15.
……って。
(待て待て待て待て!?)
一体何が起きている!?
(落ち着け、俺!)
何事にも動じないと言われた俺が、らしくないだろう!
……いや、この状況を動じるなと言う方が無理があるよな!?
(一回状況を整理しよう。確かに俺は、ディアナと晩餐を終え自室に戻り、寝る支度をしてそのまま自室で寝た……はずだよな!?)
それなのに。
(なぜ俺がディアナの部屋のベッドで寝ているんだ!?)
間違いない。
いつもより効いている鼻で、この部屋はディアナの部屋だと、彼女の香りが部屋に充満していることに確信し……って。
(バカバカバカ、彼女の香りって何だ!? いくらなんでも気持ち悪いだろう!?)
と、とりあえず誰にも気が付かれないうちに部屋へ戻ろう!
間違いなくその……、“間違い”は起こっていないはずだ!
だから大丈夫だと自分に言い聞かせつつ、間違いが起きていないとはいえディアナに謝罪しながら、ベッドから降りようとして……、気が付いた。
(……モフモフ?)
自分の手が、自分の手じゃない。
そう、それは……。
(タロウの手!?!?)
つまり俺は。
(タロウの姿になっている!?)
待て、落ち着け。そんな馬鹿なことがあるわけがない。
(夢なら覚めろ、覚めてくれお願いだから……!)
「……タロウ?」
「!!」
不意に届いた、普段より無防備で寝ぼけたような声。
確認のため、恐る恐る振り返った俺の目に映ったのは。
「っ!?」
上半身を起こした姿が、これまた無防備すぎるほど胸元がはだけてしまっている、寝ぼけ眼のディアナの姿で。
そんな彼女は、間違いなく俺に向かって言葉を発した。
「タロウ、どこ行くの?」
「わん……(どこって……)」
間違いない。彼女の姿に映る自分はタロウ、そして自分が発した言葉は、全てタロウ……犬としての言葉に変換されてしまう。
そのことに驚きを隠せず戸惑う俺に向かって、ディアナは……腕を広げて言った。
「こっちへおいで」
「わん!?(は!?)」
ディアナの突然の言葉に躊躇ってしまう俺に、ディアナは必死な声で言う。
「お願い。……今日は、一緒に寝たいの」
「っ!?」
(待て待て待て待て、ちょっと待て!?)
パニック状態に陥る俺だが、彼女の目に映るのはあくまでタロウ。
そしていつもなら喜んでその腕に飛び込んでいくはずのタロウが、彼女の言うことを聞かないことに、ディアナは不意に顔を歪めて……。
「……っ、タロ……」
泣き出してしまった。
(え、あ……)
そのまま顔を覆って泣き出す彼女の姿に、心がズキリと抉られたように痛む。
それでも中身が俺では彼女の元へ行くことは出来ず、戸惑っていると。
「タロウも、怒っているよね」
「くぅーん……?(え……?)」
何のことかわからず狼狽える俺に、ディアナは泣きじゃくりながらその先の言葉を続ける。
「急にいなくなったんだものね、私、酷い飼い主だよね……。謝っても、許されないよね。だって私は……、全部、捨てたも同然だものね……っ」
そう言って顔を覆って泣き出すディアナを見ていられなくて。
「っ、え……」
先程まであれだけ躊躇っていたのにもかかわらず、咄嗟に彼女の側に駆け寄ると、その膝に手を載せた。
それによって、反射的に顔を上げた彼女との視線が至近距離で交じり合う。
(あ……)
その近さに思わず後退りしようとしたが、不意に伸びてきた彼女の手がそれを許すどころか……。
「!?」
俺の身体をギュッと抱きしめた。
そしてそのまますり寄るようにして口を開く。
「そうだよね……。ごめんね、自分に自信が持てない不甲斐ない私で。
大丈夫、朝にはちゃんと、いつも通りの私に戻るから……。
だから今だけ、弱気な私を許して……」
(わわわわわわ)
そう言って彼女は、タロウの俺を抱きしめたまま横になる。
そして、慌てる俺をよそに彼女は瞳を閉じると、そのままスゥッと静かに眠りについた。
(……一先ず良かった。彼女の涙が収まって……)
彼女が何を言っていたのか終始分からない。
だが、いつも元気な彼女が涙を浮かべ、必死に謝るその姿は、見ているだけで心が痛んだ。
そしてきっと、こうして眠りにつく度にこの状態になっているのだろう。
(俺に、何が出来る?)
彼女の涙を拭う資格が俺にはない。
……それに。
(今起きているこの状況を説明する方が、彼女を戸惑わせてしまうだろう……)
俺だって今置かれているこの状況が何なのかさっぱりわかっていない。
そしてこの状況を、上手く説明出来る自信が到底なかった。
(……やはり疲れているんだ)
寝よう、と思い目を瞑ってはみたものの。
(……困った)
何が困るかって、ディアナとの距離だ。
タロウだと安心しきっている彼女の腕の中にいる状態で寝ろと言われても無理がある。
……俺とは違い、温かく柔らかな包容力があり、それでいて花のような優しい香りが……。
(って、待て待て待て本当に変態か俺は!!)
こうして、タロウに成り代わってしまった俺は、彼女の腕の中でされるがまま、まるで罪人よろしく夜更けを待つことになる。
そして。
「……はっ」
あんな状況にも拘らず、呑気なことにいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
目を覚まし、慌てて自分の手を確認する。
そして、大きく息を吐いた。
「夢か……」
それにしても、とんでもない夢だった。
恐ろしく心臓に悪すぎる夢。
「そう、夢だ。あれは夢で……」
そう自分に言い聞かせてはみたものの、心に浮かぶのは彼女の泣き顔。
(……やはり、あれは夢ではない……?)
だとしたら。
「それはそれで合わせる顔がないぞ、俺……!」
もうすぐやってくる朝食の席。
彼女もその席に来るはずで。
「っ、どんな顔をして会えば良いと言うんだ……」
そんなグチャグチャで複雑な心境を抱え、先程から忙しなく鳴り続けっぱなしの心臓辺りをギュッと押さえたのだった。