私の自慢の八人の姉
「大丈夫よ、絶対になんとかするから!」
結婚式まであと一時間、式場スタッフのお姉さんにウエディングドレスを着せてもらいながら泣きそうになっている私を見て、一番上の姉が笑顔で言った。そして、私が引き止める間も無く、青龍刀を片手にワインレッドのドレスをはためかせながら走って行った。
今日は私の結婚式。挙式の予定が午前10時なので、早起きをして7時に式場入りをした私は、式場に着いた途端、急に悪寒に襲われた。
「どうかした? 大丈夫?」
私がいきなり立ち止まったので驚いたんだろう、真也が心配そうな顔で私を見ていた。この人は鈍感だから何も感じてないんだろうな。まあそんなところも含めて好きになったんだけど。
私はニッと笑って「大丈夫、いよいよ結婚するんだなと思ったら感慨深くて」と言うと、短髪栗毛、細身の未来旦那様は安心したようににっこり笑った。でも、たぶん『大丈夫』ではないと思う。私の勘はよく当たるから。
「雨が降りそうでして、もしかしたらお外での写真撮影は難しいかもしれません」
私が二人の式場スタッフのお姉さんにお化粧をしてもらっていると、「失礼します、今よろしいですか?」と言って確認してからスーツを着た若い男性スタッフが申し訳なさそうな顔でやってきた。
朝ここに来た時はいい天気だったし、今日の降水確率は0%だったはずなのに。私の気分は一気に下がった。
「ギリギリまで様子を見ますが、もし雨が強く降ってきたら室内での撮影に切り替えますので、ご認識をお願いします」
天候はどうしようもないから仕方がないけれど、やっぱりちょっと残念だ。「わかりました」とは返事をしたものの、心の中はすっきりしない。
「ちょっと、何勝手に諦めてるのよ」
心の中が鬱々とし始めた時、後ろから声がした。鏡越しに見ると、三番目の姉が少しムッとした顔で私を見ている。そうだ、一番上の姉が「何かあったら困るでしょう」と言ってくれたことにより、八人の姉全員が挙式の二時間前に集まってくれていたんだった。
「あんたね、昔から諦めが早いのよ。雨が降りそうってだけなんでしょ? そんなのちょっと雲を散らせば済む話じゃないの」
「ちょっと、弥生姉さん。それはそうなんだけど」
「でしょう? ならどうして私たちを頼らないの」
「姉さん?」
姉よ。あんた、何言ってんの? 鏡越しに式場スタッフを確認すると二人のお姉さんも若い男性スタッフも顔に戸惑いの色が見える。
「まあ、いいわ。私が行ってくるから安心なさい。そうね、菜々子でも連れて行くわ」
そう言って三番目の姉は控室を出て行くと「菜々子、ちょっと出かけるわよ」と大きな声で七番目の名を呼んだ。漢気が強い三番目の姉は、頼り甲斐があるけれど、一度決めると突っ走ってしまうところがある。
「かっこいいお姉さんですね!」
私がため息をついてしまったので、式場スタッフのお姉さんの一人が気を遣って言ってくれた。私は苦笑しながら「ありがとうございます」と言うのが精一杯だった。
「ごめん、久美ちょっと出かけてくるね」
三番目と七番目の姉が出かけて、たぶん10分ほど経った頃、二番目の姉が控室に顔を出した。私を見て「まあ、素敵なヘアセットねー!」なんて言ってくれているけれど、私はその前の言葉が気になった。
「出かける? どこに?」
「それがね、電車が信号トラブルで遅延してるみたいなの。それで復旧の見込みも立ってないんだって」
「遅延!? 嘘、じゃあ電車で向かってくれてる人たちが式に間に合わないかもしれないってこと?」
「いいえ、大丈夫。だから言ったでしょ? 出かけてくるって。今日出席予定の人の名簿借りられないかしら?」
「姉さん? いや、あの……」
「大丈夫! 久美はなんの心配もいらないわ。あ、これが名簿ね、ありがとうございます」
近くで会話を聞いていたのか、また若い男性スタッフが丁寧に入室できる状況か確認してから今日の出席予定者の名簿を姉に渡した。姉が優しい笑顔でお礼を言うとスタッフの顔がほんのり赤くなるのを私は見逃さなかった。
沙羅姉さんは美人だ。今日も長い黒髪が深緑のドレスによく似合っている。スタッフの男性が赤くなるのも分かる。でも、男性スタッフは知らない。沙羅姉さんはすでに既婚者で子どももいることを。沙羅姉さんは姉妹の中で一番美しく、一番年齢不詳な雰囲気を身にまとっている。
「もう、不安そうな顔しちゃって。大丈夫よ。じゃあ行ってくるわね」
そう言ってヒールを鳴らしながら颯爽と出ていくと、「そうね、誰を連れて行こうかしら……四葉、皐月、順子、いるー? ちょっと手伝ってくれるー?」と、四番目、五番目、六番目の姉の名を呼んでいた。
二番目の沙羅姉さんは、とっても優しい。姉妹の中で一番気配りができて、品があって、仕事もできる。きっと姉さんなら電車の遅延に巻き込まれた出席予定者を全員集めて連れて来られるだろう。
でも、違うんだって姉さん。私が心配なのはそこじゃなくて、普通そんなこと誰にもできないんだって。式場スタッフの人たちの顔を見てよ。皆んな頑張って平然なふりをしようとしてくれてるけど顔が引きつってるのよ。私は喉元まで出かかったため息をぐっと堪えた。
挙式まで後一時間となった時、突然式場に生まれて初めて聞くような大きな大きな叫び声が響いた。叫び声というより、どちらかというと鳴き声と言った方が適切かもしれない。動物じゃ考えられない、怪獣みたいな声だった。
「遠藤様! 大変です。式場の上空に突然大きな怪鳥が現れました! 至急避難を!」
さっき二番目の沙羅姉さんに顔を赤らめていた男性スタッフが大慌てで控室に飛び込んできた。怪鳥? ファンタジーの世界かよここは。それじゃあ、もう式どころじゃないじゃない。次から次へと、どうしてこうも嫌なことが続くの? 私はなんだか泣きたくなってきて、目頭が熱くなるのを感じた。
「ああ、その怪鳥だけど今から狩ってくるから安心して!」
私が頭を抱え込んでいると、控え室に元気な女性の声が聞こえた。私が顔を上げると、そこには青龍刀を肩に担ぐワインレッドのドレスを着た女性がいた。一番目の姉の睦姉さんだった。
「大丈夫大丈夫! 10分もあれば片付くから安心して! 久美は自分の式のことだけを考えてたらいいからさ」
「いや、姉さん何言ってんの? あと何持ってるの?」
結婚式場で青龍刀を持つ女がどこの世界にいるのよ。私はそういうことが言いたかったんだけれど、睦姉さんには伝わらなかったみたいで、「え? これ? 何言ってんの私はいつもこれでしょう」と笑って返されてしまった。
「大丈夫よ、絶対になんとかするから! そうそう、念のため八重は置いて行くから安心して。じゃあ後でね!」
睦姉さんはそう言うと、青龍刀を片手にドレスをたなびかせながら控室を出て行った。確かに攻守のバランスが取れた八番目の八重姉さんがいてくれたら安心だ。安心だけど、これはそういう話ではない。もう絶対に私たちが普通じゃないって皆んなにバレるじゃないか!
私の家族は九姉妹だ。両親はもう別の世界にいる。別の世界にいると言っても他界したわけではなく、今は神様のお側で秘書をしている。
うちの両親曰く、二人が結婚した翌日、絵本に描かれたサンタクロースみたいな老人が家にやってきたそうだ。白いもさもさの髭を生やし、真っ赤なのローブを着た老人は自分のことを神様だと説明した上でこう言った。
「自分ら世界を救いたくないか?」
神様曰く、若い頃に仕留め損ねた邪神がいて、そいつが近いうちに世界を滅ぼそうと色々仕掛けてくることがわかった。わかったんだけど、神様はもう高齢でしんどいから戦う余裕がない。そこで、神様の代わりに戦う九人の娘を二人に産んでほしい。あと、人手不足で困っているので、娘を産んだ後でいいから神様の側で秘書業務を二人でしてくれたらとっても嬉しい。
神様はそんなことをだらだらと話し、最終的にはうちの両親に土下座をして頼んできたんだとか。こんな怪しい話なんてないと思うのだが、お人好しのうちの両親は「わかりました!」と即答。その結果、遠藤家には私を含め本当に九人の娘が産まれ、そして私が7歳の時に、お父さんもお母さんもトナカイが引くソリに乗って神様の所へ秘書の仕事をしに行ってしまった。
両親が神様の秘書になった後は、一番目の姉の睦姉さんが親代わりとなり、家族をまとめ上げ、他の姉たちがそれぞれ自分の得意な領域で睦姉さんをサポートしてくれていた。
一番末っ子の私は八人の姉たちに可愛がられ、すくすくと育った。姉たちのおかげで寂しいと思ったことはなかったし、私は何不自由なく大人になれた。だから私は姉さんたちに感謝しているし、皆んなのことが大好きだ。
神様の代わりに戦うためだからか、私たち姉妹は皆んな何かしら特殊な力を持って生まれた。けれど、その力は時が来るまで、そう、邪神と戦う時まで使ってはいけないと生まれながらにして認識していて、それは家族内での暗黙の了解になっていた。なっていたのに、今日は皆んな躊躇いなく使い過ぎてない? 邪神関係ないのに。いや、私のためにしてくれてるから嬉しいよ? 嬉しいけど今じゃなくない? 嬉しい気持ちと戸惑いとで、私は複雑な気持ちになっていた。
結果的に八人の姉のおかげで式は予定通り上げることができた。天気は快晴、遅刻者もゼロ。怪鳥はチャペル横の庭園で剥製になっていた。
式に遅刻しかけた参加者と、常識離れした姉たちの働きを目の当たりにした式場スタッフたちは、私の姉たちをキラキラした眼差しで見つめていた。そんな光景を見て私は少し頭が痛くなったが、気にしないことにした。今日は私の結婚式なんだから、とにかく今は式を楽しまなくちゃ。
「あの剥製すごいね! 帰りに記念撮影して帰ろうよ」
披露宴が始まる前、真也は庭園の怪鳥の剥製を見て子どものように目を輝かせていた。本当にこの人は子どもっぽいというかなんというか。私は少し顔が引きつりそうになりながらも、笑って「そうね」と言ってあげた。
式場スタッフの司会により予定通り披露宴が始まり、滞りなく会は進んでいった。睦姉さんの音頭によって乾杯をし、もうトラブルはないだろうと私が気を抜いた時、突然、空気がビリビリと震えるのを感じた。何事かと思い窓の外を見て、私は思わず目を疑った。
空に天使がいた。
白くて大きな翼を生やした、金髪の男の子の天使が一人、周りにゆらゆらと光を放ちながら西の空に浮いていた。目を凝らして見てみると、天使は軽く目を閉じ慈愛に満ちた表情をしている。
天使は羽ばたくこともなく宙に浮いている。何者か気になってじっと見つめていると、天使はゆっくりと右手に持った小さなラッパを口につけ、唐突にけたたましい旋律を奏で始めた。
それは天使の見た目とはかけ離れた、残虐ささえ感じる旋律だった。披露宴会場にいた大勢の人が耳を塞ぎ苦悶の声を上げる。周りを見ると耐えられたのは私と八人の姉だけだった。
天使がラッパを吹き終えると、彼の後ろに白い靄が現れ、その中から光り輝く巨大な門が現れた。門の出現と同時に天使の姿は消え、その後、門は一人でにゆっくりと開くと、中から漆黒のドラゴンが現れた。
ドラゴンはとてつもなく大きかった。庭園にある怪鳥なんて比じゃない。門から出てきた首の長いドラゴンは、その巨体で空を埋め尽くした。
ドラゴンの咆哮がビリビリと空気を震わせる。全身の皮膚がひりつくのを感じ、私はこれが邪神の攻撃なんだと理解した。どうしてこんな時に? 私は自分の運の無さと邪神を恨んだ。
隣の席を見ると、真也が口をあんぐり開けて石像のように固まっている。式参加者の多くは恐怖に身を硬直させ、避難誘導すべき式場スタッフは腰を抜かして泣いていた。司会のスタッフにいたっては、泡を吹いて倒れている。まあ、こんな事態が起こるなんて、誰も考えたことないだろうから、この反応は仕方がないのかもしれない。
せっかくここまで姉さんたちがなんとかしてくれたのに、ここにきてドラゴンだなんて、もう、最悪だ。式を台無しにされたことに対する怒りと悲しみで頭の中がぐちゃぐちゃになり、思わず右頬を涙がつたう。
「安心なさい。大丈夫だから!」
大きな声が会場に響き渡る。
顔を上げると、目の前に自信満々の顔をした睦姉さんがいた。
「大丈夫、私たちであれを倒してくるから、久美はここで待ってなさい」
青龍刀を肩に担ぎながらそう言う睦姉さんの後ろには、二番目から八番目までの姉たちが勢揃いしていた。姉さんたちは皆んな、鉄扇や薙刀、矛に双剣、弓など、自分の相棒を手にしている。唯一持っていないのは三番目の弥生姉さんだけ。弥生姉さんだけは拳で語るタイプなので、こんな時でもやっぱり素手だった。
「じゃあ行ってくるわね!」
そう言って八人の姉たちは披露宴会場の外に出るとドラゴンに向かって飛んでいった。
姉たちは強い。でも、八人じゃ駄目なんだ。神様は邪神との戦いのために私たちを遠藤家に授けた。ということは、戦いには九人の力がいる。特に九人の中で群を抜いて戦闘力が高い私の力が。でも、結婚式の途中で花嫁が離席するなんて……
「行かなきゃいけないんじゃないの?」
右隣りから優しい声がした。
横を見ると真也がにっこりと笑ってこっちを見ている。
「なんとなくだけど、あれはお姉さんたちだけに任せていたら大変な気がするんだ」
にこにこと話す真也、でも、目はブレることなく真っ直ぐに私を見ている。
「僕には何もできないけれど、久美ならなんとかできたりしない?」
そうだ、この人はいつも妙な所で勘がいいんだ。私たち九姉妹のことや、私が姉妹の中で一番強いことも真也は気づいてるんじゃないだろうか? そして、わかっていながら今私に聞いてくれているんじゃ……実際どうかはわからないけれどそんな気がしてならない。戸惑う私に対して真也は「そんなに考え込まなくても大丈夫だよ」と優しく言った。
真也の「大丈夫」という言葉が私の中に染み渡った。
「式の後で全部説明するから、ちょっとだけ行ってきてもいい?」
私は思い切って聞いてみた。
「もちろん! 気をつけてね」
真也はやはり笑顔で言ってくれた。
「うん、行ってきます」
私は真也にお礼を言って披露宴会場を出ると、ドラゴンに向かって飛翔した。手には会場を出てすぐに錬成した太刀を握りしめて。
ドラゴンは先に戦闘に入った八人の姉たちに気を取られていたので、今のうちに私は一気に距離を詰めることにした。姉たちは善戦しているようにも見えるが、ドラゴンの巨躯による攻撃をかわすのに必死で、有効打を与えられていないのがわかる。
「私の結婚式を邪魔する奴は許さない」
私はいつの間にか怒りで全身が震えていた。邪神の手下か何かは知らないけれど、今日襲ってきたことをあの世で後悔させてやる。私はドラゴンの首に向かって勢いよく切りかかった。
「お前なんて10秒あれば十分だ!」
こうして、花嫁らしからぬセリフを叫び、そしてそれを有言実行した私は、『この世に怒れる花嫁より恐ろしいものなどない』という定説を、揺るぎないものにしてしまうのであった。