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春ノ一月 二週目一ノ日(後)

「君の振る舞いは目に余る。他人の物を我が物にしようなどと思うな。その場では憧憬や羨望にとどめ、後日同じ物を探すのであればまだわかるが……当人にとっても思い入れのある品そのものを取り上げるのはよくないことだ」


 目を合わせ、真摯に向き合う。口調はあえて飾らなかった。そのほうが伝わると思ったからだ。


「だが、君は自分の発言の重みを理解しているはずだ。そうでなければ、返す時にあんな言い回しはしない。……理由があったから、あの令嬢の首飾りをほしがったんだろう? そもそも君は、本当にあれがほしかったのか?」


 もしもシャラが「やっぱりいらない」と放り投げていれば、あの公爵令嬢は一転して侮蔑と嘲笑の的になったはずだ。あの空気の中において、姫神シャラのなすことはすべてが正しい。

 しかしシャラは公爵令嬢の名誉を保ちつつ、首飾りを彼女に返した。これがただのわがままなら、持ち主に気を使う必要などなかったはずなのに。


「あの子、いつもみんなに自慢してたんです。おばあさまの形見の、この世にたった一つの首飾りだって」


 シャラはいつくしむように目を伏せた。その可憐な唇が告解を紡ぐのを、ローウェンは静かに待っていた。


「みんなの前で、そんなに見せびらかしてるんですよ? それに、絶対に誰にも触らせないって聞きました。あれがあの子の大事な物だっていうのは、みんなが知ってることなんです。だから、みんなの前でやってみました。……でも、わたしにはくれました」


 それは、ともすれば自慢のようにも聞こえた。己の権力を確かめ、周囲に知らしめた少女の勝利宣言だ。

 けれど、それを高慢な言葉だと受け取るには、シャラの面差しに覇気がなかった。


「みんなが見てる前なら、みんなへの……ほら、なんというか、これまでダメって言ってたっていうのがあるじゃないですか。じゃあわたしにもちょうだいって、別の誰かが言うかもしれませんし。だからあの子、もしかしたらくれないんじゃないかなって思って。わたしにあげちゃったら、今までなんでダメだったのってなっちゃうでしょう?」

「……断られたかったのか、君は」

「うーん……そうなのかもしれません。だけど本当にもらっちゃったから、ちゃんと返したかったんです」


 シャラは笑った。負の感情を表現する方法も、言い表す語彙も持たない少女。過剰な善意に染められて、真綿の中でまどろむ彼女は、もはやそうあるようにしか生きられない。


「あの……ああいうことを教えてくれたの、ローウェンさんだけなんです。人の物をほしいって言うの、いけないことだったんですね」


 しばらくの沈黙が降りた後、シャラはそう切り出した。浮かべた笑顔はそのままだったが、徐々にその目が潤んでいく。


「あれ? どうしたんだろ。いつもは一人の時にしかならないのに」

「目をこするな。腫れると面倒だ」


 ローウェンはハンカチを取り出し、涙で濡れたシャラの頬を優しくぬぐった。シャラはされるがままになっている。


「一人の時は、よく泣いているのか?」

「泣いている、というんですか? たまに泣いているになります。こうなると神官さん達もメイドさん達も心配ということをしてくれるので、見せたくないんですけど。最近はあんまりならなかったんですが、寝る時とかに泣いているになったりしますね。……わたしが泣いていると、ローウェンさんも心配をしますか?」

「するわけがないだろう。勝手に泣いていろ」


 はっきり言い切ると、シャラは「よかった」と小さく呟いた。涙は中々止まらない。


「なんでわたしは泣いているになるんでしょうか。ローウェンさんも泣いているのはありますか?」

「質問が多いな……」


 大の大人が少女を泣かせている。はたから見れば最悪の構図だ。ローウェンは周囲を軽くうかがう。幸い、異常には気づかれていないようだ。

 舞踏会にはシャラの付き人も来ているはずだが、彼女の人払いの賜物だろう。逆らうことを知らない姫神が自分達の意に沿わない行動を取るとは露にも思わない、人々の怠慢の結果とも言えた。

 それでも、ローウェンが姫神の近くにいることを危惧する者はいるかもしれない。ローウェンの罪状を知る者は、おのずと八年前の再来を想起するだろう。彼らに見咎められる前に、この場をうまく収めなければ。


「当たり前だろう。人は誰であろうと泣くものだ。悲しいときも嬉しいときも、悔しいときも痛いときも、寂しいときもな。どうして泣いているかは本人にだってわからないこともある」

「泣いている? 泣く? というのは難しいですね。じゃあ、わたしは今なんのときなんでしょう。嬉しいときはわかりますけど、他のときはよくわかりません。今、嬉しいんでしょうか」

「知らないことは恥ずかしいことではないんだろう? これから知っていけばいいと、君が言ったんじゃないか」

「確かに!」


 シャラは年頃の少女とは思えないほどの不用心さでローウェンに抱きついて────


「じゃあローウェンさん、教えてくださいね!」

『もっともっといろんなことを教えて、ローウェン!』


 あどけないその願いが、罪の記憶を呼び覚ました。


『あたし達が逢ったのはきっと運命よ。ルーと一緒なら、あたし、なんでもできる気がするの。ルーもそう思わない?』


 己こそ世界の中心にいると信じて疑わない傲慢さ。世界を知らない子供特有の万能感。

 理想、奇跡、神秘、そして運命。耳に心地よい言葉は、いともたやすく人を熱に浮かせて酔わせてしまう。


『いやだよぉ……ルー、いかないで……。なんで……ルー……これは、なに……? あたし、どうなって……』


 確かに触れているのに、こちらの温度は届かない。彼女から流れる血はこれほどまでに熱いのに。焦点の定まらない彼女の目は、二度とローウェンを映さない。


「ローウェンさん?」

「ッ!」


 少女に重なっていた幻影が消える。ローウェンに甘えているのは、当代姫神のシャラだった。


「ね、いいでしょう?」


 ローウェンはため息をつき、子猫のようにじゃれついてくる少女を引きはがした。


 そう、これは“姫神”を殺すには必要なことだ。そのために王都に戻ったのだから、降って湧いた機会は活かさなければ。


「わかった。私が君に感情を教えてやる。ただし二人きりの時だけに、な?」


 シャラは勢いよく頷く。悪い大人に利用されているとも知らないで。

 その素直さが、無邪気さが、ただただ気に障った。


* * *

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