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弥勒の剣(つるぎ)  作者: 真桑瓜
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手紙



手紙



翌日佐平が来て、一挺二百文ではどうか?と言うから、それで異存ありませんと答えた。

二百文と云えば二八蕎麦十二、三杯分、三挺も作れば家賃を払ってお釣りが来る。

佐平への手間賃もそれで賄える。頑張ってもう二、三挺作れば少しは余裕も出る筈だ。

ようやく生活の目処が立った。

ホッと一息吐いていたら藩邸から下男が使いに来た。手紙を携えている。

「吉村様がこれをあなた様に渡してくれと・・・」

多少の酒代を渡して下男を返して裏書きを見る。鈴からだ、早速封開いて書面に目を落とす。


『拝啓弁千代様、お変わりなくお過ごしの事と存じます。私も恙無く暮らしております。が、今日は一つ嬉しいお知らせがあります。どうやらやや児が授かったようなのです。貴方が旅立たれる前、月のものが来ないのでもしやと思っておりましたが、確かな事が分からず言いそびれておりました。どうぞお許し下さい。加藤様にお話ししたところ、ここへ戻って参れ、との仰せでしたので今は加藤様のお屋敷にお世話になっております。お富士様も千鶴ちゃんも大喜びで迎えてくれました。何も心配は要りません。来年お殿様が出府なされる頃には生まれる予定です。それでお願いが一つ、こちらにお戻りになる時ややの玩具を一つ買い求めてきて頂きたいのです。立派にお勤めを果たして戻って来て下さい。私も必ず丈夫なやや児を産むことをお約束致します。乱筆乱文ながら取り急ぎお知らせ致します。


秋吉日

                                      鈴

弁千代様                               


追伸 お会いできる日を一日千秋の想いでお待ち申し上げております』


弁千代は深い溜息を一つ吐いた。「私が父になるのか・・・」

遠い柳河に残して来た鈴を思うと感無量である。「必ず戻ります、待っていて下さい・・・」


『お手紙嬉しく拝見致しました、元気でお過ごしのご様子安心致しました。やや児の事、青天の霹靂のような驚きです。できれば今すぐにも戻りたい、否、神仙のように雲に乗って飛んで行きたいと思っています。しかしお役目もまだ半ば、戻る事は叶いません。幸いに加藤様のお屋敷に戻られた由、心の重荷が幾許かでも軽くなった気が致します。どうか私が帰るまで呉々もお身体大切にお過ごし下さい。由、出産までに私が戻らなくても心を強く待っていて下さい。必ずや江戸土産の品をこの手でやや児に届けに戻ります。私は今江戸の庶民の中に入り、庶民の立場からこの国の行く末を見定めるため微力ながら努めております、どうか今しばらくご辛抱願います。これから寒気に向かう折柄、重ねて呉々もお体大切にお過ごし下さい。思いは尽きませぬが切りがありませんのでこの辺で筆を置くことにします。


初冬朔日

                                  弁千代 拝

鈴殿


追伸、やや児の土産は今から目星を付けて選んでおきます。


翌日、弁千代は三通の手紙を吉村に託した。一通は勿論鈴への手紙、もう一通は加藤伊織への御礼の手紙、そしてもう一通は無門吉右衛門への報告書である。

弁千代は、なるべく見たまま聞いたままを些細なことまで注釈を加えず客観的に書くことを心掛けた。それを解釈するのは吉右衛門の仕事である。

しかし、幾ら自分を消そうと努力してもいつの間にか主観が紛れ込んでいる事に気付く。胤舜の言う『無我』の境地とはそれほど難しいものなのだと知った。

この手紙は、柳河藩邸から月並飛脚で柳河に送られるので届くのは一月先だ。


「実は貴方宛に書状がもう一通届いているのです」吉村がそう言って手紙を差し出した。

「私が直接、しかも内密に貴方にお渡しせよとの指示です」

弁千代が手紙を受け取り封を切ると、それは大石進からの手紙であった。弁千代は一通りそれを読んでから吉村に渡した。

「宜しいので?」

「はい、読んで見て下さい」

それは、国許で起った大組組頭、家老立花壱岐の暗殺未遂事件の詳細を綴った手紙だった。立花壱岐は、豪放磊落、胆力に優れ学問も深い。この時期幕府に対しての建白書を草起したり藩政の大改革を断行しようと八面六臂の活躍をしていた。それだけに政敵も多い。

「これは・・・」

「来年の殿の出府に際して、改革反対派の暗躍から壱岐殿をお守りする為に手を貸せと書いてあります、貴方と協力して事に当たれとも」

此れに関しては組外家老、無門吉右衛門の許しも得ていると記されており、ご丁寧に吉右衛門の署名まで入っていた。

「しかし、壱岐殿は笑って不問に付したと書いてある、どこまで肝の据わったお方だ」吉村が感嘆して言った。

「そうとも言えますが、しかし・・・壱岐殿の権力基盤が極めて脆弱な証拠とも取れます」

「それはどうして?」

「追求しても追求しきれないほどの強力な政敵がいるのではありませんか?」

「確かに、組頭は六人、壱岐殿を除いて五人の御家老がいます。そのうちの何人かが敵に回れば・・・」

「これは、手を貸さずばなりますまい」

「そのようですな」吉村は手紙を弁千代に返した。

弁千代はそれを直ぐに火鉢に放り込んだ。この手紙は誰にも読ませてはなるまい。同時に、これで帰国が遅れる事を覚悟した。

「ところで吉村さん・・・」

「はい、何ですか改まって?」

「私にやや児が生まれるのです」

「ええっ!それはおめでたい事ではありませんか!」

「今晩付き合ってもらえますか?」

「勿論!徹底的に付き合いますよ!」

「忝ない」

「では、この前の日本橋の料理屋へ行きましょう。あのおはるという娘に謝らねば」

「吉村さん、惚れましたか?」

「じょ、冗談言っちゃ困ります、わ、私は・・・」

「あはははははは、照れる事はありません・・・では参りましょうか」








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