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弥勒の剣(つるぎ)  作者: 真桑瓜
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大石進


大石進


「お主が中武弁千代か?」

帰宅途中、武家屋敷の通りで後ろから声を掛けられた。以前、大石進と太刀合った安藤玄蕃介の屋敷前である。

弁千代が振り向くと背の高い男が、陸灯台の陰から現れた。

『あの時と一緒だ』弁千代は既視感に襲われた。

「あなたは?」

「大石進」

「えっ!」

確かに鬼瓦のような顔も、破れ鐘のような声もあの時の大石進に良く似ている。

腰の朱鞘の長刀にも見覚えがある。

しかし、若い。どう見ても三十を一つ二つ越したようにしか見えない。

弁千代の頭は混乱した。

「し、しかし歳が・・・」

「それは親父だ」

「へ?」

「親父と俺は同じ大石進だ。尤も、親父は今”武楽”と号しているがな」

「紛らわしいなぁ」

「よく言われる。しかし本当にお主、陣内に勝ったのか?そんなに強そうには見えんけどなぁ」

「ほっといて下さい、それで何用ですか?」

「太刀合いを所望じゃ」

「ここで?」

「俺はそんな無粋な真似はしない。誰にも邪魔されぬよう、俺の道場ではどうだ?」

「しかし・・・」

「俺が信用できぬか?」

「今日初めて会ったのですよ・・・」

「余人は交えぬ、二人だけの勝負がしたいのだ」進は真剣に弁千代の目を見詰めた。

「よろしい・・・信用しましょう」

「お主の非番の日を教えてくれ」

「明後日ですが」

「では、道場を休みにして待っている。約束を違えるな」

そう言い置いて大石進は弁千代に背を向けた。

「ひとつだけ言っておく」ふと立ち止まって進は顔だけを振り向けた。「勝負は竹刀だ、この時期に刃傷沙汰は気が引ける」

「心得ました」

今度は振り向く事無く、進は悠然と立ち去った。


弁千代は、大石武楽の太刀筋を思い出していた。

「あれが竹刀ならどう動く・・・」堀に掛る橋の上で立ち止まって沈思した。

「そうか!」思わず弁千代が叫んだ。「渡りだ!」

擦れ違う人達が怪訝な表情で弁千代を見ている。

スッキリした弁千代の頭に、もう迷いは無かった。

「今夜は徹夜仕事になりそうだな」

弁千代は鈴の待つ屋敷に向けて、帰宅の足を早めた。


約束の日、弁千代は一本の竹刀を携えて大石進の道場に向かった。

一昨日の夜、夜なべをして作った竹刀は弁千代の脇差と同じ長さに設えてある。

鉛を仕込み、重さも揃えた。

道場の入り口で訪いを告げると、下男が出て来て弁千代を道場に誘った。

進は約束通り一人で待っていた。

「よく来たな、ん、なんだその短い竹刀は?」

「あなたの長い竹刀も特別なものでしょう?」

「五尺三寸は親父が決めたものだ」

「なら、私の竹刀も文句はありますまい」

「ふん、勝手にしろ!」

二人は無言で防具を着けた。十三本穂の鉄面に半籠手、胴は大石神影流独特の竹腹巻である。


道場の中央で向き合った。

弁千代は右手に短い竹刀を持ち左入身に構える。進は長竹刀を大石神影流独特の正眼に構えた。

長竹刀の進は一歩踏み込めば弁千代に届くが、弁千代が進の懐に飛び込むには二歩を要する。

進の竹刀の切っ先が鶺鴒の尾のように上下に揺れて弁千代の隙を伺った。

竹刀で払うと直ぐに諸手突きが飛んで来た。サッと左に転移する。

瞬時に長竹刀が弁千代の胴を横に薙ぐ。

短い竹刀でそれを受け止める、鉛を仕込んだ竹刀は十分に衝撃に耐える事が出来た。

前のめりの進の喉に突きを繰り出す。一瞬早く進が身を引いた。

弁千代の剣は僅かに届かない。

双方、元の構えに戻って睨み合う。

弁千代は進の動きが伸びる必殺の時を待った。

ジリジリと弁千代が右に移動する。

進が竹刀の切っ先をフッと下げる。誘われるように弁千代が前に出た。

その瞬間、進の躰が膨らみ強烈な片手突きが弁千代を襲った。

弁千代は委細かまわず、進の竹刀に己の竹刀を添わせるようにして進の懐に飛び込んだ。

次の瞬間弁千代の竹刀の切っ先が進の面垂れに突き刺さる。

進の面は外れて飛び、道場の床を滑って壁に当たって止まった。

進は床に仰向けに倒れている。

「な、なんだ今のは?」掠れた声で進が訊いた。

「渡りですよ」

「渡り・・・?」

「あなたの竹刀が橋となって、私をあなたの元へ渡らせてくれたのです」

「・・・」



「そりゃあ酷いものだったぜ」

道場の真ん中で冷酒を酌み交わしながら進が言った。まだ、声が掠れている。

「ペリーが浦賀に来たのが三年前の六月の三日だ。第一報が柳河に齎されたのが六月の十八日よ。お城は蜂の巣をつついたような騒ぎになったな」

「尤も、この時にゃペリーは帰った後だったのだがな。そんなこたぁこちとら知らねぇや」

「慌てふためいて兵を召集した。侍は元より足軽、郷士までな」

「それを見て俺は笑っちまった。何故ってよぉ、そいつらの格好と来たら・・・」そこで進は小さく吹き出した。

「いや失礼、思い出したらつい・・・な。錆びた鎧に破れ頭巾、襤褸襤褸の旗指物、酷い奴は腰に刀一本ブッ込んで来やがった」

「それにも増して酷かったのは、大組頭達が部隊編成の方法すら知らなかった事だ」

「御家流の軍法がなくなっちまってたんだよ。口伝だ秘伝だと言ってるうちにな」

「ペリーが帰ったって第二報が入った時の重役たちの喜びようったらなかったぜ。次の年にまた来るって言ってたのによ。太平呆けというのは怖いね」

「慌てて武器の類を改めるようにしたんで、いくらかマシになったけどな」

「それからな、兵の歳がてんでバラバラなんだよ。下は十五から上は七十までいるんだ」

「それを束ねるなんて正気の沙汰じゃないよ」

「家格だ序列だ言いやがって、下手すりゃ十五の子供が七十の爺いを指揮する事になっちまう」

「これじゃ戦えないよ」

「ん、次の年か?柳河藩は熊本、萩、岡山と共に江戸湾警備を仰せつかったよ」

「またまたお城は大騒ぎでな、なかなか事が進まない。武門の誉とか言ってたくせによ」

「長年の悪習で、重役達が私腹を肥やして藩の金蔵は空っぽよ。兵を出したくたって軍費が無ぇや」

「俺んとこの組頭様が業を煮やして、勝手に金策してどうにか出兵に漕ぎ着けたがな」

「ん、組頭てぇのは立花壱岐様の事だよ、いずれ御家老になられるお方だ。若いが切れるぜ、え、もちろん頭がよ。剣術はからっきしだがな」

「俺は小隊の隊長として壱岐様に従って江戸に向かった」

「ところが、大坂に着いたらもうペリーが来てるっていうじゃ無いか。まだ一月だぜ、本当は三月の予定だったんだ」

「これには俺も驚いたな、もう戦闘が始まってるって言うしな」

「壱岐様は腹心数名を引き連れて急ぎ江戸に上られた、もちろん俺もついて行ったさ」

「後で戦闘は誤報と分かったが、藩の情報収集能力を疑ったぜ」

「江戸城も柳河と同じだったそうだよ。格式だ家柄だと議論ばかりで答えが出ない」

「『アメリカが、来ても日本は、つつ(大砲)が無し』なんて川柳が流行ったくらいだぜ。お江戸でな・・」

「あの黒船は斬れねぇ、当たり前だがよ。数も火力も段違いだ」

「船なんぞどこでも場所を変える事が出来るじゃねぇか。台場造って砲を据えたって勝てねぇよ。こっちの弾は届かないんだ。しかも、奴らどこからでも上陸出来る」

「これじゃあ、居着いた相手に自由に攻撃を仕掛けるようなもんだぜ」

「それからな、ペリーが上陸した時の儀仗兵の動きは実に見事だったぜ、訓練が行き届いてる。号令一下自由自在に転進出来るんだ。それに比べて日本の兵は、整列すら儘ならない。勝つなんて夢のまた夢だ」

「百歩譲って奴らを打ち破ったとする。そしたらどうなると思う?それに倍する、いや、十倍、百倍の兵力で日本に押し寄せてくるに決まっているんだ」

「攘夷とはなんだ?夷狄を打ち払うのか?奴らは阿蘭陀や清国と同様、日本と交易をしたいだけじゃないのか?。それを、そんな野蛮な行動に出れば、攻められても文句は言えねぇ」

「敵わねぇ相手に喧嘩を売るのは莫迦のする事だよ。喧嘩は対等になってするもんだ。交易で力をつけて軍備を整えてからやっと同じ土俵に立てるのじゃないかえ?」

「尊皇だ佐幕だなんて俺には良く分かんねぇよ。将軍様だって尊皇じゃないか」

「尊皇攘夷、佐幕攘夷、攘夷論者っていうのは攘夷を錦の御旗に立てて幕府を倒そうっていうだけじゃないのかい?」

「武士の義は、主君に対して立てるものだ。主君の主君は将軍様だろう?」

「将軍様の上には帝がいるんだろう?」

「だったら倒幕は、不義の最たるものだ」


「そりゃあ酷いものだったらしいぜ」進はまた同じ事を言った。

「夷人たちの傍若無人の振る舞いがよぉ」

「俺は直に見た訳じゃないが、酒屋に上がり込み女を引っ張るわ、田畑の苗はひっこ抜くわ、陣列の前を横切るわで、およそ礼儀を知らない」

「奴ら、公務と私事の区別をはっきりとつけてやがるんだ」

「だがこれじゃ、公務にも裏が透けて見えようってなもんじゃないか」

「何?許せねぇだと」

「だから喧嘩は対等にならなくちゃ出来ねぇんだって」

「そして、対等になったら喧嘩なんかする必要は無くなるんだ」

「武士が刀を持つのは相手と対等になるためなんだよ、抜いたら・・・負けだ」


「それで、大石さんはこれからどうするのですか?」弁千代は進に訊いた。

「俺か?俺の正義は組頭様に義を尽くす事だよ」

「組頭様が間違っていてもですか?」

「間違っているかどうかは俺の判断する事じゃねぇ。正義の反対は悪じゃねぇよ、正義の反対は不義だ。そこを間違ってちゃ忠義なんか尽くせないだろう。組頭様が主君に義を尽くす以上、主君が将軍様に義を尽くす以上、将軍様が帝に義を尽くす以上、俺は組頭様に義を尽くすよ。俺の様な剣術馬鹿は他に使いようがねぇもの」

「私は・・・」

「お主はお主で考えろ」


「それからよ、異人の動きが変なんだ、ん?、躰の動きだよ。日本人と違うんだ。奴らが、日本の武術を始めたらきっと武術は変わってしまうだろうな」


蛇足だが、柳河藩江戸屋敷応接掛、龍滝之丞の日記が残っている。

『抑々、異人の容貌は長六七尺、(中略)手は大なれども足こまく少し後ろにそりて投げ足に歩き行くさま、いと早し。腰より上は力強く腰より下は力弱くぞ見えにけり』


進の危惧は、後年当たる事になるのだが・・・。




「大石進がそんな事を言ったのかい?」無門吉右衛門が弁千代を見据えた。

「はい」

「いいところまでは観ているんだがなぁ」

「いい処まで・・・ですか?」

「ああ、幕府を倒せば何もかも変わると思うのは妄想だよ」

「妄想?」

「それと同じくらい、幕府を守る事が大義だと思っているなら大莫迦者だ」

「莫迦なのですか?」

「ただの意地だよ。幕府の屋台骨が腐っているなら、放っておいても倒れる時には倒れる。続くもんなら続くんだ」

「では、何もしなくても良いと?」

「そうじゃねぇ、世の中を変える為に何かをするのは良い事だ。だが、人が何をしたって世の中はそうそう変わるもんじゃねぇ。世の中は変えるものじゃなく勝手に変わるもんだ。俺たちにできることは世の中のうねりに合わせて決まり事を変える事よ」

「では、今までの決まり事を変えろと」

「今までは、海は壁だったのよ、それが蒸気船が出来て路になっちまった。鎖国は海が壁だった時代の決まり事よ。路になってしまった以上開国するしかねぇじゃねぇか。要は、いつどのように行うかだ」

「大石さんの話では、日米和親条約は締結されたがこのままじゃ済まないだろうと言っていました」

「それよ、夷人は強かだ、交渉の仕方を知ってやがる。飴と鞭を使い分けてきっと自分たちに有利な方へ持って行く。そして最後は戦をするぞと脅しにかかる」

「日本人同士で争っている場合では無いのですね?」

「夷狄が攻めて来るってぇ時に内輪揉めなんかしてたら、どっちが勝っても戦力は半減じゃねぇか」不意に吉右衛門が弁千代に問うた。

「弁千代、柔術で相手が攻めて来たらどう対処する?」

「相手以上の力で反撃すれば、さらにそれ以上の力で反撃されます」

「だろう、それじゃ力の強い方が勝つ道理だ」

「なので、相手の攻撃を受け入れます」

「受け入れてどうするえ?」

「無力化します」

「それは、卑怯者のする事かえ?」

「いえ、真の達人はそうやって戦わずして勝ちを得ます」

「日本が外交の達人になるにはどうしたら良い?」

「それは・・・」

「弁千代、江戸へ行け!」突然吉右衛門が言った。

「江戸へ?」

「その目でしっかりと江戸の現状を見極めて参れ。但し政治向きの事は藩邸の者に任せておけば良い、お前は庶民の側に立ってその逐一を報告せよ!」

「御意!」しっかりと返事をした弁千代だが、暫く考えを巡らしているようだった。

「どうした弁千代、何か不安でもあるのかえ?」

「いえ、そうではありません。御家老、私に『捨切手』を取っていただけないでしょうか?」

「何、捨切手だと?」

この頃諸藩は、剣術修行の名目で他藩に若い藩士を大勢送り込んでいた。これは、剣術修行もさることながら、情報の収集、交換を主な目的としたものだ。その際発行された簡易の関所手形が捨切手である。

「捨切手ならば私に万一の事があっても、藩に累を及ぼす事はありません」

「しかし、形の上だけたぁ言え一旦藩籍を離脱して浪人にならにゃなるめぇ」

「心得ております。ただ、江戸の実情を知るためには藩邸に入るよりも市井に身を置いた方が良いように思われるのです」

吉右衛門は「ううむ・・・」と唸って目を瞑ったが、ややあって目を開けた。

「良かろう、後のことは案ずるな、鈴の事は俺が責任を持つ!」

「はっ!」

「それからな・・・」

「はい?」

「おめぇ、江戸では無門を名乗れ」

「え?」

「市井に身を置くのに本名じゃ都合が悪かろう。名を変えて私心なく庶民の暮らしを見て来るがいい」

「ありがたき幸せ」弁千代は深々と頭を下げた。









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