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春ノ二月 一週目三ノ日

「若様、お手紙が届いております」


 ローウェンが朝の身支度を終えると、近侍が一通の封筒を差し出した。

 王侯貴族が愛用するような、流麗な装飾が施されたものではない。銀盆に載せられたそれの宛名は『ルー・レカ』……筆跡には覚えがあった。ローウェンが在籍している劇団の座長、コルネス・バンドンのものだ。

 王都に行くと決めた日に、コルネスには当面の連絡先としてこの屋敷の住所を教えていた。もっとも彼は、ここがよもや王都における領主の屋敷だなどとは露にも思っていないだろうが。


 ルー・レカ宛に届く手紙はすべて自分に回すよう使用人達には通達していた。近侍はそれに従い、この見知らぬ名前の人物に宛てられた封筒をローウェンに届けたのだろう。封が開けられた形跡もない。


 ローウェンが王都に来て一月が経つ。手紙が来るならそろそろだと思っていた。封筒を受け取り、近侍を部屋の外に出す。さっそく封を切ると、一枚だけの短い手紙が入っていた。


『ルーへ

 お前がこの手紙を読むころにはもう、オレ達はアスケ領に辿り着いてると思う。

 昨日の興行も大成功だった。せっかくお前が書いた脚本なのに、お前に見せられないのが残念なくらいだ。夏の盛りには王都に着く予定だけど、それより早くマレーン座の名声を王都にも轟かせてみせるぜ』


(それは轟かせなくていいんだが)


 文章を目で追いながら、ローウェンはわずかに顔をしかめた。

 むろん評判うわさが広がるのは願ったり叶ったりなのだが、マレーン座の新作劇が早いうちから知れ渡られるとだいぶ困る。万が一まだ芽の状態にもかかわらずローウェンの目論見が中央に感づかれればまた別の手を講じなければならないし、マレーン座そのものも潰されかねない。これまで育んだ種を失うのはローウェンにとっても痛手だった。


『国全土で巡業するのはマレーン座の悲願だ。それに、どれもお前の渾身の作品だからって、一座の連中はさらにやる気を出してるんだぜ。一座がここまで大きくなったのはお前のおかげだ。みんなその礼をしたいんだよ。もちろんオレもな』


 コルネスは単純な男だ。裏表がなくさっぱりした性格で、時折ひどく子供っぽいが義理と人情を重んじる。大きな声で熱意を語り、不思議と人を惹きつけた。


 マレーン座に集ったのは、そんな彼の男気に自分の夢を託した者達ばかりだ。つまりは善人の、夢見がちなお人よし集団。その中に一人だけ腹の黒い輩が混ざれば、魔の手に飲み込まれて掌握されるのは必定だった。

 マレーン座で一番底意地が悪いのは自分だとローウェンは自負している。コルネスのマレーン座を乗っ取ったことに誰も気づいていないのが、彼らの人のよさと奪い取ったローウェンの手際の鮮やかさを表していた。


 マレーン座が発足したばかりのころは、広場で細々と劇をっていた。

 役者も揃っておらず、金がないので衣装や道具もみすぼらしい。通りを歩いてると偶然コルネスにスカウトされ、最初は面倒だと思ったものの、彼らの公演を観ているうちに気づいたのだ。これを育てれば大きな武器になる、と。


 一座に入ったローウェンは、一座の宣伝と演出に尽力した。費用を抑えつつも効果的な広告を打つため、少人数の強みを生かしたフットワークの軽さで彼ら自身を広告とした。舞台そのものだけではなく役者の価値を高めていき、時には自分も商品にした。

 役者を一人一人を描いた絵姿は飛ぶように売れたものだ。なんなら多少下手だって、役者自身が描いた自画像やサインが入っていればファンは喜んで買っていった。もう使わなくなった衣装や小道具だって売れるのだから、何に価値を見出すかは人それぞれなのだ。


 観客の購買意欲を煽り、金を落とさせる。称賛の声が集まれば劇団員のやる気も高まる。舞台で生計を立てられるようになれば、別の仕事に割いていた時間を劇団のための時間に回せるようになる。

 やがてチケットが完売することは珍しいことではなくなり、興行の場も大きな劇場に移った。

 人が増え、金が回り、一座は徐々に大きくなった。それと同時に、ローウェンはそうと知られず劇団を自由に操れるようになった。


 そこまでローウェンが劇団の経営に腐心した理由はただひとつ。どうしても上演させたい劇があったからだ。


 そのために何十本もの脚本を書いた。ひとつひとつ内容の異なるそれらを、思う通りの形で上演させなければならなかった。

 その脚本は、いずれは国内のあらゆる劇団に定着させたい。それでも最初の足掛かりとして、意のままに操れる自前の劇団の存在はとても都合がよかった。


 コルネスに返事を書くためにペンを取る。彼らの次の連絡先として指定されているのはアスケ領の領都にある郵便局のようだ。

 当たり障りのない言葉で彼らの健闘を称え、興行の旅への激励を送る。すでに彼らはローウェンに全幅の信頼を置いているとはいえ、餌やりはきちんと行わなければ。


 ローウェンは、あらかじめ領地ごとにどの劇を上演するか指定していた。

 終わった公演の脚本は、原作を絶対に書き換えないことを条件にその領都の大劇団に売って路銀の足しにしろと指示も出している。これでマレーン座が去っても、脚本自体は生き続けるだろう。


 ガゼルデアの社交期は、春ノ一月に始まり夏ノ三月に終わる。

 普段は領地で暮らす者達がその期間いっぱいを王都で過ごすことは珍しいとはいえ、社交期の半ばに差し掛かるころにはマレーン座の噂も王都に届いているだろう。あるいは自分の領地に戻ったころに、不在の間に滞在していた劇団の舞台が話題になっているところを見るかもしれない。


 この六か月間を問題なく乗り切るのが最初の課題で、まず初めの一か月は穏当に過ぎた。滑り出しは順調だ。シャラの教育だけは順調とは言えないが。


 ガゼルデアは小さな国だ。街道や運河を使って国を一周し、王都に辿り着くまで五か月半。巡業ということも加味すると七か月は見ておきたい。

 マレーン座に国内の巡業を始めさせたのは、去年の冬ノ二月からだ。ローウェンがようやくすべての脚本を書き切ったのが、去年の秋の終わりのことだった。一か月で稽古と旅の準備に明け暮れ、なんとか彼らを送り出すことができた。


 オルヴェール領の外に出られないはずのローウェンが王都に呼ばれたのは嬉しい誤算だった。おかげで舞台の演出を、より積極的に手がけることができるからだ。


 怪しまれるのを防ぐため、シャラとの接触は他のお気に入り達との偏りが生まれないようにしている。天性のものなのか、シャラにもそのあたりのバランス感覚はあるらしい。神の慈愛は平等だと、教えられているせいもあるだろう。


 ローウェンが二人きりでお茶会をするなら別日には王子が晩餐を共にし、あるいは豪商の息子がシャラ一人のためだけに築いた贈り物の山から好きなものを選ばせ、神官長が午睡を見守ったり騎士が話し相手になったりしているようだ。もちろん、全員が一堂に会してシャラに侍ることもある。その時はさすがのローウェンも真っ黒な腹の内は隠し通して笑みを浮かべ、心にもない薄っぺらな甘い言葉を吐いていた。


 ローウェンから教わった成果を、シャラがローウェン以外に見せることはなかった。ローウェンと何をしているか、口外している様子もまったくない。

 きっと彼女も彼女なりに現状に倦んでいたのだ。彼女を叱り、あるいは罵倒するのはローウェンただ一人しかいない。しかしそれは“姫神”にとってはまったくもって不要のものだ。他人に知られればローウェンは取り上げられると、彼女もわかっているのだろう。


 やはりシャラは無知ではあるが愚かではない。早く、早くあるべきものをあるべき形に戻さなければ。歪んだこの国を正さなければ。


 それができるのは、八年前からずっと熱に浮かされているローウェンだけだ。

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