攘夷と開国
攘夷と開国
「試衛館の浪人たちは、どこから情報を得ているのでしょう?」
吉村は弁千代の話を聞き終えると、開口一番そう訊いた。
「沖田、山南、藤堂の剣は北辰一刀流です。永倉は神道無念流と見ました、だとすれば玄武館と練兵館あたりが発信元でしょう」
「江戸の大道場ではありませんか」
「大きな道場ほど多くの藩から剣士が集まって来る、自然と情報交換の場が出来るのでしょう」
「しかし、我が藩を田舎大名とは許せませんね。開国を主張し、横井小楠の越前招聘を推し進めているのは壱岐殿なのに」
「その方が壱岐殿にとっては好都合なのではありませんか?あまり目立たぬ方が良い」
「それはそうなのですが彼の方は自己顕示欲が強いお方、黙っておられるかどうか。来年は鑑寛公と共に江戸に上られる、柳河藩としては一応開国論で固まってはおるのですが・・・水戸のご老公あたりが何か動きを見せるやも知れません」
「水戸は強硬な攘夷論派でしたね」
「攘夷論に比べれば開国論はどうしても弱腰に見える」
「過激な論は人を酔わせますからね」
「攘夷派が軽はずみなことをしなければ良いのですが・・・」吉村が周りの気配を気にしているのが弁千代には分かった。柳河藩も開国論の一枚岩では無い、否、どちらかと言えば開国論は少数派なのである。
「ベンさん、少しお付き合い願えませぬか?」
「はあ、良いですが・・・」
「柳河で鰻をご馳走になったお礼がしたい」
「久しぶりに一献傾けますか」
「では参りましょう、私が良いところへご案内いたします」
二人は連れ立って、柳河藩下屋敷を後にした。
「ところで、その後周助老とは太刀合えたのですか?」歩きながら吉村が弁千代に尋ねた。
「それが、体良く断られました」
「何と言って断ったのですか、そのご老人は?」
「儂がお主から取れるのは、最初の一本だけじゃろう・・・と」
「それはあなたには敵わぬという意味ではないのですか?」
「そうではありません、一対一の真剣勝負では最初の一本で全ては決まります」
「では、あなたに勝てると・・・」
「そう言ったのですよあの御老人は、得体の知れぬお方です」
「・・・」
吉村が言葉に詰まった時、プンと生臭い匂いが漂って来た。
「着きました、日本橋です」
狭い路地の両側に粗末な建物が並び、人々が忙しそうに動き回っている。
「魚河岸ですね?」
目の前の川には無数の小舟が浮かんでいた。
「ここには江戸前の海だけではなく、房総の方からも魚を運んで来るのですよ。ほら、そこに八丁櫓の船があるでしょう?」吉村は舳先の競り上がった細身の船を指差した。「あの押送船で矢のように内海を突っ切って来ます」
「いかにも速そうです」弁千代が感心したように言った。
「お陰でこの辺では新鮮な魚が食べられるのですよ」
魚問屋の中を抜け、幅四間ほどの日本橋を北から南へ渡り始める。太鼓型の橋の頂に来ると上流のほぼ正面に江戸城が見え、その背後には薄っすらと雪を被った富士の姿があった。
橋を渡りきって町木戸を潜ると広い通りに出た、両側に黒い漆喰壁の二階屋がずっと先まで続いている。
「食べ物屋が多いですね?」弁千代が驚いて吉村に尋ねる。
「『五歩に一楼、十歩に一閣、皆飲食の店ならずと言うことなし』ですよ」と、自慢げに吉村が答えた。
「そこの料理屋にしましょう」二人は紺の暖簾の下がった小綺麗な料理屋に入った。暖簾には白字で『よし田』と染め抜いてある。
「いらっしゃいまし!」襷を掛けた元気の良い娘が声を投げて来た。「そこの小上がりが空いておりますよ」
四畳ほどの座敷に二人は上がり込み胡座をかいた。
「何にします?」吉村が言った。
「私はこういう所は慣れません、お任せします」
さっきの娘が注文を取りに来たので吉村が訊いた。
「今日の魚は何がある?」
「あい、鯛と穴子、それから芝海老」
「そうか、じゃあその刺身を適当に見繕って、あ、タコと芋の煮物はあるかい?」
「あい、ございます」
「じゃあそれに銚子を其々に付けてくれ」
「あい、承知いたしました」
娘が去ると吉村が徐に語り出した。「先ほども申しましたが、来年の参勤に鑑寛公に従って壱岐殿がおいでになるという事で、江戸留守居役がピリピリしております」
「それは何故?」
「壱岐殿の半ば強引とも言えるやり方に、皆反感を持っておるのですよ」
「吉村さんもですか?」
「私は煮え切らぬ留守居役たちの意見より良いと思うのですが」
「この時期、天下の情勢を見極める事が肝要かと存じます」
「繊細な神経が要求されるでしょう、壱岐殿は見かけの豪胆さとは違い冷静に物事を判断できる理性もお持ちです」
「そうですか・・・」
そこへ、銘々膳に乗せた酒と肴が届いた。
「お待たせしました」
「おっ、美味そうだな!」吉村が膳を覗き込んだ。
「うちの板前さんが腕によりをかけて作ったのですよ、不味かろう筈がありません」
「いや、これは失敬した、有難く頂くとしよう」
ニッコリ笑って娘が下がると、吉村が銚子を取り上げた。
「さ、久し振りに一献」
吉村が弁千代の盃に酒を満たす。弁千代は吉村に注いだ。
「江戸での再会を祝して!」二人は一気に酒を飲み干した。
「美味い!」思わず弁千代が口走る。
「富士見酒ですよ」
「富士見酒?」
「上方から江戸へ下ってくる酒は、必ず富士山の前を通ります。遠州灘の荒波に揉まれた酒は味がよくなると言われているのです」
「なるほど」
そこへ先程の娘が戻って来た。「お客さん、少々立て込んできました、少し奥へ譲ってくださいましな」
「ああ、良いよ」二人は座敷の奥に移動した。
「衝立障子を立てておきますからね」
娘は衝立を置いて座敷を仕切ると客を通した。客は二人連れの武士だった。
すでにどこかで呑んできたらしく、微かに酒の匂いがする。二人は酒を注文すると辺りを憚らず声高に話し始めた。
「近頃柳河の田舎大名が国元で妙な動きをしちょるそうじゃ」
「ほう、どのような?」
「肥後の横井小楠を、強力に越前公へ推薦しちょる」
「横井小楠とはどのような人物じゃ?」
「肥後の下級武士じゃが儒者で藩士への影響力が強い。はじめ攘夷論を展開しちょったが今は開国論に転向しおった」
「それを越前公へ推薦しちょるのか?」
「肥後は横井を評価しておらぬ、柳河は越前を開国派にする腹じゃ」
「容堂公は攘夷を説き続けておられるきに」
「しかも、今は将軍継嗣問題を優先すべしと言うちょられる」
「外様の小藩が生意気な事よ」
「おうよ、貴公もそう思うじゃろう」
「思わいでか!」
武士の一人が気炎を上げた時であった。
「待て!」吉村が立ち上がる。弁千代が止める暇も無かった。
「貴公らは土佐藩のご家中とお見受けする。只今の話聞き捨てにできぬ!」吉村は弁千代が袖を引くのも構わず土佐藩士に噛み付いた、よほど我慢が出来なかったのだろう。
「なに!そういうおまんはどこの藩の者じゃ!」
「柳河だ!」
「何、柳河じゃとぉ、今の話のどこが聞き捨てにできぬ!」
「今は一味同心、家臣が将軍様を補佐し奉り全力でアメリカに対処すべき時ではないのか?」
「利いた風な事を、将軍が馬鹿では夷狄に舐められようぞ!」
十三代将軍家定は健常者では無い、一説には乳母の白粉に含まれる錫が原因だとも云われているが定かでは無い。
「家定公を馬鹿と申したか!」
「言ったがどうした!」売り言葉に買い言葉である。土佐藩士が刀を引き寄せた。
「お待ち下さい!」弁千代が割って入る。
「斯様なところでの争いは無益でござろう。酒の上での争いは向後に禍根を残します、今日のところは双方鉾を収めては如何でござろうか?さ、吉村さんもお二人に詫びて下さい」
弁千代にそう言われては吉村も引っ込まざるを得ない。
「し、失礼致した、酒の上の事とて何卒お許し頂きたい」不承不承であったが吉村が頭を下げた。
「ならぬ!我々を侮辱した事、我が藩を侮辱した事に同じ!」
「ならば、貴藩は将軍様を侮辱した事になるが、如何?」弁千代が返した。
「むむ・・・」
「そうですよ、あたいもちゃんと聞きましたからね!」襷掛けの娘が加勢した。
「そうだそうだ、俺っちも聞いたぜ!」
「俺たちゃ公方様の味方でぃ!こうやって仕事帰ぇりにちょいと一杯やれるなぁ公方様のお膝元だからじゃねぇか!」
「それを、てめぇっちは何かい、公方様を馬鹿にしよってぇのかい?」
「こちとら公方様お裾分けの水道井戸で産湯を使った江戸っ子よ、この江戸で公方様の悪口言う奴ぁ許せねぇ!」
店にいた客の多くが裏店の住人である、その町人達が口々に土佐の侍を罵った。
「う、・・・」
「か、帰る!」
旗色の悪くなった侍二人は、酒代を置くと這々の体で店を出て行った。
「へん、おとといきやがれ!」
「おい、おはるちゃん塩だ、塩撒いときな!」
「あいよ!」
おはると呼ばれた店の娘が、壺を抱えて表に飛び出して行った。
「忝ない、おかげで斬り合いにならずに済んだ」弁千代が町人達に頭を下げた。
「いいって事よ、江戸っ子は野暮が大嫌ぇなんだ」
「おはるさんとやら、ありがとうござる」弁千代が入ってきた娘に礼を言った。
「嫌ですよぅ、そんなありがとうだなんて・・・」お侠な江戸娘は目の辺りを赤く染めた。
「ベンさん面目ない、ついカッとなってしまった」吉村が謝った。「これで二度目だな」
「来年はお殿様が参られます、特に他藩との関係には注意を要します」
「あい分かり申した、自重致す・・・」吉村は申し訳なさそうに俯いた。
「先ほどの侍がまた戻って来ぬとも限りません、今夜はこれでお開きに致しましょう」
「この償いは何れまた・・・」




