愚者の塔
『エリザベート!お前との婚約は今を以て破棄する!罪人のお前はこの国から出ていってもらう!』
怒鳴ってる王子にしがみつきながら、悪役令嬢のエリザベートをコッソリ盗み見た。
銀の髪にエメラルドの瞳、前世で読んで覚えている漫画の通りの冷たい顔。
『わたくしが何をしたと言うのです?』
『白々しいぞ!衛兵エリザベートを連れてゆけ!!』
バタバタと衛兵が駆け寄りエリザベートを連れてゆく。とうとうシナリオ通りにエリザベートが断罪された。
これでハッピーエンド決定だわ。
ひとり歓喜に震えていると、広間に大聖堂の鐘の音が鳴り響く。その音色はひび割れ不吉な音を奏でている。
リンゴーン…リンゴーン、リンゴーン。
鐘の音を合図にエリザベートの断罪でざわめいていた人々の動きがピタリと止まり会場は静寂が支配する。
突然王子が私の腕から抜け出した。
「え?」
見上げれば冷たい目で私を見ている。
いったいなんなの?
物語はハッピーエンドで終わりでしょう?
「物語には終わりが来る。君にも終わりが来たようだ。さよなら転生の子よ」
私の周りを神殿の聖騎士達が囲んでいた。
「では宜しくお願いします」
王子が聖騎士達を誘導して私を捕まえる。
え?頭が混乱して、思考が上手くまとまらない。
ねぇ、待って、待って。
転生の子って?
それって王子は私が転生者って知ってたの?
悪い予感で体が震える。信じていた世界が根本から無くなって足元が覚束ない。
騎士に連れて行かれる時になんとか振り返り王子を見れば、広間にいる貴族達と和やかに笑いあいお互いを労っている。
何かがおかしい。そう思いながら騎士に引き摺られるように連れて行かれたのは小さくて狭苦しい部屋だった。
「田中エミ」
弾かれるように声の主を見ると、小さな部屋のソファに小柄な老人が座っている。さっきまで誰も居なかった筈なのに。
「え…ええと、私は」
「誤魔化しても視えているから無駄じゃ」
「…あんた誰?」
「ふむ、間違いは無さそうだの。享年19歳か若くして亡くなって無念だったな」
「…え」
何で全部知ってるの?
「まあ、警戒するより先に話を聞きなされ」
「……」
「儂等はこの世界を守るための組織ガーデンの者じゃ」
「ガーデン?」
「まぁ早い話は、この世界に落ちてくる転生者を見つけ出して隔離する者じゃ」
「隔離?」
「隔離じゃ」
老人は冷たい目で私を見た。
「乙女ゲーム」
「え?!」
「攻略対象じゃったかな?」
「……」
「お前達転生者は国を滅ぼす。これまでにどれだけの国が滅びた事か…」
「そんなの言い掛かりよ!私は何もして無い」
「よく言いおる。アレを」
聖騎士のひとりが水晶玉を目の前にゆっくりと置いた。なにこれ?
「お前達でいう記録媒体じゃ。どうした?顔色が悪いようだが?まあゆっくりと見てみるといい」
そこに映されていたのは、自分でノートを切り裂く私。自分で池に落ちて王子に助け出される私。少女達に囲まれ文句を言われて泣きながら走り去り取り巻きの男子に慰められる私。
「シナリオ通りというやつかな?エリザベートが何もしてこないから自作自演だったかの。おやおや顔色が悪いな、真っ青だぞ」
ギュッと手を握りしめる。
自作自演だからなんなのよ。私はハッピーエンドになりたかっただけじゃない。
「まだ理解していないようだのお。お前達ヒロインという転生者が国を傾かせ滅亡させたあまたの歴史…そこから先人は原因を見つけ出したのじゃよ」
いつの間にか背後に聖騎士が立っていた。
「お前達転生者を殺すと苛烈な怨みで呪いが生まれるからのお。浄化するのに時間がかかるゆえに」
首にヒヤリとした物が嵌められた。
「魅了と魔力封じのチョーカーを着けてもらうだけじゃ。
取り敢えずこれで一安心というところか」
なにこれ、冗談じゃない。全然良くないんだけど。それに、これは王子や悪役令嬢が身に着けていたチョーカーと同じ物。
「全く反省の色もないか。連れて行け」
屈強な聖騎士に掴まれ引き摺られて連れて行かれたのは巨大な赤い膜に覆われた街のゲート。
ゲートは銀色に輝く金属の扉で門番が二人立っていた。聖騎士は書類を差し出し門番に告げる。
「転生者番号361。こいつの引き渡し書類を確認してくれ」
「書類に不備はない。引き渡し作業完了とする。ご苦労さん」
聖騎士にドンと背中を押された。門番の前に突き出され、勢いたたらを踏む。屈強な門番が銀色の扉を開け中に入るように顎をしゃくる。
なんで?なんでなの。この状況についていけない。頭の整理がつかないまま私は扉の中に入った。
「転生者番号361、田中エミですね。私はガーデンの案内人です」
待っていたのは白いローブを着た背の高い女。見上げた女はローブのフードを深く被り顔すら見えない。
「田中エミではないのですか?」
「え、いや、そうですけど…」
前世の名前で呼ばれても。
「不満そうですね。でも今世のあなたはシエン男爵の娘アリアとして生まれた。しかしアリアとしての人生と意識を捨て去った。
そして前世の田中エミとしての情報と意識を持ち、その情報通りに生き抜くことを選択した。だからあなたはアリアではなく田中エミでしょう?」
それがなんだって言うんだろう。私は私なのに。自分を否定されてモヤモヤする。
「些細な事と思っていますね。まぁいずれわかる時がきます。そうそう今この瞬間からあなたは平民です」
「え?」
「特に問題は無いはずです。エミとして生きた時も平民でしたよね。そして閉ざされたこの街から二度と出る事は無いでしょう。
さぁ今日からあなたの住む場所へ案内します。質問があったら今のうちにどうぞ」
自分が立っているところから真っ直ぐ伸びた道は一枚の板のように薄っぺらく、その先に目的の場所が見えた。丸く円形の森に囲まれ巨大な都市が空中に浮かんでる。
「浮かんでいる…」
「脱走防止用です。落ちたら死にますから」
「だ、脱走?」
「ええ、ここは一度入ったら生涯出る事は叶いません。
まあ、ここから出る手段は2つありますが、多分あなたには出来ないと思いますけどね」
「え…」
脱走する人がいる程の場所なの?
「わ、私はそこで何をされるの?」
「さあ?特にガーデンからは何もしませんよ」
「そうなんだ」
何か酷い事でもされるのかと身構えていたけれど、そんなんじゃなさそうで少し体の強張りはとれた。
割り当てられた居住は、街の西側に建つ高い塔の最上階だった。新しく入ってきた者が最上に住み、古い住人は下へ降りてくる。
塔は岩石で組み上げられていて、剥き出しの岩肌はゴツゴツとしている。
「何これ…牢獄みたい」
小さく呟いた言葉をガーデンの案内人は聞き漏らさなかったようで。
「牢獄みたいではなく、牢獄ですね」
「はあ?私は罪人って事?何よそれ有り得ない!」
案内人から冷たい視線が突き刺さる。
「他人を冤罪に陥れようと画策した人間はよく吠えますね。恥すら感じないからここにいるのを覚えておくといいですよ」
そう言われ古びた鍵を渡された。
「部屋は最上階です」
それだけ言うと案内人は去ってしまった。
「な、なんなのよ…」
私は掌にある冷たい鍵を握りしめ塔の最上階を見上げた。逃げたくても他に行く場所すらない。覚悟を決めて塔の扉を開けた。
コツコツと私の靴音が石の階段に響く。
1階層に1部屋。塔の真ん中に部屋があって石の階段は螺旋状になり上に続いている。人の気配は全くしないのが不気味だ。螺旋階段の壁には揺らめく蒼い炎が掲げられている。
この塔全体に魔法灯がつけられていて、何か頭の中を覗かれているような気持ち悪さが常にある。
汗が頬を伝う。
どのくらい螺旋階段を登っているのかすら分からなくなっていた。疲労で呼吸も荒い。
もう10の部屋を過ぎてからは数えるのを止めた。見上げてもまだまだ階段は続いている。
足や体は鉛のように重く手を壁について休み休み登る。
こんな目に遭う事を私はしたのだろうか。
初めて自分の中にそんな疑問が湧いた。
寒々しい石牢の階段をのろのろと登る。それしか、登り続けるしかないからだ。
何百と石の階段の途中でとうとう足が止まり、階段に座り込む。
なんなのこれ。
数時間経っても辿り着けない。疲労はピークに達した。一度座り込んでしまえばもう立てない。力も出ないし空腹でシクシクと横腹が痛みだす。
ぼんやりと今迄の自分を考えた。
『他人を冤罪に陥れようと画策した人間はよく吠えますね。恥すら感じないからここにいるのを覚えておくといいですよ』
冤罪?
だって…生まれ変わる前は、みんな都合の悪い事を他人に押し付けて、自分に都合の良い事だらけの社会だったじゃない。
なんで皆は良くて私だけがこんな目に遭うの?
意識がどんどん遠くなる、まるで眠る時みたいだ。こんなところで寝るの…かな…。
□□□□
「転生者番号361、眠派確認しました!」
「よし、直ちに回収!塔から隔離ポットへ速やかに移動せよ」
「了解」
指示により防護魔法でガードされた衛生班が塔の中へ回収作業に向かった。伝染らないとは頭では分かってはいても心の恐怖は拭えない。
こんな風に捕獲出来るのは稀だ。
この世には隠れ転生者が千人以上いるとされている。奴らは巧妙に世間から隠れて生活している。
今回は発見し無傷で捕まえることのできた貴重な361人目。
ある日、突然に夫が妻が親が兄弟が姉妹が恋人が息子が娘が孫が別人に換わる恐怖。別れも何も言えない突然の消失。人の皮を被った悪魔達。
この世界の恐れと憎しみの対象をゆっくりと搬送する為の作業に移る。背中のボンベに繋がるホースを取り出して転生者に向けると、緑スライムから抽出した粘液を転生者に掛ける。それはゆっくりと全体に行き渡り固まってゆく。ものの数秒でカチコチに固まる。
やっと安心して息を吐いた。
前例では作業中に目を覚ました転生者が勇者系能力者であった為に酷く暴れて死傷者が出た例もある。危険手当が高いのはその為だ。
数人でカチカチに固まっている転生者をゆっくりと塔の下へ降ろす作業が終われば後はポットと呼ばれる貯蔵層に投下するだけだ。
この転生者も何度も引き返せる分岐があった筈だ。最後の審判と呼ばれる塔の中で自問自答もあっただろう。
永遠に登り続ける中で、途中で自分の行いに気がつけば部屋は現れるシステムになっている。
現にあの塔で生活している転生者だっている。
運び込まれたドームの中央には厳重に管理された貯蔵ポットが設置されている。水は毒々しいエメラルドグリーンをしていて鳥肌が立つ。その中へゆっくりと足から入れた。大きな池程もある貯蔵ポットには塔で悔い改めなかった対象者達が沈められている。
彼等は膨大な魔力エネルギーを吸い出され体はジワジワと溶けて、固まっている緑スライムの抽出物と混ざり合いエメラルドグリーンの水となる。
この中で彼等彼女等は、悪夢かそれとも自分に都合の良い夢を見ているのだろうか。
エメラルドグリーンの水面にプクプクと気泡が浮かぶ時、人の声も一緒に聞こえるそうだ。
あまりにか細い音で何を言っているのかは誰にもわからない。