02.
そうして、前世の悲劇を数日間かけてようやく飲み込んだ私は、再度今世の両親と向き合っていた。
「ディアナ、体調はもう大丈夫なのか?」
心配そうに尋ねてきたお父様の言葉に、私は微笑みを浮かべて頷く。
「はい、もう大丈夫です。ご心配をおかけしました」
そう謝りながら頭を下げると、両親は顔を見合わせて首を傾げる。
「何だか、雰囲気が変わったわね?」
お母様の鋭い指摘に、首を横に振って答える。
「そんなことはないと思います」
そう言いつつも、前世と今世二人分の記憶がある今、確かに私は変わったかもしれない。
前世の記憶の最期を思えば、なおさら。
でもここで、挫けてばかりではいけないと立ち直ることにした。
(いつまでもウジウジしていたら、前世の家族にも今世の家族にも申し訳ないもの)
それに、こうして前世の小説の中で二度目の人生を送ることになっているのも、神様……もしかしたら、この国の愛の女神様の思し召しなのかもしれない。
(なんて、考えすぎかもしれないけれど)
少なくとも、私はこの世界で前を向いて生きていかなければいけない。
前世の家族のためにも、今世の家族のためにも。
そんな私に、お父様が困ったように口を開く。
「まだ病み上がりのディアナには酷なことだが、例の婚姻の申し入れの件は、体調が優れないことを理由に保留にしてもらっているんだが」
「そうなのですか!?」
「えぇ、無理を承知でお願いしたのだけど、公爵様からきちんとご承諾をいただいたわ」
続くお母様の言葉に内心頭を抱える。
(待って、私が熱を出して寝込んでいたのが十日だから……)
「少なくとも十日以上お待たせしてしまっていると?」
「そうね、そうなるわね」
何てこと、と内心悲鳴を上げる。
(公爵様相手にお返事を十日以上もお待たせしているなんて……)
正直前世の記憶から立ち直ったとはいえ、今は結婚など考えられない。
それも、恋愛結婚が尊重されている国で結婚なんて。
(前世でだって一度もリアルに恋愛なんてしたことがないのよ!? 彼氏いない歴=年齢の私が、色々すっ飛ばして結婚なんて!)
だけど、今置かれている状況がそう簡単に断れる問題でないことは分かっている。
「……あの、お父様とお母様。少しご相談が」
そして。
「うぅっ、緊張する……」
豪奢な馬車の中。私は一人、そわそわと落ち着かない心地でいた。
理由は一つ。今向かっているのは、他でもない婚姻を申し入れてきた公爵様……ルーファス・ウィンター公爵様の元へ向かっているのだ。
どうしてこんなことになったかというと、公爵様に謝罪をした上で体調が戻ったことを伝えたところ、直接会って一度話し合いたいと言ってきたのだ。
しかも。
(二人きりで……!)
一体何を二人きりで話そうというのだろうか。
両親もとても驚いていたけれど、公爵様相手に十日以上も返事を待たせてしまったのだ、直接会って断る方がまだ良いだろうと結論づけ、承諾し、今日に至るのだけど。
(前世の最期のインパクトが強すぎて忘れていたけど、これからお会いするのは筆頭公爵家の公爵様というだけでなくて)
私にとっては、前世の小説のキャラ、それも推しにお会いすることになるのよね……。
ルーファス・ウィンター。
ミッチェル王国の由緒ある筆頭公爵家・ウィンター公爵家の嫡男……のはずだったけど、小説のその後の世界だからか、現在は跡を継ぎ公爵となっている。
性格は寡黙で冷静。勉強をする時のみ眼鏡を着用していたインテリキャラとしても人気を博したのだけど、人当たりが誰に対しても変わらず冷たいことから、好き嫌いがはっきりと分かれたキャラクターでもあった。
だけど私は、そんなルーファス様が好きだった内の一人。
その理由は。
(ルーファス様だけ、恋愛結婚が叫ばれる世界で誰とも恋愛をしなかったから)
ルーファス様には自分がある。
ヒーローとは友人だったから、そんなヒロインと彼の恋愛を見ていても、最後まで“愛情とは何か”を疑問視していた人物だった。
そのため、私が読んでいた最終巻では、『生涯独身を貫いた』の一文が載っていたはずなんだけど……。
「どうして私が、そんなルーファス様に婚姻を申し込まれているのかしら?」
小説のシナリオが変わっている?
それとも、未プレイの乙女ゲームでは展開が変わっている?
「それか、今の私のようにルーファス様が他の方に婚姻を申し入れていたけれど、どれも断られた、とか?」
……ルーファス様の性格を考えたら、こっちの線の方がありそうだと思ってしまう。
「まあ、私もその内の一人なんだけど」
ルーファス様には本当に申し訳ないけれど、私に結婚が出来ると思えない。
それも、恋愛結婚が叫ばれる世界で恋愛が出来るとも思えないし、それに。
(明らかに攻略難度が高いルーファス様と恋愛が出来るとは到底思えないわ!)
心臓にも悪そうだし……。
なんて遠い目になりかけている内に馬車が止まる。
どうやら目的の場所に着いたらしい。
(……よしっ!)
何としてもこの婚姻、お断りしなければ。
そう気合いを入れ、馬車の扉が開いた先、視界に飛び込んで来たのは。
「……!!」
まさか。こんなに早く小説の世界にいる人物が目の前に立っているとは思わず、私は椅子に座ったまま口を開けて凝視してしまう。
艶めく漆黒の髪に薄い青の瞳。
涼やかな目元も美しい鼻梁も薄く形の良い唇も、どこをとっても中性的なまでに美麗な顔のパーツに加え、正装も相まって完璧な出立ち……、それはまた、所作や声一つとってもそうだった。
「ディアナ・バート嬢ですね。ようこそお越しくださいました」
そう言って優雅に私に向かって手を差し伸べたルーファス・ウィンター様は、小説でのあの冷たさはどこへやら、雪解けの花のような笑みを湛えて、戸惑う私の姿をその瞳に映し出したのだった。