密偵
密偵
「九絵の弥七さんですね?」
後ろから声をかけられて弥七は振り返った。行商の男が立っている。
「誰でぇ、お前ぇは?」
「いえ、名乗るほどの者ではございません、ただの旅の薬売りでござんす」
「その薬売りが何の用でぇ」
「ここで立ち話も何ですから、お近付きの印にそこの居酒屋で一杯いかがですか?」
男は猪口を持ち上げる仕草をした。
「奢ってくれるのかい?」
「はい、そりゃもう、こちらからお誘いしたのですから」
「そいつぁありがてぇ、ちょうど喉がからっからだったんだ」
「では、まいりましょう」
「おう、すまねぇな」
弥七は薬売りに付いて縄暖簾を潜った。
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「・・・と言う訳なんです」
小上がりの座敷に席を占め、弥七に酒を勧めながら薬売りが言った。
「あの侍ぇは、そんな酷い事をお前ぇさんにしたのかい?」
「はい、私はただの行商人、お侍に文句をつける訳には参りません。このまま泣き寝入りかと諦めかけた時、弥七さんとあの侍を見かけたのですよ。私一人ではどうにもならねぇが、弥七さんと一緒なら、奴に一泡吹かせる事ができるんじゃないかと思いましてねぇ」
「俺も奴には恨みがある、が、奴は強ぇぜ」
「そこですよ、ご相談は・・・私が調べたところでは、奴は明日玄海屋へ行く事になっているんですよ」
「なにっ、玄海屋だと!」
「弥七さんも玄海屋とはただならぬ因縁のあるご様子、あの侍と玄海屋に意趣返しが出来りゃ一石二鳥じゃありませんか?」
「違げぇねぇ!・・・だけどよぅ、二人で乗り込んでも追い返されるのがオチだぜ」
「そこで弥七さんに用心棒を雇って貰いたいのですよ。もちろん金は私が出しますが・・・」
「そりゃ造作もねえや。うちにゴロゴロしている浪人に声をかけりゃ喜んで手伝ってくれるぜ。で、いくら出せる?」
「一人一両でいかがです?」
「大盤振る舞いだな、で何人だ?」
「三人ほど」
「分かった」
「ただ、私は訳あって顔を見られる訳にはまいりません」
「いいぜ、金さえ出してくれりゃ文句はねぇ」
「ではよろしくお願いいたします」
「おう、大船に乗ったつもりで任せておきな」
「ささ、もう一杯いかがです・・・」
薬売りは弥七に酌をしながら、ニヤリと北叟笑んだ。




