12.
翌朝。
「おはようございます」
「……おはよう」
そう言って起きてきたルーファス様は、まだ少し眠そうで。
(あら、意外ね。小説中では『目覚めは良い方だから授業中に眠くなったりもしない』と仰っていたけど……)
「ルーファス様、寝不足ですか?」
思わず尋ねた私に、ルーファス様は肩を揺らした後、慌てたように言った。
「い、いや、大丈夫だ」
「そうですか?」
ルーファス様はろくにこちらと目を合わせず、足元に寄って来たタロウに「おはよう」と声をかけて頭を撫でる。
その光景を見て、すぐに“タロウにもきちんと挨拶するルーファス様…!”と推し活モードに頭が切り替わっていた私に、ルーファス様からも尋ねられる。
「そういう君も、しっかり眠れたか?」
「はっ、はい! おかげさまで!」
ベッドはふっかふか、タロウとも一緒に眠れたしね!
(相変わらず前世の夢は見るけど、夢から覚めて隣を見ればタロウがいてくれるから大丈夫)
そう結論づけて笑みを浮かべれば、ルーファス様は「そうか……」と小さく呟くように言う。
それに対して、私はそういえば、と口を開いた。
「早速今日からお世話係のお仕事をさせていただきたいのですが……、まずルーファス様にはこちら、挙げて頂いた“改善して欲しいこと”を元に、いくつか改善点や考えられる原因をまとめてみました」
「さ、早速目を通したのか!?」
「は、はい。まだ契約内容については目を通せていないのですが、せめてタロウの生活環境を整えなければと……」
「……君は本当にタロウ優先なんだな」
「お世話係ですので」
(タロウは前世からの私の大事な家族だもの、今度こそタロウを幸せにしてあげないと)
きっとこの世界で犬が生きていくためには、まだまだ知識や情報が不足しているはず。
だから、持っている前世の知識を上手く活用して、少しでもタロウが安心して暮らせる環境を作ってあげたい。
そのために、今朝は少し早起きして、メモ書き程度だけど改善策や考えられる要因を書き出してみたのだ。
ルーファス様はそのメモを受け取ると、一つ一つ読み上げる。
「一、散歩をしても歩かない。これは、信頼度によるもの。ルーファス様のことだけを信頼している証。……そうなのか?」
「わん!」
ルーファス様は足元にいるのであろうタロウを見る。
その顔は、嬉しそうに少しだけ口角が上がっているのも分かる。
その気持ちは凄く分かるのだけど。
「ルーファス様、嬉しいお気持ちは大変よく分かるのですが、私やルーファス様にしか仮に懐かないとして、私達がもしお散歩に行けないということが起きたら、タロウは誰とも歩かなくなってしまいます」
「そ、そうか……」
そう、これも前世で私が直面したこと。
飼い始めたばかりの頃、私としか散歩に行かなかったせいで、ある日私が体調を崩して行けなくなった時、お母さんに代行を頼んだらなんと一歩も歩かない……なんてことが起きてしまった。
最初は調子が悪いのかと思っていたけど、その後もはや家がドッグランなのではないかというくらい走り回っていたから、元気がないわけではなく、ただ単にいつもお散歩に私としか行っていないからではという結論に至った。
「ですので改善策としては、私達以外にもお世話係が出来そうな方……、出来れば、犬や小動物が好きな屋敷の人達にタロウと日頃から触れ合っていただく、という形でいかがでしょう?」
「好きな方が良いんだな?」
「嫌いな方や苦手な方とでは、お互いに嫌な印象しか与えあわないと思いますので。
タロウも人の目を見て、自分のことを好きか嫌いかどうかは見極めています」
好意的な視線か、嫌悪の眼差しか。
タロウは物凄く敏感で、特に嫌悪の眼差しを向ける人とは絶対に視線を合わせなかった。
(無理もない、人にだって誰だって好き好きがある。吠えられたり噛みつかれたりされるのではないかとか、トラウマがあったりするとそうなるのは当たり前なこと)
だから、タロウもそれをきちんと分かっているから、無理なく一緒にお世話が出来る人に頼みたい。
(もちろん、私は一番のお世話係だもの、手は抜かないけれど)
「先程申し上げた通り、万が一のことを考えてお任せできる人達をルーファス様に考えていただけたらと思います」
「分かった。君の言う通りにしよう」
「ありがとうございます」
正直、皆がお手上げ状態だったタロウのお世話をする人を他にも、なんて断られるかなと思っていたから、良かったと内心ホッとする。
そして、昨夜から考えていたことを口にする。
「それと、もう一つお願いが……」
「ディ、ディアナ様がお料理を!?」
料理長のノーマンの言葉に私は頷く。
「タロウの分だけ食事を作らせてもらえないかと思って」
「公爵様からご承諾頂いているのであれば大丈夫ですが……、何かお手伝い出来ることはありますか?」
(その言葉を待っていました!)
私は笑みを浮かべると、持っていたメモをノーマンに渡す。
「これを」
「こちらは?」
「タロウが食べられる物と食べられない物を思いつく限り書き出してみたものよ」
「こっ、こんなにあるのですか!?」
「えぇ」
私の言葉に、ノーマンは驚きを隠せないようで、そのメモを凝視している。
(やはり知らなかったようね)
無理もない、人間のご飯しか作ったことがないだろうし、犬の食べ物なんて把握していないだろう。
犬にとって有毒なのは、主に玉ねぎやネギといったネギ類、香辛料やアルコール、骨も内臓を傷付けるといけないからNG。
後、チョコレートもそうで、それらは全て消化しきれずに病気になったり、最悪の場合は死に至ってしまう……などなど、結構な数があって。
(一応ルーファス様に、この世界に犬の食べ物……ドッグフードを作っている人がいないか調べてもらっているけれど……、反応を見るからに望みは薄いわね)
ということは、私達が手作りしなければならないということで。
「タロウ……犬の好みの食べ物は熟知しているけれど、私にも限界がある。そこでお願いしたいのが、その食材の一覧を見て、ノーマンにタロウ用のレシピを考案して作っていただきたいの」
「タロウ用のレシピの考案……」
「えぇ」
前世でも犬用のレシピは沢山あった。
スマホで調べただけでも沢山出てきたし、私もいくつか作ってみたけれど、数種類しか調理法を覚えていない。
(その中でも、特にタロウが好きなのは鶏肉のささみ。今日はそれを使って作ろうと思うのだけど)
材料はささみ、人参、ブロッコリーとキャベツ。
前世では、合うペットフードがまだ見つかっていない段階で試行錯誤してあげたところ、この組み合わせが一番好んで食べていた。
「気を付けていただきたいのは、調味料を使用しないこと」
「全くですか!?」
「えぇ。味の濃いものは犬にとって身体に毒なの。一度与えると欲しがったりもするしね。今日のご飯だって、いつもあげてくれていたものとは違って味付けをしないから、もしかしたら食べてくれないかもしれないわ」
そう言って肩をすくめてから、それらを小さく刻み、肉→野菜の順番で沸騰したお湯に入れる。
「それと、加熱した方が滅菌にもなるから、加熱調理で。
あとはお肉に骨がないかよく確認して欲しいことと、タロウは身体が小さいから量はそこまで必要なくて、これはカロリー計算を……、難しいから私が管理するわね。それから」
そこまで口にしてからハッとする。
(さすがに一度に説明されても分からないのでは)
そう思って隣にいるノーマンを見やれば、その心配は杞憂だったらしい。
(メモしてくれているのね)
熱心に私の言葉に耳を傾けてくれているノーマンの姿を見て、やはりタロウはここに引き取られて良かったと心底思うのだった。