城下町
城下町
翌夕、弁千代は三ッ瀬峠を下って黒田藩の城下に着いた。
昨日の追手の気配は無い。
藩道場を訪うのは明日にして宿を探す。
城の西側に繁華な町があった。弁千代は細い流れに架かった橋を渡って町に入った。
新しい町のようだ、まだ白木の匂いが漂っている。落ち着きはないが活気がある。
城の堀と思しき場所に宿の立ち並ぶ一角があった。
追手を躱すには小さな宿の方が都合が良い。弁千代はなるべく小さな宿を探して歩いた。
ふと鮮やかな色が目に飛び込んで来た。
十七、八くらいの美しい町娘が侍女を連れて歩いて来る。
娘は薄桃色の地に桜の柄の着物を着ていた。若々しい柄がとても似合っている。
娘の進行方向の先に、縞の単衣の胸をだらしなくはだけたやくざ者が、にやけた顔つきで道を塞いでいた。
「これはこれは玄海屋のお嬢さん、どちらへお出かけで?」
娘は気丈な顔で男を見返して言った。
「あなたにいちいち教える必要はありません、何の用です!」
「これはご挨拶だ、先日お店にお邪魔してお願いした事をお忘れじゃありますめぇ」
「あのお話は父がキッパリとお断りした筈です」
「そうつれねぇことを言いなさんな。うちの若親分がどうしてもおめぇさんを嫁に欲しいと仰るんだ、あんたが承知すりゃ玄海屋の旦那も嫌とは仰るめぇ」
「たとえお父っつぁんが許しても、私はヤクザの嫁になる気など更々ありません!」
「何だと!」男が気色ばんだ。
それまで後ろに控えていた侍女が娘の前に出た。
「九絵の弥七、あんたのような下っ端の出る幕じゃないよ!とっとと帰って若親分に、今のお嬢様の言葉を伝えな!」
主人の娘に負けず気の強い侍女である。博多の女子衆とはこう言ったものか、弁千代は傍観しながら驚いていた。
「てめぇ、侍女の分際で俺に指図しやがるのか!」
「お前こそ下っ端の分際でおこがましい、この下衆野郎!」
「何だと、この尼!」
男が拳を振り上げた。
「およしなさい!」
いつの間にか弁千代が男の後ろに立って、振り上げた腕を掴んだ。
「誰だてめぇ!」男が振り返って叫んだ。
「ただの通り縋りです、こんな往来の真ん中でみっともない真似はおやめなさい」
弁千代が言うと男は空いた左手を懐に突っ込んだ。
「これでもくらえ!」
いきなり匕首を突き出した。
弁千代はとっさに身を転じて匕首を躱し、掴んでいた手を軽く捻った。
男は宙に舞い背中から地面に落ち、ぐっ!と唸ったまま目を白黒させた。
弁千代が近付くと、男はヨロヨロと立ち上がり後退さる。
「覚えてやがれ!」
捨て台詞を残して駆け去って行った。
「お侍さん、大丈夫かね?」
気の強い侍女が訊いてきた。
「え、ええ、私はこの通り・・・」
「お兼さん、今の見ていたでしょう。お侍さんに失礼よ」
娘が弁千代の前に来た。
「お見苦しいところをお見せ致しました。私は廻船問屋玄海屋の娘、祥乃と申します。危ないところをお助けいただき有難うございました」
祥乃は静かに頭を下げた。
「私は柳河藩家臣、中武弁千代」
「あんな奴、私が追っ払ってやったのに・・・」お兼はまだブツブツ文句を言っている。
「申し訳ありません、商いをやっておりますと今のようなことはよくある事です、お気になさらないでくださいまし」お兼を横目で睨みながら祥乃が言った。
「いえ、こちらこそ差し出がましい真似を致しました」
「では急ぎますのでこれで失礼致します」
祥乃とお兼は弁千代に頭を下げて去って行った。
『何とも勇ましい女子衆だ・・・』
弁千代は二人の背中を見送った。
堀の対岸の柳の木の影から、一人の男がこの様子をジッと見ていた。
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西新屋というこじんまりとした旅籠に草鞋を脱いだ。
堀に面した二階の部屋に通される。
「黒田藩の剣術道場は何処でしょうか?」茶を運んで来た仲居に聞いた。
「はい、お城の東学問所の隣にありますけど・・・お侍さん行かれるんですか?」
「明日行ってみるつもりですが・・・何か?」
「いえ、別に・・・」
「気になります、何かあるのなら教えてください」
「はあ、これは噂ですが・・・」仲居は口籠った。
「どんな噂でしょう?」
「剣の修行で道場を訪れたお侍は生きては帰れぬと・・・」
「それほど腕の立つ剣術家がおられると言う意味ですか?」
「そう、とってもお強くて残忍な方だとか」
「お名前は何と言われます?」
「はい、鎌池検校というお方だそうです」
「検校?」
検校とは盲人の役職の最高位の呼び名である。
「はい、お目がご不自由だとか・・・」
「目が見えぬのですか?」
「そう言う噂です、私にはそれ以上の事は分かりません」
「そうですか、ありがとう・・・」
仲居は解放されてほっとした顔で出て行った。
盲目の剣の達人。
弁千代は当初の目的を置いても、是非会って太刀合ってみたいと思った。




