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弥勒の剣(つるぎ)  作者: 真桑瓜
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博多再び

博多再び


「はい、これで終わり」

左肩に晒しを巻き終えて鈴が言った。

「痛かったでしょう?」

「いえ、それほどでも・・・」

「良いのよ、痛かったら痛いって言えば」

「しかし、武士の端くれとして・・・」

「武士だって痛いわよ。私、薫を痩せ我慢するような子には育てたくないから」

「はぁ・・・」

弁千代はまじまじと鈴を見た。

「何だか鈴さん昔に戻ったみたいだ」

「そう?私も吹っ切れたかな、無理して武家の女の真似をしてみても、育ちが育ちだからね。窮屈で仕方ないわ。義父上もそうしろって言ってくれたし」

「伊織殿が?」

「違うわ、吉右衛門様よ」

「ご家老が・・・」

「もうすぐ武士の世は終わる、いつまでも仕来りに囚われていたらこれから生きにくくなるって」

「それはそうですが」

「安心して、ちゃんと心得ているから。公の場では武家の女を演じるわ」

「よろしくお願いします」

「この子はのびのび育てます。ねぇ、薫」

薫は訳も分からず笑っていた。


*******


壱岐の容体は快方に向かった。歩けるようになり、最近では筑前武蔵寺温泉に湯治に出かけられるまでに回復した。


「ご家老、ご気分はいかがですか?」屋敷の縁側でメジロに餌をやっている壱岐に進が訊いた。

「うむ、だいぶ良いぞ。お主達のお陰で頭の固い家老どもも大人しくなった」

「ムカイは流石になんの証拠も残しませんでした。盗賊の仕業として処理される模様です」

「仕方あるまい」

「この上は一刻も早くお身体をお治し下さい」

「うむ、そう言えば、弁千代の傷の具合はどうだ?」

「はい、なんとか左腕が使えるようになったようです」

「矢は、どうやって抜いた?」

「傷口を切り開いて、鍛治用のツカミハシで折れた矢を掴んで引き抜きました」

「痛かったであろうの」

「呻き声ひとつ上げませんでした」

「そうか、あっぱれな男よのぅ」

「しかし、最近では傷が痛むと弱音を吐いております」進は少し笑った。

「ほう、そんなに我慢強い男がか?」

「はい、もう、痩せ我慢はしないのだそうです」

「何故じゃ?」

「奥方に諭されたとか・・・」

「はははは、剣は強くても女には弱いか」

「そのようです」

「儂もそうしたいが・・・」壱岐がポツリと呟いた。

「は・・・?」

「いや、こちらの事だ。もう暫くは痩せ我慢せねばなるまい」

「御意」

「もう少し歩けるようになったら、長崎へ行く。そちも着いて参れ」

「ははっ、喜んで」

「ついでに長崎の蔵屋敷も見てこよう」

「まだ、公務はお控えになった方が宜しいのでは?」

「いや、気になる。せっかちな性格は治らぬのぅ」

「くれぐれもご無理はなさらぬよう」

「心配するでない」


文久二年五月半ば、壱岐は治療の為長崎へ旅立った。

この年は安政七年の桜田門外の変に続き、老中安藤信正が坂下門外で襲われ失脚するという事件が起きている。

江戸は騒がしかったが、柳河は平穏を保っていた。


*******


肩の傷も癒えて、屋敷の庭で剣の形を使っていた弁千代の所へ、鈴が手紙を持ってきた。

「ベンさん、鎌池検校様からですよ」

「ああ、ありがとうございます」

弁千代は縁側に腰掛けて手紙を開いた。

「黒田藩のお城で検校様主催の剣術試合が行われるそうです」

「出るの?」

「肩慣らしに出てみようかな」

「じゃあ、また暫くいなくなっちゃうのね?」

「今度は一緒に行きましょう、薫も来年は五歳になります。二、三日の行程ならいけるのではないでしょうか?」

「ほんと、嬉しい!」

「義父上に頼んでみましょう」


*******


「おう、行ってきねぇ。今の所、古狸達も大人しい、この機会に骨休みして来るが良い」

「ありがとうございます」

「鈴にとっちゃこの柳河に来てから初めての旅だ、嬉しいだろう」

「薫も連れて行きます、お寂しいでしょうがどうぞよろしくお願い致します」

「可愛い孫には旅をさせろだ、遠慮しねぇで行って来な」

「では、明後日出立致します」

「分かった、楽しんで来い。検校殿に宜しく伝えてくれ」

「はっ!」


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