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春ノ三月 四週目六ノ日

 春がそろそろ終わろうとしているせいか、今日は少し蒸し暑かった。


 大教会で開かれる晩餐会は、姫神が珍しく大勢の人間の目に触れる数少ない機会だ。実際に姫神に声をかけてもらえる栄誉を賜れるかは別として、神の愛し子を一目見たいと願う参列者も多い。姫神の傍にいることを許された者達は、その輪の外から羨望と嫉妬の眼差しを向けられていた。


 シャラの右隣に座るのは王子、左隣には神官長。ローウェンの位置はシャラのちょうど向かい側だ。シャラの背後には騎士が直立不動で控えている。豪商の息子は貴族ではないため、今日の晩餐会に席はなかった。


 食事を口に運ぶシャラの所作はあまりに美しい。

 ただパンをちぎっているだけにもかかわらず、祈りを捧げる清貧な聖女にすら見えた。そんな彼女でも、マナーを知らない子供じみた食べ方をすることがあると知っているのはきっとローウェンだけだ。


 ローウェンの視線に気づいたのか、シャラが小さく顔を上げる。彼女はふわりと微笑んだ。

 それがローウェンに向けられたのは一瞬だけで、すぐに彼女は他の同席者達に向けて笑顔を振りまく。姫神の微笑は心を浄化してくれるという評判があるだけのことはあり、人々は感極まった様子でシャラを見つめた。


「ローウェンさん」


 晩餐のために招かれたくせに、たとえ食事が終わっても貴族というのはすぐに家には帰らない。カードゲームやら煙草やら、そういうものに興じようとする。それは場所が大教会であってもさして変わらない。

 席を立ち上がるタイミングを掴むのが苦手な者にとって、切り時の見えない歓談の席というのはもっとも居心地の悪い時間のひとつだ。しかしローウェンに声をかけたこの少女はそういう手合いではないらしく、瞳を愛らしく瞬かせながらローウェンだけを部屋から連れだした。


「他の者はよいのですか?」

「だって、ローウェンさんとお話したい気分だから。今日はローウェンさんの日なんです」


 自分の機嫌を取るべく配置された、見目麗しく親切な男達と女達アクセサリー。その日の気分によって連れ回すモノを変える行為も、シャラの中では平等さの象徴だ。


「ね、いいでしょう?」

「シャラ様のお望みであれば」


 シャラはローウェンを人気ひとけのない場所に連れていく。大教会の奥まった場所だ。この道のりをローウェンは知っていた。十五のころにしょっちゅう通っていた場所────姫神の私室に続く道だからだ。


「シャラ。ここから先は、私では入れない。姫神の聖域への立ち入りは、側近以外は禁じられているだろう?」


 取り巻きの中でそれが許されるとすれば、神官長のトーリか、騎士のギレッドだけだ。ローウェンをこの奥に招くのは、明らかにバランスを欠いていた。


「だけど、レアーナおねえちゃんには連れてきてもらってたんでしょう? なら、なんでわたしはダメなんですか」

「あれは、レアーナのわがままに周りが折れて見て見ぬふりをしていたからだ。……やはり君は、私のことをレアーナから聞いていたんだな」


 レアーナが姫神として大教会で暮らしていた時、すでにシャラも次代の姫神として育てられていた。二人に交流があったなら、レアーナ経由でローウェンを知っていてもおかしくない。最初に逢った時、ローウェンの名前に反応していたのも、きっと記憶にあったからだろう。


 そろそろ衛兵が厳重に警備している区画に差し掛かる。大教会の中では安全だとして、形だけつけられた専属騎士を置いていくのはたやすいが、要所を守る衛兵の撤廃となるとそうはいかない。

 衛兵は、シャラに腕を引かれるローウェンを見て戸惑った様子を見せた。ローウェンは自ら進んで身体検査をさせ、金を握らせながら衛兵に囁く。「シャラ様のなさることです。どうか目こぼしを」シャラも「今日だけですよ、だからいいでしょう?」と得意の庇護欲を誘う眼差しで懇願したため、勝利は決まったも同然だった。


 聖域に入ったはいいものの、シャラの案内は記憶にある場所とは違っていた。巡回の衛兵をうまくやり過ごしながら向かうのは、姫神シャラの部屋ではないようだ。


「この角を曲がると、エリフィーちゃんの部屋があります」


 物陰に隠れながら、シャラはその奥を指す。知らない名前だったが、誰のことかはすぐにわかった。今年八歳を迎えるであろう次代の姫神だ。


「さすがにエリフィーちゃんのところまでは連れていけません。エリフィーちゃんは、わたしより決まりが厳しいので」


 次代の姫神は、ともすれば姫神より厳重に守られている。まだ人格と価値観の形成が途中だからだろう。

 当代の姫神を手本にさせるため、例外的に当代の姫神とは会う機会があるが、それ以外は厳選された教育係とともに隔絶した環境で育てられていると小耳に挟んだことがあった。


「何故わざわざ私をここまで連れてきた?」

「見てほしかったから。レアーナおねえちゃんがあなたとお話ししてる間、わたしはあそこで待ってました。今は、わたしがあなたとお話できます。でも、エリフィーちゃんがあそこで一人きりなんです」


 そう言いながら、シャラは足早に元来た道を辿る。聖域の入り口を守っていた衛兵達は、ローウェン達を見て軽く顔を背けた。ごく短い間の聖域侵犯は、無事になかったこととして扱ってもらえたようだ。


 そしてシャラはローウェンをいつもの応接室へと連れていく。二人きりで会うときに使う部屋だ。きっと他の取り巻きとの逢瀬にも使われているのだろう。


「わたしの誕生日、夏ノ三月なんです。一週目の六ノ日」

「知っているさ」

 

 姫神が生まれた日は、姫神が天に還る日でもある。ガゼルデアの民ならば、その代の天還りの儀がいつ行われるか知らない者はいない。

 生まれた日なら、本来は祝福される日のはずだ。今年も無事に年をひとつ重ねられたことを祝うべきだ。けれど少女にとって十六回目の誕生日は、待ち望んでいいものでは決してない。

 

「わたしが天に還ったら、エリフィーちゃんが姫神になります。あの部屋から出られるんです。……だからエリフィーちゃんにも、わたしと同じことを教えてあげてくれませんか。叱るとか、罵倒とか、そういうことをしてあげて。わたしはうまくできないけど、ローウェンさんならできるでしょう?」

「断る」

「どうしてですか!?」


 シャラは珍しく大声を上げた。愕然としながらローウェンを見つめる。

 なるほど、本気で想定外のことを言われると彼女はこんな顔をするのか。そういう表情が見たかった。


「その必要をなくすからだ。君の次の姫神はいない。“姫神”は、私が殺す」


 “姫神”。そんな偶像、存在していいわけがない。だから少女をその地位から引きずり下ろす。


「君のことも、絶対に死なせない。自分が死んだ後のことなど考えるな。それは、子供が考えるべきことではないんだ。君はせいぜい能天気に夢でも思い描きながら、未来の希望を信じていろ」


 選択の自由を知り、学びの機会を得て。“姫神”というシステムが消えてなくなれば、虹の瞳を持つ少女達は十六年目の誕生日を越えてなおも生きられる。


「殺す、って? 死なせない、とはなんですか? 死んだ後って、どんな意味?」

「……それはまた今度、ゆっくり教えてやる」


 ローウェンはため息をついた。

 情緒に道徳、一般教養、果ては自立の仕方まで。シャラに教えることは山積みだ。


「今の言葉は、『心配しなくていい』という意味だ。それだけ覚えておけばいい。君は、自分が心配されるのを嫌うだろう? 私も、君に誰かの心配をしてほしくない」

「嫌う? そうですね、心配をされると、なんだか、んーっていう気持ちになります。なんでそういう風になるかわからないので、されたくないです。泣いているを……ええと、違うな。泣きたいときに心配をされると、んーってなっちゃってできないし」


 やるべきこともたくさんある。

 少女を囚える抑圧の檻を開け、人間性を奪う呪いを解くために。

 ローウェンは、そのためにこれまで生きてきたのだから。

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