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春ノ一月 四週目五ノ日

 この国には、“姫神”という因習がある。

 それを因習だと断じるのは、ローウェンが知る限り自分しかいなかったが。


 姫神は、八年に一度、国のどこかで一人だけ生まれる。

 刻一刻と色を変える片目……虹の瞳をもった女児は、生まれてすぐに大教会に預けられる決まりだ。彼女達こそが姫神で、齢十六を迎える晩まで大切に大切に大教会で育てられる。


 当代の姫神はシャラだが、大教会にはすでに今年で八歳になる次期姫神が暮らしていた。

 そのまた次の姫神はまだ見つかっていないようだが、そのうち生まれて大教会に連れてこられることだろう。


 姫神は、ありとあらゆる不幸から守られる。飢えも、寒さも、病すらも遠ざけられる。

 国は上も下も変わらず姫神を崇め奉る。我が子が姫神なら、誰もが喜んで娘を差し出す。そういうものだ。そういう風に、この国は在り続けてきた。


 十六歳になるまで、健やかにのびのびと暮らすこと。それが姫神の使命だ。

 求めるものを求めるままに。望むものを望むように。金や服飾品はもちろん見目麗しい従僕に至るまで、大教会と王家が用意できる限りのものが与えられる。


 許されないのはふたつ。大教会の敷地の外に出ることと、大教会あるいは王家の許しなく人に会うことだ。


 姫神とは、人の世における神の代理だった。

 彼女達は神の愛し子で、いずれ神の御許に還るその日まで地上を幸福で照らす。

 十六歳の誕生日を迎えると、天還りの儀をもって彼女達は人の世を去る。

 そして、我が子をここまで守り慈しんだ褒美として、神は国に栄光をもたらすのだ────建国以来、そんな神話が今も脈々と語り継がれていた。


 姫神に無礼を働けば、それはすなわち背徳の罪。姫神の怒りを買い、神の裁きを受けるようなことがあってはならない。

 しかし姫神を大切に大切に扱えば、姫神は恵みをもって応えてくれる。そのために、姫神には愛やら希望やら、とにかくきらきらした美しいものだけが与えられる。

 不用意に人間の醜さを知ってしまわないように、心ない一部の人間に害されることのないように、姫神は国が用意した鳥籠の中で十六年間飼われ続けなければならなかった。


 この国はおかしい。いびつに発展した独自の文化はあまりに根深かった。


 ローウェンが生まれ育ったガゼルデア王国は、深い海に囲まれた島国だ。

 内陸には、多くの国家があるらしい。けれど、ガゼルデアの領海内とその外側には大きな隔たりがあった。文字通り、巨大な結界がガゼルデアを包み込んでいるからだ。


 神の加護という名の、色の揺らめく半透明の壁。まるで姫神の瞳のように色が移ろっていくその不思議な守りは、国内─かつ屋外─にさえいれば物理的な距離などお構いなしにどこからでも視認できる。

 地平の彼方に見える、空へと伸びる光の壁が実際にそびえているのは海の只中だった。壁の内部の際までがガゼルデアの領域だ。


 神の加護に囲まれた国境を越えられた他国の軍はなく、王家の許諾なしに加護の外に出られた国民もいない。

 それでもごくまれに、国家の印を背負った特別な旅人が来る。彼らは外交上の手続きを踏んだ移住者か、ガゼルデアに莫大な金を払った商人だ。


 前者であれば徐々にガゼルデアの社会に染まっていき、後者であれば金儲け以外のことに関心を寄せずに去っていく。だから、水を差すように吹いてくれる新しい価値観の風がない。

 そのせいで、少なくとも姫神の風習については建国以来ずっと絶やされたことはなかった────吹く風がないなら、起こすしかない。


「ガゼルデアは、まるでこの世の楽園だね」


 遠方の国から行商に来た商人がしみじみとそう語ったのは、ローウェンが十八歳のころだった。


 ちょうどその時、ローウェンはルー・レカという名前で領都のとある劇団に所属し、ちょっとした話題をさらっていた。


 座長はローウェンとそう年の変わらない男で、団員達も子供と大人の境にあたる年齢の者が多かった。

 夢のために旗揚げした小さな一座だ。広場の一角で始めた興行が徐々に大きくなっていったのは、夢にかける彼らの熱意と、ローウェンの経営手腕の賜物だった。


 平民にしては・・・・・・学があったローウェンは、運営に携わるよう座長から直々に抜擢されていた。興行を成功させて資金を稼ぎ、それを元手にして一座をさらに大きくしていくのは楽しかった。

 増えていくのはあくまでも劇団を動かしていくための金だから、ローウェン自身が自由に使える金ではなかったが……この劇団は、いずれ間違いなく必要になる。ローウェンにはその確信があった。


 今でこそある程度の規模はあるが、最初はとにかく人手不足の劇団だった。だから誰もが一人で様々な仕事をこなしていた。

 ローウェンは脚本を書くのも好きで、その作品が採用されることもあった。とはいえ元々は顔でスカウトされてきたため、役者として舞台の上に立つことも多かった。

 中性的な見た目で、声色も野太いわけではなかったローウェンは、優男の役がよく似合った。女よりも美しいとからかわれ、女優に集中できないからひっこめと野次が飛ぶのも日常だった。


 その商人は、ローウェンが出演した舞台を観ていた。偶然酒場で声をかけられ、なし崩し的に一緒に酒を飲んだ。商人は裕福で金払いもよかった。自分の商売も順調なのか、彼は始終上機嫌だった。


「いつかはガゼルデアに家を買おうかな。せめて別荘ぐらいはほしいものだ」

「やめとけよ。楽園は、たまに来るからこその楽園なんだ。根付くようなものを構えるべきじゃねぇ」

「地元の人はそう言うけどね。俺みたいな外国人からすれば、ガゼルデアこそ理想の国だよ。戦争もない、飢饉もない。あの……神の加護だっけ? 加護の中から救援要請が来たなんて話、とんと聞かないからね」

「どうかな。加護に遮られて、届かねぇだけかもしれねぇだろ」

「だが、いざ来てみても何も起きてないじゃないか。平和そのものだよ、この国は」


 その平和とやらは、何の罪もない無数の少女の屍の山の上に築かれている。そう言ったら、商人は「酔いすぎだよ」と笑った。

 それから商人は、他国で流布されているというガゼルデアの理想郷論を語ってみせた。生まれ育った祖国の、きれいなきれいな上澄みだけを掬い取った話だった。


 国境を神の加護が、そして人の意識を神秘性がそれぞれ守っている。

 他国にとってガゼルデアは犯せざる聖域か何かで、神の愛を独占する善良かつ高慢な選民主義の民族で、自分達とはまったく関係ない遠い世界の名前だった。


 加護の外から助けが来たなんて、ローウェンも聞いたことがない。

 ガゼルデアの根幹を為す“姫神”という制度に義憤を覚える人間がいたって、あるいはガゼルデアの豊かさを奪い取ろうと考える人間がいたって、そびえる神の加護の前には踵を返すのだ。どうしても加護を外から破りたいなら、それこそ祖国を売る必要がある。


 侵略の見込みがない国家を、一体どこの誰が攻め入ってくれるのだろう。その国の中だけで勝手にやっていることに対して、関係がないにもかかわらずわざわざ口を出すほど暇な国はない。

 姫神がもたらす恩恵に『他国への侵略』があれば話はもっと簡単だったが、生憎と神はそういった武力行使は好まないようだった。


 “姫神”と神の加護の間に、関連性は一切ない。“姫神”が最期にもたらす恩恵とやらが、客観的に証明されたためしはない。ローウェンはそれを知っている。


 ローウェンがそれを知るずっと前から、国の上層部はそのことに気づいていたのかもしれない。それでもガゼルデアは因習を撤廃しない。

 何故なら、その神秘が暴かれれば民はよりどころを失うからだ。神によって成り立ってきたガゼルデアという国家の根幹が揺らぐからだ。


 人間は未知のものを恐れる。なんでもいいから説明を必要とする。

 神の加護も、神が広める栄光も、原理はわからなくていい。ただ“姫神”という不思議な存在こそが、祖国が神に愛されている根拠であると言えればそれでいい。この国は神に愛されているから姫神が生まれて、姫神が天に還るとそれまでの感謝の証を賜れるのだ、と。


 姫神は、姫神として生まれた瞬間に人ではなくなる。

 人が縋るものこそが神なのだから、“ソレ”は決して人であってはいけない。だから、誰も彼女達を人間として捉えなかった。


 姫神は、人の女の腹を借りて生まれる神の子だ。その娘の母親も父親も、自分の娘が神からの預かりものだということは重々承知している。存在を秘匿したり抹消したりするような恥知らずな真似、ガゼルデアの民なら絶対にしない。

 彼らは姫神の誕生を目にした幸運にむせび泣き、喜んで大教会に捧げるのだ。そして姫神が齢十六を迎える朝を心待ちにし、月と共に天へと還る夜を待ち望む。姫神自身は、そんな家族のことなど知りもしないが。


 姫神を大切に思う人間は、天に還ることこそ姫神の一番の幸福だと信じきっている。

 娘を奪われた悲しみや憎しみも、大切な少女を殺された絶望や怒りも、感じる必要が一切ない。あるべきものがあるべきかたちになったという、ただそれだけのことなのだから。


 姫神自身もまた、齢十六を迎えて真実の父の御許へ向かうことが正しいのだと教え込まされる。彼女達は切り離された狭い世界しか知らず、この国を愛することを強制されて国のために殺される。


 神とともに在る国、理想の楽園ガゼルデア。

 八年ごとに生まれる奇怪な瞳の少女を人ならざる偶像モノに落とし込み、その人間性をすべて剥奪したうえで、十六年の月日をかけて無垢のまま飼いならし、やがては全国民の総意でもってその命を奪う。


 ────ローウェンの生まれた国は、そんな国だ。

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