姉様には絶対にしないよう厳重注意しておきました。
さすがにあんなことをしたら、今度こそお義姉様に婚約解消をつきつけられてしまいます」
その言葉に余程怖かったんだろうな、と思いつつ口を開いた。
「そうだな、確かに君は華奢だから、気を付けて接しないと怪我をさせてしまいそうで怖い」
そう本音を漏らせば、彼女は目を丸くした後慌てたように言った。
「い、いえ、さすがにそんな割れ物みたいに」
「いや、俺にとっては君は割れ物同様繊細で、それでいて綺麗だと思う」
「き、きれ……!?」
本音を口にしただけだというのに、彼女は真っ赤になって狼狽える。
そして彼女は、動揺したまま訴えた。
「そ、そういう言葉は、女性に対して仰らない方が良いと思いますよ」
「なぜだ?」
「か、勘違いされてしまいます!」
「勘違い?」
何のことだと首を傾げれば、彼女はうつむき加減で小さく教えてくれた。
「……ルーファス様が、自分に、その……気があるのではないかって……」
「ごめん、聞こえなかったからもう一度言ってくれないか」
そう催促すると、彼女は今度こそ真っ赤になって狼狽えると、食い気味で言った。
「自分で考えてくださいっ!」
そう言ってまた黙り込んでしまった彼女の顔は見えないが、その耳元が赤いことに気が付き思ってしまう。
(……やはり、可愛い)
『気があるのではないかって……』
本当はその言葉が聞こえていたのだが、あえてもう一度と言ってしまったのは、そんな彼女の反応が可愛かったから。
(あぁ、駄目だな)
契約結婚と言っておきながら、こんな感情を自覚してしまうなんて。
(そういう君も、勘違いしてくれたのだろうか)
俺としては、勘違いしてほしい。
……いや、正確に言えば勘違いなどではなく。
(抱えているこの感情は全て、君にしか思わないことなのだから)