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春ノ一月 二週目一ノ日(前)

* * *


 シャラと初めて逢ったのは、大教会で開かれた舞踏会でのことだった。


 大教会の舞踏会は、王侯貴族が催すものと趣向にそう違いはない。寄付への感謝だとか姫神との拝謁の機会の一環だとかと銘打たれているだけだ。

 当主が伯爵以上の爵位を有する家の人間で、姫神とかかわっていい年齢……即ち善悪・・の区別がつく十五歳以上の年齢であれば、招待状が送られる。ローウェンにも届いたのは意外だったが、大教会にも『クレル子爵』を認めなければならない事情があるのだろう。

 レクスター家は国に名だたる名門だ。当主は代々国の中枢に食い込んでいる。そして現当主である宰相エルドンは、分家筋から養子を取るのではなく一度は追放したローウェンを王都に呼び戻した。そのことによって大教会の中で政治的な判断が働いたというのは想像に難くない。


 突然父親の領地に引きこもり、一切の音沙汰を絶ったローウェンを、かつての友人達は好奇心と懐古の念でもって受け入れた。空白の八年間の話を聞きたがる友人達には、彼らの望む通りの気ままな放蕩生活を語った。

 実際のところは贅沢どころか、下宿と劇場を往復する日々だったが。散財するのは馴染みの商人に頼んで古書を買い漁る時ぐらいだった。付き合いやたまの息抜きとして賭場や酒場に行った時のことを面白おかしく脚色し、舞台の上から見ていたことを客席に置き換えて話を膨らませていただけだ。


 人前に出る仕事をしていたので、実家の援助がなくても身なりには気を使っていた。礼儀作法を欠いた振る舞いを見せても、自堕落な生活で粗暴さが身についたのだと勝手に納得された。

 レクスター家の嫡男という地位と、すらりとした上品な美貌にそぐわない堕落した暮らしぶり。それらはローウェン・レクスターという青年をより魅力的に引き立たせ、社交界は退廃の香りを纏った麗しの貴公子の登場に盛り上がった。


 たちまち人気者になったローウェンが、友人の輪を足掛かりにして交友関係を広げるのはたやすかった。

 今日もローウェンのすることは変わらない。この年上の、いかにも危険な色香を漂わせる美青年との会話を望み、ダンスを夢見ている少女が多かったからだ。


 名家の令嬢達との会話を弾ませていた時だ。横から見知らぬ少女の声が割り込んできた。


「ねえねえ。貴方のその首飾り、とっても素敵ですね」


 それは、見目麗しい男達を引き連れた少女だった。

 見知らぬ少女だ。けれど長いまつ毛に縁取られた双眸を見た瞬間、彼女が誰なのかローウェンでもわかった。

 きらきらと輝き、色を変えていく特別な右目。それを持つのは姫神しかいない。


 今日は今年の社交シーズンが始まってから最初の大教会での舞踏会だ。

 そのため、今年社交界デビューを飾った十五歳の少年少女は、姫神から祝福の言葉を賜るという名目で特別な謁見の時間が設けられている。それが終わったので、姫神もホールにやってきたのだろう。


 姫神に声をかけられたのは、とある公爵の娘だった。


 ローウェンを取り巻いていた場にいる令嬢達の中ではもっとも由緒正しく、今日の舞踏会の参列者全体で見ても高位の家柄の娘だ。彼女ははにかみ、「祖母の形見なんです」と答えた。


「そうなんですね。わたしもその首飾りがほしいな。だってすごく綺麗なんだもん」

「これは祖父の特注ですので、同じものを用意させるのは時間がかかるかと」

「つまり、くれないってことですか?」


 姫神は不思議そうに尋ねた。すると娘は、「滅相もございません。こちらでよろしいのであれば、今すぐにお渡しできます」と恭しく自分の首飾りを外し、姫神に献上した。


 令嬢達がひそひそと囁く。「姫神様のお気に召すだなんてさすがですわね」「姫神様に自分のものを下げ渡すだなんて、無礼ではありませんの?」「わたくしも、姫神様に装飾品を献上する栄誉が得られれば……」


 少女達のやりとりに、部外者おとこは口をはさめないものだ。目の前で何が繰り広げられているのかよく理解できず、ローウェンは困惑しながら事の成り行きを見守った。


 差し出された首飾りを、姫神は一瞬だけ静かに見つめた。けれどその凪いだ眼差しに気づいたのはローウェンだけのようだ。


 次の瞬間には、彼女は純真な笑みを浮かべて「つけてくれますか?」と傍らの少年に頼んでいた。その少年は、この国の王太子だった。

 彼はさも当然のように首飾りを取り、姫神を飾る栄華を噛みしめるかのように神妙な手つきで姫神の首を彩った。首飾りの本来の所有者だった公爵令嬢も、得意げな顔をしていた。


「よく似合っているよ、シャラ」


 王子が囁く。他の誰もが口々に姫神を褒めたたえた。

 現状に違和感を抱いているのはローウェンだけだ。それこそが、何年経ってもローウェンこそ異物であることには変わらないという証明のように思えた。


「そう? わたしもこれ、気に入っちゃいました。あなたとお揃いでつけたら、きっともっと素敵ですね! だからこれは返します、ありがとう。……アルムス様、同じものをプレゼントしてくれますか?」

「もちろんさ。……君は確か、ミーディア家のご令嬢だね。後日家に使いをよこそう。それまでにこの首飾りを作った職人の工房を調べておくように」

「身に余る光栄でございます、シャラ様、アルムス殿下!」


 公爵令嬢が滂沱の涙を流して跪くのは、大切な首飾りを取り返せたからでは決してないだろう。

 彼女の待遇があまりに羨ましかったのか、他の令嬢達も我も我もと自らのアクセサリーの売り込みを始めた。シャラは真面目に聞いているが、最初の首飾りほど興味を持った物はないようだ。


 令嬢達だけではない。シャラが連れていた取り巻きの男達も、躍起になって「お揃い」の提案をしようとしている。

 余裕そうなのはシャラからプレゼントをねだられた王子だけだ。もっとも彼も、首飾りにシャラだけの特別な装飾を施して、そのモチーフを自分の装飾品に流用しようと誘導しているのが見え見えだったが。


 狂ってる、と。ローウェンは心の中で呟いた。


 まさかその声が届いたわけではないだろうが、シャラがローウェンのことを見た。この場でただ一人、姫神の歓心を買おうとしない者の存在に、シャラはきょとんと首をかしげた。


「あなたは、何も言わないんですか?」

「なにぶん、八年ぶりに王都に来たもので。宮廷の流行はおろか、愛しい方に何を贈ればいいのかもわからないのです。私のような無作法者、姫神様の時間をいただくのもおこがましい」


 この場で彼らの異常さを糾弾するのも、シャラの本心・・を問いただすのもたやすい。

 けれど、それをすべきは今ではなかった。少なくともこの国において、異端なのはローウェンのほうなのだ。なんの備えもないまま“姫神”に唾を吐けば、再び放逐されるのは目に見えていた。


「知らないことは恥ずかしいことじゃないですよ。これから知っていけばいいだけだもん! わたしのこと、たくさん教えてあげます。だから、次はあなたもお話ししてくれると嬉しいです。あなた、名前はなんていうんですか?」

「ローウェン・レクスターと申します」


 シャラは目をぱちくりさせた。「ローウェン……?」何かを確かめるように、その名前を舌先で転がす。しかしローウェンがそれを尋ねる前に、シャラはぱぁっと顔を輝かせてローウェンの腕を強引に取った。


「じゃあローウェンさん、こっちこっち!」


 勝手にはしゃぐ少女はいっそ不気味ですらあった。だが、周囲は好意的に受け止めたようだ。姫神のすることに異を唱える者などこの国にはいなかった。


 取り巻きの男達は、仕方ないなぁとでも言いたげな目でシャラを見ている。

 周りの反応からして、シャラが初対面の人間と二人きりになりたがることはよくあることのようだ。この舞踏会に招かれるような人間────高貴な血筋の者であれば、大教会と王家による姫神との接触許可も当然受けている。そのため、無条件の信頼もあるのだろう。


 

 シャラはローウェンをテラスへと連れて行った。テラスにはローウェン達以外に人はいない。

 星月が二人を静かに照らす。夜風になびくストロベリーブロンドの髪を抑え、シャラはローウェンを上目遣いで見つめた。


「ここなら誰も来ないですよ。ローウェンさん、わたしに言いたいことがあるんじゃないですか?」

「……」


 シャラの機嫌ひとつでローウェンの首は物理的に飛びかねない。

 しかし幸いなことに、シャラはもちろん歴代の姫神が権威を悪用して残虐な行為を行ったとする記録はなかった。


 何故なら彼女達は、その概念を教わらないからだ。


 無垢な神子に血腥さは必要ない。姫神を通じて人の世の醜さを神に知られてしまうことを人々は恐れたし、檻の中の姫神が怪物に変貌することを厭っていた。


 それゆえに“姫神”は、ありとあらゆる蛮行から遠ざけられる。痛みも、出血も、暴力も、もちろん死も。


 姫神を害するものがなく、また姫神にその概念を吹き込むものもない限り、姫神がそれらを認識することはない。


 姫神を殺す天還りの儀式ですらも、彼女達にとっては「父なる神の御許に向かうための聖なる行い」でしかなかった。行き着く先が死であると理解できないままに、生まれた瞬間から彼女達は殺されるために生き続けるのだ。


 ローウェンはため息をついた。

 愚鈍な無垢を演じるシャラの瞳の奥には、確かに知性の輝きがある。そんな彼女がわざわざ二人きりで会いたいと言ってきたのだ。その真意を汲み取れないほど間抜けであるつもりはなかった。

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