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弥勒の剣(つるぎ)  作者: 真桑瓜
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土方歳三


土方歳三



「『腹を切る作法も知らぬ下司め!』」

「わ、分かったから原田さん、もういいよぅその話は聞き飽きた」

「よかぁねぇ、儂ぁ奴の目の前で腹ぁ切って見せたんぞな、わしの腹は金物の味知っとるぞな」

「その割には左之、てめぇ生きてんじゃねぇか」

「酷ぇなぁ歳さん、儂だって痛かったんじゃぞ」

「知るかよ、勝手に腹切ってんじゃねぇよ、そんなこったから”死に損ないの左之助”なんて有り難くもねぇ渾名貰ってんだよ」

「そうですよ原田さん、それよりも私の話を聞いて下さい」

「分かってるよご落胤。だがな誰もお前が藤堂家のご落胤だなんて信じちゃいねぇぜ」

「永倉さんこそ松前藩脱藩だなんて本当なんですか?」

「信じねぇなら構わねぇよ。だがな、元がどうだろうと今は浪人じゃねぇか、皆同士だろ、な、山南さん」

「そのようですね、最近は幕府も我々の処遇に頭を痛めているらしいですよ、いずれ召し抱えて禄を与えるか、捕えて牢に入れるか決めかねているのではないでしょうか」

「本当の牢人になるんかいのぅ」

「月代も剃らずに外出歩いてると捕まっちまうぜ」

「俺たちにゃ関係ぇねぇさ、元々百姓だからよ。そうだろ勝太・・・いや近藤さんよ」

「侍だって元を正せだ皆百姓だ、俺たちが武士になってもおかしくは無い」

「あんた侍ぇになりてぇのかい?」

「なりたい!」

「しょうがねぇなぁ、おい総司なに黙りこくってやがる、てめぇが黙ってると不気味なんだよ」

「・・・無門さん、貴方はどう思いますか幕府の浪人対策?」沖田がやっと口を開いた、今までのような敵意は感じない。

「さあ、噂では柳河藩と福井藩が浪人救済の為の建白書を提出したそうですが」弁千代も当たり障りのない返事をした。

「私も玄武館で、肥後の横井小楠が越前に招聘されるらしいという噂を聞きました。そうなれば越前の発言にも重みが出て来る」山南が言った。

「柳河は外様の田舎大名だが越前は松平春嶽侯の所だ、希望は持てそうだな・・・」


その時、奥の戸が開いて周助が現れた。

「皆、今日は大義であったな、お陰で無事襲名の儀が済んだ、久次郎さんも喜ばれておったぞ」

「義父上、襲名披露の野試合では行司役ご苦労様でした。父もさぞ満足だったでしょう」

「うむ、良い試合じゃった、これからも修行に励め!」

「はい!」

「それから歳」

「はい」

「明日、日野の佐藤彦五郎さんの道場に出稽古に行く。無門殿もお連れしようと思うが異存はないか?」

「無門殿がよろしければ」

「無門殿、聞いての通りじゃ、儂は是非あんたに百姓の剣術を見てもらいたい」

「はい、お供致します」

「そうか、出発は早朝じゃ今日はここに泊まれ」

「そう致します」

「皆、今日は心行くまで呑むが良い、但し、呉々も喧嘩はご法度じゃぞ、血の雨が降るでな・・・あはははははは」


日野宿佐藤彦五郎の道場で、弁千代は土方と向き合った。

上手く土方の口車に乗せられたのだ。

得物は土方の逹っての願いで刃引きを使う事になった。

不思議な太刀筋だった。真面目に稽古を積んだ剣ではない。

強いて言うなら天性、それも人を斬る為の剣だ。

予想もしない変化をする、否、予測の裏をかく。予測は無意味だった。

弁千代は間合いを切って剣を鞘へ納めた。

「居合で決着をつけるつもりか?」

「勝つも負けるも、居合ならば考える間は無い」

ゆっくりと土方も剣を納める。「居合は好かねぇが付き合うぜ」

「あなたも・・・?」

「天然理心流にも居合はあるんだぜ」

互いに柄には手を掛けていない、ゆっくりと右に移動する。

三歩目に土方が僅かに間合いを詰めた。

弁千代が柄に手を掛けると同時に土方の腰間から剣が鞘走った。

キン!と鋭い音がして、弁千代の脛の前で火花が散った。

間髪を入れず左に廻った土方の剣が右の首筋を斬りに来る。

弁千代は右の入身に変化しながら、鎬で剣を受け流すと、浮身を掛けた。

流れた土方の躰が、前にのめって首が露わになった。

その瞬間、時が止まった。

「何故斬らねぇ」首に触れる刄越しに、土方が弁千代を睨んだ。

「これは刃引きですよ、斬る事は叶いません」

「ふん」土方が身を引いた。「やっぱりおめぇは只の人だよ」

「そう言うあなたは」

「人でなしさ・・」




はい、歳三の姉が私の女房です。義理の弟ですよ歳三は。

あいつは侍になりたいのです。

はあ、そんな事は言っていなかったと?

そうでしょうな、あいつは本心を人に言うような奴じゃありませんからね。

何故侍になりたいのかって?

そう、あれは嘉永二年の一月十八日の事でありましたか。

日野で大火があったのですよ。その時、私の母が盗賊に殺されたのです。

それを、たまたま家に来ていた歳が見ていた。それからです奴が剣術を始めたのは。

私がここに道場を建てて近藤先生に来て頂いているのも自警団の必要性を感じたからです。

そりゃあ、幕府は何度も百姓の武術稽古を禁止しましたよ。でも今では済し崩しに見て見ぬ振りをしております。自分達の身は自分たちで守らにゃなりませんからね。

なぁに、百姓は反乱なんかおこしゃしませんよ。

一揆?一揆は反乱などではありませんよ、あなた百姓一揆の作法をご存知ですか?

百姓一揆の作法はね、武器を持たない事です。

百姓家にだって刀の一本や二本は有りますよ。野鍛冶の打った刀など二束三文で売っているのだからいくらでも手に入りますからね。

それどころか鉄砲も持っているのですよ。田畑を荒らす獣の駆除は許されております。

でも、それらは決して持ち出さないのです。

鎌や鍬を持っているじゃないかって?あれは人を生かす道具で人を殺める武器ではありません。

私らにだって『御百姓』としての誇りがあるのですよ。その証が鎌や鍬なのです。

強訴?確かに強訴には違いありませんがね。一揆だって元は侍や御坊様のものだったのですよ。

聞いたことありませんか?国人一揆や一向一揆。

あちらは武器を持った一揆です、私らに、国を変えようなんて大それた考えはありません。

私らは私らが頭の上に頂いている公方様に直に訴をしているだけなのです。

作法通りにやれば公方様だってちゃんと話を聞いてくれます。

それなのに、近頃幕府を倒そうと企む輩がいるやに聞いておりますが、どこの馬の骨ですか?

そんな奴らが百姓の上に乗る資格はありません。奴らだって公方様の家来だという点では、私らと同じなのですよ。

私ら百姓は公方様が頭の上に乗っておられることについてはなんの文句もないのですよ、否、全ては公方様あっての事なのです。

歳は、侍になって公方様をお守りしたいんじゃないでしょうかね。

私にも本当のところは分かりませんがね・・・


佐藤彦五郎は、つ、と席を立った。

「無門殿、もう此処にはおいでなさらぬ方が良い。あなたの剣は試衛館の剣とは相容れぬものがある・・・あなたの剣を見られて本当に良かった」


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