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夏ノ二月 二週目四ノ日(前)

 マレーン座の芝居の話は、王都にもすぐ浸透した。いっとき何故か・・・警官が来たそうだが、すぐに解放されたらしい。

 それはそうだ。マレーン座に罪はない。姫神の風刺劇が侮辱にあたるのなら、国による生贄殺人を遠回しに認めてしまうことになる。でっち上げの罪状を着せようにも、長年ローウェンがプロデュースしてきたマレーン座にそんな隙はない。

 そもそも、民衆に人気を博す彼らを曖昧な罪状で長く拘留していれば、世論は不満に傾くだろう。その矛先を国に向けられるような危険を冒すぐらいなら、見て見ぬふりをしていたほうが賢明だ。


 結局、その謎の聴取はさらなる話題性を生み、『墜ちた姫君』には多くの観客が集う結果となった。

 自領が遠い貴族の中には、すでに王都を去った者もちらほらと見受けられた。王都で上演された劇の内容も、彼らがすぐに各地へと持ち帰ることだろう。


「何か言いたいことはあるか、ローウェン」

「何か、と申されましても。一体なんのことでしょうか」


 今朝の朝刊を手に、宰相エルドンはわなわなと震えている。その夫人フリジアは真っ青な顔でソファにもたれこんでいた。

 爽やかな朝に居間で過ごす家族の図とするには、あまりに不穏な気配が漂っている。異様な空気に飲まれ、使用人達は縮こまっていた。


「この期に及んでしらを切るつもりか!? 細かい設定を変えてはいたが、あれはお前とレアーナ様を題材にした物語だろう!? お前以外の誰があの話をマレーン座に提供できる!?」


 投げつけられた新聞を拾って広げてみる。マレーン座の躍進を伝えていた。彼らなら、ルー・レカがいなくてもたくましくやっていけるはずだ。


「この連中は、お前がオルヴェール領にいた時に所属していた劇団だな? 国中を巡業していたと聞いたが、まさか他の舞台も姫神の風刺のつもりか?」

「姫神の話だなどとは銘打たれていませんが。何故そうだとお思いに?」

「……ッ」

「それとも……自分達が何をやっているか、心の奥底では理解していたとおっしゃるのですか?」


 エルドンは言葉を失った。認められるわけがない。国を挙げた人柱さつじんを、四百年の長きにわたって続けていただなんて。


「どうして……どうしてなの、ローウェン。姫神様を馬鹿にして、神聖なる儀式に泥を塗ろうとするだなんて、どうしてそんな悪魔のようなことを……! それとも、わたくしの息子が悪魔だったからこそ、それを憐れんだ神がレアーナ様を遣わしてくださったというの……?」

「いい加減現実を見てください、母上。レアーナは神の子なんかじゃない──貴方と父上の血を引いて生まれた、私の双子の妹だ」


 手のひらで右目を隠し、ローウェンは泰然と微笑んだ。


「レアーナがもしも生きていたら、きっと今でも私とそっくりだったでしょうね」


 もしもこの右目が虹色に輝いていたら、もっと早くに妹の代わりになることを思いつけていただろうか。

 自由を知りたがった妹と入れ替わるように聖域の奥に囚われて、そのままあの業火の前に連れ出されそうになって逃げ惑い、民衆に死の恐怖と苦悶を知らしめて────レアーナは、生きていられたのだろうか。


「もしレアーナの目が、私と同じただの紫であったなら。レアーナは、今でも生きていましたよ」

「生きているだとか死んでいるだとか、そういった話をしているのではない! レアーナ様は虹の瞳を持つ姫神であり、生死の概念を超越した存在なのだぞ!? 人間と同列に語るのもおこがましいだろう!」

「いつまでその茶番を続ける気ですか? “姫神”などというものは存在しない。貴方達は、血の通った人間を強引に偶像として祀りあげ、一方的に犠牲を強いているだけだ」


 エルドンは押し黙った。その隙を突き、ローウェンは畳みかけていく。あくまでも冷静に、己の主張を淡々と。激情に身を委ねては、勝てる論戦も勝てなくなる。


「この国も、最初から姫神を搾取しているわけではありませんでした。ですが、後世の人々が都合よく捻じ曲げたのです」


 ローウェンは語る。レアーナを除いた過去五十一人の姫神、その生涯を。


 たとえば初代姫神、建国王の姉メニカ。彼女は数多の歴史書において、弟が神から国を賜った際に天に還ったと記されている。その時に国境を神の加護が包み込み、ガゼルデアは楽園となった。

 子供向けの教本にも載るぐらいの有名な話だ。だが、さかのぼれる限りもっとも古い古文書の記述は異なっていた。姫神は神の伝道者として大教会を築き、弟の治世を支えたとあるのだ。


 特に古い時代の姫神は、天還りの儀を行ったとされる公的な記録が残っていない。なんなら、十六歳で代替わりをした明確な根拠もないぐらいだ。

 それどころか四代目の姫神が、虹の瞳を持つ少女達を少なくとも四人以上は養育していたという信じがたい記述ならある。四代目の姫神が十六歳で天に還ったとすればつじつまが合わない。


 流れが変わったのは、十五代目の姫神から。

 干ばつとそれに伴う大飢饉が襲い、建国以来初といっていいほど国中が大きく乱れた。本当にガゼルデアが神の愛に包まれているならありえないことだ。

 神から見放されたと誰もが思った。民は自分達を守ってくれない王侯貴族の罪をあげつらい、王侯貴族は騒ぐ民への対処に手を焼いた────だから、その責任を押しつける存在が必要だった。


 選ばれたのが、姫神だった。


 十五代目の姫神が、その座にふさわしくないことをした。だからこの国は神の加護を失った。その贖いとして、人々は姫神の処刑を決行した。その時、十五代目の姫神は恐らく十六歳だった。


 きっとそれが、うまくいってしまった・・・・・・・・・・


 実際のところ、十五代目の時代に国が大きく乱れたのは王侯貴族の怠慢が招いたことだったのかもしれない。天災を甘く見て、蓄えをおろそかにしただけだ。

 姫神が死ねば次に犠牲になるのは自分だと、その時間稼ぎの間に誰もが必死になって立て直しを図ったのだろう。姫神の犠牲を経て国は一致団結し、ガゼルデアはもう一度栄華への道に進むことができた。


 だが、その暗い成功体験が狂気を生む。何か国内で問題が起こるたびに、責任は姫神に押しつけられるようになった。

 姫神が神の機嫌を損ねた。神の怒りは姫神にしか鎮められない。人とは違う虹の瞳の持ち主は、生贄の役に最適だった。


 ────それなら最初から姫神を捧げれていれば、人の世の悩みはなくなるのでは?


 そして始まったのが、“姫神”による天還りの儀だ。十六歳で行われることになったのは、最初に捧げられた十五代目の姫神をなぞっているのだろう。


 そして、これまで大教会の頂点に立っていた姫神という存在は、その役目を変えた。

 人々と共に祈る者から、人々に祈られるモノへと変貌した。


 どうにもならない災害が起きたとき、人はそれに神の試練という名前を与えた。人がきちんとそれを乗り越えられているか確かめるために施された、神による愛の鞭だということにした。それは、間違っても神の裁きではないのだ。


 そんな名目を用意した以上、それを乗り越えるための手段も国は用意した。

 たとえどんなことであれ、ガゼルデアを襲う不幸は人の力で乗り越えられるものでなければならなかった。

 天災、貧困、疫病、争い。それらの被害を最小限に抑えるべく、国はあらゆる対策を講じた。ガゼルデアを守る神の祝福の助けもあって、ついにこの国は諸外国から楽園とまで言わしめるほどになった。


 事前に姫神を捧げている以上、失敗は許されない。それでも、多少の不格好さだけであればごまかせる。国全体を信仰という霧で包み、自分達もそれに浸かってしまえばいいだけだ。


 犠牲になった“姫神”達に、せめて報いようとしていたのかもしれない。いつしか、民を救うために奔走する者こそが王侯貴族としての身分を戴くようになっていた。

 その尽力の精神は、高貴なたしなみとしてガゼルデアの上級層に根付いている。それと同時に、“姫神”を偶像に昇華させる土台も整っていた。長い歴史の中にはローウェンのように異端の声を上げた者もいたかもしれないが、それは狂信によって押し潰された。


 幸いなことに、二十三代目の姫神の時代以降に国を揺るがす大事件が起きたことはない。

 だからこの国は、今ものうのうと姫神の屍の山を築き上げている。


「き、詭弁だ! お前の調べた歴史が真実である保障などどこにもないだろう!」

「おっしゃる通りです。神の祝福については不可解なことが多すぎる」


 指摘されてなおもローウェンは悠然と微笑んだ。あふれるその自信が、ローウェンの底をエルドンから覆い隠して掴ませない。


 ────その通り、まったくの大嘘だ。


 ローウェンが語ったのは、あらゆる史料を切り取り、時には繋ぎ合わせて生み出した推論に過ぎない。

 彼は自分にとって都合のいい歴史ものがたりを構築し、それを自らの戯曲に落とし込んだだけだ。


 初代姫神が大教会の祖であることや、十五代目の姫神の時代に大きな災いが国を襲ったことは確かに歴史書に載っている。

 神子が人々に信仰を広めるのは当然のことだし、姫神が粗雑に扱われれば厄災が降りかかるといういい例として知られていた。だが、あくまでもそれだけだ。


 ローウェンが披露した五十一人の姫神の人生なんて、しょせんはただの曲解だった。彼の憶測を本当に裏付けるような史料が残っていれば、“姫神”という伝統はもっとたやすく崩れただろう。


 それでも、人は信じたいことだけを信じる生き物だ。

 歴史は常に、後世の人間が都合のいいように形作ることで紡がれていった。だからローウェンも、自らの手で歴史を残す────風説を流布して人々の心に根付かせた今、虚構が現実に取って代わる日は近い。


「この国がうまく回っているのも、神の力が働いているからかもしれない。そもそも、八年ごとに生まれる虹の瞳についても説明はできません。……だからといって、虹の瞳の少女を殺していい理由はない」


 それに、ローウェンはひとつだけ、揺るぎない真実を知っている。

 嘘か本当かもわからないような、遠い過去の話ではない。この目でしかと見届けた、唯一断言できることがある。


 恐らく、姫神がどう生きようが、あるいは天還りの儀で殺されようが、この国を包む不思議な壁が崩れることはないだろう。

 神は己の娘がどういう風に扱われようが、気にも留めていないのだ。そんなことでは神の裁きは下らない。神が裁きを下すとするなら、その理由は別にある。


「これは私の仮説ですが……姫神が“姫神”として犠牲になることを強要される以前は、天還りの儀などなかったのではないでしょうか。そもそも天還りの儀自体が、人の手によって捏造されたものなのです。天還りの儀を行わなくてもこの国が加護を失わなかったことは、八年前に貴方がたも目にしたでしょう?」


 八年前、レアーナの代わりに衆目に晒されたのは女装したローウェンで、レアーナの代わりに火あぶりになったのは人形だ。

 レアーナは地に墜ちて亡くなった。その魂が煙と共に天に昇ることはなかった。姫神がたとえ天に還らずとも、神の裁きは下らない。


「……理想で国は動かせないぞ」

「それでも、理想で守れる国はあります」


 ローウェンが何を言いたいのか理解したのだろう。エルドンは脱力し、ずるずるとその場に崩れ落ちる。負け惜しみにも似た正論を、ローウェンはあっさりと切り捨てた。


「ローウェン。お前は八年前から、何も変わっていなかったんだな」


 父の悲痛な声も、もはや返事には値しない。


 ローウェンは踵を返して部屋に戻り、必要最低限の旅支度を整えた。その中には、事前に工面しておいた当面の資金と、即座に換金できそうな小物も含まれている。


 その鞄を持って外に出る。追っ手はついぞ来なかった。

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