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弥勒の剣(つるぎ)  作者: 真桑瓜
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太刀合い

太刀合い


藩の道場で道場破りのような真似は出来ない。

弁千代は門番に無門吉右衛門からの紹介状を差し出し、検校に取り次いでもらうよう頼んだ。

門番は暫し待つよう弁千代に言って、奥へ入って行った。

暫くして門番が帰って来た。

「ただ今検校様は留守にしておられる。師範の宮原左近様がお会いになるそうだが宜しいか?」

門番が検校の留守を知らぬ筈は無い。どうやら居留守のようだ。

だが、ここまで来て後戻りは出来ない、弁千代は承知した。


道場に入ると五十名ほどの藩士が稽古をしていた。流石に町道場とは規模が違う。

「稽古やめ!」

道場の正面に立っている四十がらみの男が言った。宮原左近だろう。

藩士たちは、さっと壁際に下がって座った。

「中武弁千代とはお主か?」

「はい」

「柳河のご家老の紹介故稽古を差し許す、稽古着に着替えて参れ」

横柄な態度で宮原が言った。

「私は稽古をしに参ったのではありません」

「何?」

「鎌池検校様にお願いの儀があって参ったのです」

「検校様はお留守だ、そう言う事ならば出直して参れ」

弁千代はふっと息を吐いた。

「居留守を使われては困ります」

「何を無礼な!」周りの藩士たちが色めき立った。

「静まれ!」宮原が藩士達を制した。

「生意気な事を言う。今の言葉聞き捨てならぬ」

「ならば、どうなされます?」

「お主、ここの噂は聞いておるか?」

「はい、一度入れば生きては出られぬとか・・・」

「では、既に覚悟は出来ておるのだな?」

「死ぬ覚悟なら何時いかなる時でも出来ております」

「良う言うた・・・誰か木剣を持て!」

心得た藩士が、木剣を二本持って来た。宮原は受け取って一本を弁千代に差し出す。

「取れ」

「致し方ございません」

弁千代は木剣を取った。


相正眼に構えた。間合いは一間。

摺足すりあしで前に出る。宮原が呼応して右斜め前に移動。

弁千代の切っ先がそれを追う。

嫌って宮原が木剣を被せて来た。

逆らわず切っ先を落とし剣を反転させて宮原の面を襲う。

しのぎを返して宮原が受けた。そのまま弁千代の剣を弾き返して逆胴へ。

剣を立てて鍔元で受けながら前に出た。宮原も剣を上げ鍔競合つばぜりあいに持ち込む。

互いの力が拮抗する。

宮原が力任せに押し込んできた。押されるがままに後退する。

ふっと身を沈めて脛を狙った。宮原が跳躍してかわし振り向きざま剣を振り下ろす。

前に飛んで前転、受身を取って立ち上がった。

互いに切っ先を相手に向けた。

「やるな」宮原が北叟笑ほくそえむ。

「貴方こそ」

「参る!」

「応!」


「それまでじゃ!」

何時の間にか道場の入り口に人が立っていた。

「先生!」宮原が叫んだ。

「宮原止めよ」

「まだ勝負はついておりませぬ!」

「足音と剣を打ち合う音を聞いておれば分かる、今ならどちらも無傷で済む」

「し、しかし・・・」

鎌池検校が道場に入って来た。盲目とは思えぬ足取りだ。

「中武弁千代殿と申されるか?」

「はい」

「私がお相手いたそう」

「えっ!」

「お嫌かな?」

「滅相もない、願っても無いことでございます」

「では、参られよ・・・」


検校は右手に木剣を提げて立っている。

気負いは全く感じられない。

弁千代は正眼の剣を検校の喉に向けて構えた。

滑るように間を詰める。検校は動かない。まっすぐに剣を突き出した。

検校が舞った。そう思った時には左の肩に軽い衝撃があった。

間合いを切って構え直す。剣を後方に引いた。

検校は元の姿のまま。

歩くように前に出た。それを迎えるように検校が両手を広げる。

袈裟懸けに斬り込んだ。近い!検校の顔がすぐ横にあった。

むねを剣で押さえられ肩で体当たりを喰らった。

三間は飛ばされた。受身を取って立ち上がる。

スルスルと間合いに入って来た。

間に合わない。態勢の整わぬまま今度は右肩を打たれた。

大きく引き下がって下段に構える。

初めて検校が構えた。何の変哲も無い正眼。その切っ先が弁千代を捉える。金縛りにあったように動けない。

検校が近付いて来る。動けない。ゆっくりと検校が剣を上げる。喉に剣先が触れた。

「参りました!」

弁千代はひざまずき頭を下げた。短い間に三度も斬られたのである、負けを認めるしか無い。

「久し振りに楽しかった」

「何故私は動けなかったのでしょうか?」弁千代が訊いた。

「人の事は分からんよ」

「では、先生はどう動かれたのですか?」

「さあ・・・ただ、どうせなら楽しもうと思った」

「楽しむ?」

「一緒に遊ぼうと思えば相手を好きになれる。手を繋げば、相手の気持ちがわかって、相手の動きも自然に見える」

「・・・」

「尤も、儂は盲じゃがな…」

検校はそう言って笑うと、木剣を宮原に渡した。


「こちらへ参られよ」

検校は先に立って弁千代をいざなった。

「せ、先生・・・」

「宮原、お主もじゃ」

検校はさっさと道場を出て行った。

宮原は藩士達に稽古を続けるように言って後を追った。


奥の座敷で検校と向き合った。宮原は弁千代の斜め後ろに控えている。

「近頃、儂を倒して名を上げようという輩が多いのでな」検校が言った。「居留守を使った事は許せ」

「その輩はどうなりました?」

「不幸な事に二人とも怪我をした」

宿の仲居の話とは大分違う。

「噂には尾鰭がつくものじゃ」検校が弁千代の心を読んだように言った。「儂の目は眼病じゃ、自分で潰したりはせぬよ」

どうやら、仲居の話も町道場での情報も、大袈裟に伝わったものらしい。

「検校様がお相手なされたのですか?」

「いや、そこにおる宮原じゃ」

「私も同じ運命を辿るところでした」弁千代が宮原を見た。

宮原は答えない。

「それはどうかな?」検校が言った。

「先生、それは拙者が負けるかも知れぬ・・・という事でしょうか?」

「お主が一番わかっておろう」

「私は死ぬ覚悟はできております!」

「馬鹿者!まだ分からぬか、お前は何の為に二人も不具にしたのじゃ!」

宮原は唇を噛んで押し黙った。

「ところで中武殿・・・」

「はい」

「博多の商人を紹介して欲しいという事じゃが?」

「はい、藩の財政再建の為、恥を忍んでお願い致します」

「うむ、上手く行く保証はないが儂で良ければ力をお貸ししよう」

「はっ、あり難き幸せ!」弁千代は畳に手をついて頭を下げた。

「今、存知よりの商人に書状を書くゆえ、暫くお待ち願いたい」

そう言って検校は座を立った。

後には宮原と弁千代が残った。気まずい沈黙が続く。

その空気を和らげるように弁千代が訊いた。

「失礼ですが検校様は盲目、字をお書きになるのに不自由はないのでしょうか?」

「先生の字はその辺の目開きなど足元にも及ばぬほど立派だ。目が見えぬ事など先生にとって何の不自由もない。我々は目が見えるばっかりに迷いが出るが先生の剣には迷いがない」

「覚えておきます、本日は有難うございました」弁千代は若輩らしく年長の宮原に頭を下げた。

「い、いや。拙者の方こそ、今日はありがとうござった」

弁千代と宮原は、互いの目を見合わせて笑った。


検校が手に書状を持って戻って来た。

「これを持って廻船問屋の玄海屋を訪ねて見られるが良い」

「玄海屋・・・」弁千代はどこかでその名前を聞いた気がしたが思い出せなかった。

「どうかされましたかな?」

「い、いえ、有難うございます」弁千代は書状を押し頂いて懐に入れた。


道場の玄関まで宮原が送って来た。

「今日はもう遅い、玄海屋を訪ねるのは明日にした方が良かろう。どうだ、今夜は俺に付き合わんか?」

「はあ・・・」

「お主、先生に子供扱いされて落ち込んだか?」

「少し・・・」

「正直だな。博多の食い物は美味いぞ、反省するにしても話し相手がいた方が良いのでは無いか?」

「そうですね、では、お付き合い致します」

「そうか、では着替えて来るのでここで待っててくれ。今日は俺も楽しめそうだ」


弁千代は検校の言葉を思い出した。『一緒に遊ぼうと思えば相手を好きになれる』


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