近藤周助
近藤周助
「町人がそんなことを言っていましたか・・・」
柳河藩下屋敷では、慌ただしい日々が続いていた。上屋敷再建の便宜を図る為、お城の近くの屋敷を借り上げる事になったのだ。その指揮を吉村が取っている。
「そうなんです、町人たちは極端な改革は望んではいないようなのです」
「ただ、その船頭が言ったように近頃武士の中に不平分子が多い」
「武士の暮らしに変化があったのでしょうか?」
「逆です、武士は余程のことがない限り俸禄が上がる事はありません。嘗て祖先が頂いていた禄をそのまま踏襲しているだけです」
「それでは何故?」
「最初の頃はそれでも良かったのでしょう。しかし、人が増え貨幣経済が発達するとたとえ物価は安定していても生活費は嵩む、江戸では金を払わなければ何一つ手に入らないのです」
「では、どうしているのですか?」
「翌年の蔵米を担保にして、札差に借金しその場凌ぎをしています」
「利息が高いのですね?」
「札差だって商売ですからね。でも他に貸してくれるところはないのです。こんな状態が百年も続けば武士は身動きが取れなくなる、これは地方の藩でも同じ事です」
「それで浪人となって江戸に流れてくる、何か良い方法はないのですか?」
「武士だって考えますよ、戦が無いのだから時間はある。ほら、青山の御鉄砲百人組知ってますか?」
「ああ、甲賀組のことですね」
「そう、あそこでは春慶塗と傘張りを分業でやってます。伊賀組はつつじを栽培していますし根来組は提灯の内職をしていますね」
「しかし、それではいざという時どうするのですか?生活するだけで手一杯ではないですか」
「黒船が来た事でそれが表面化しました。武士が支配者としての矜持を捨てず高い道徳を守り続けている間は、町人も武士を蔑ろにする事はありますまい」
「しかし、武士が武士としての心まで失った時には・・・」
「武士の時代は終わる」吉村は苦渋に満ちた顔をした。「先日、当藩の立花壱岐殿が幕府に建白書を出されました」
「ほう、どのような?」
「諸藩の援助、天下の浪人対策、参勤交代の見直し、強兵軍備、外国貿易の利、などについてです」
「それは積極的な開国論ではないですか」
「幕府の反応も良いようなのですが・・・」
「何か問題でも?」
「攘夷派の連中が壱岐殿の命を狙っているようなのです」
「それについては心配には及びません、大石進がお側についている」
「だと良いのですが・・・来年壱岐殿が殿に従って江戸に登られます、流入している浪人の中に攘夷派の手の者がいるやも知れません」
「そうですか、微力ながら私も市井に紛れて監視の目を光らせておきます」
「どうかそうして下さい・・・失礼だが、資金は?」
「吉右衛門様に連絡を取れば何とでもなります。しかし当分は自分の力でなんとかしたい」
「そうですか、困ったらいつでも訪ねて来て下さい、私にできる事ならなんでも致します」
「はい、心強いお言葉痛み入ります。ではまた参ります」弁千代は席を立った。
吉村と別れて、弁千代は西に向かって歩き出した。今日中にどうしても行ってみたい所がある。
弁千代が長崎へ向かう途中に立ち寄った大村藩の斎藤歓之助、通称鬼歓の父弥九郎の道場、練兵館は九段坂下俎板橋付近にあった。
「では、これにて失礼いたします、弥九郎先生に呉々もよろしくお伝えください」
「何もお構いできませず・・・」
弁千代が練兵館の門前に至ると、期せずして老人が玄関から姿を表した。
その後から、門下生らしき武士が見送りに出て来てこの挨拶となった。
「ふん、田舎剣術と侮っておるな」玄関が閉まると老人は吐き捨てた。「剣術に田舎も江戸もあるものか!」
「あの・・・」弁千代は老人に声を掛けた。「斎藤弥九郎先生をご存知なのですか?」
「知っておるよ、それが何か?」
「先生は御在宅でしたか?」
「おった・・・と思うが、居留守を使われた」
「居留守?」
「交流稽古を申し込みに来たのじゃよ、以前一度やった事があるのでな」
「では何故居留守など?」
「恐れをなしたのじゃろう、その時ここの弟子が二、三人怪我をした」
「それは・・・」
「うちのような名もない道場に敗れたのでは、大道場の沽券に関わるのじゃろう・・・ところで、お主は何者じゃ?」
「申し遅れました、無門弁千代と申します。旅の途中で斎藤歓之介先生と知己を得て、老先生にご挨拶をと思い参りました。出来れば一手御指南いただければ・・・と」
「うむ、儂は近藤周助、市ヶ谷甲羅屋敷に道場を構えておる。そうか、鬼歓でもいればまだマシなのじゃろうが、今はろくなのが残っとりゃせん・・・お前さん行くだけ無駄じゃよ」
「左様なので・・・」
「袖擦り合うも他生の縁、どうじゃ儂の道場に来んか?お主なかなか強そうじゃ、何人斬った?」
「いえ、そんな滅相もない!」
「隠さずとも良い、言いたくなければそれでも良いが・・・どうじゃ、今から一緒に行くか?」
弁千代はこの老人にどこか親しみを感じた、老人の剣にも興味がある。
「お供させて頂きます」
「そうか、良い土産が出来た」
「え、なんと?」
「いや、こっちの事じゃ。では、参ろうか」
二人は連れだって歩き出した。




