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弥勒の剣(つるぎ)  作者: 真桑瓜
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鈴の一日


鈴の一日



明け六つ前、鈴は弁千代を起こさぬようそっと寝床を抜け出した。

手水場で顔を洗い着替えを済ませ庭に出ると、朝日に向かって柏手を打つ。

五十坪ほどの庭の隅には柿の木があり、実がたわわに実っている。もうすぐ食べられるようになるだろう。

庭の三分の二程に畝があり、大根、ごぼう、薩摩芋が植わっている。朝ごはんが済んだら畑仕事だ。

土間に設えられた台所へ行き、火打ち石と火打金を取り出すと、十字に打合せて火口に火を点けた。

軽く息を吹きかけながら、先端に硫黄のついた付け木に火を移す。

更に藁束に火を移すと、丁寧に積んだ竃の薪に着火した。

おはよう、と弁千代が声をかけてくる。おはようベンさんと返事を返し、羽釜を竃に据えた。

振売が来たので、海苔と豆腐を贖う。

七輪で豆腐の味噌汁を作り、火鉢の熾を起こして湯を沸かす。

ベンさんは洗面を済ませ、吉村に借りた本を写している頃だろう。

炊き上がった飯をお櫃に移し、味噌汁、焼き海苔、香の物と一緒に箱膳に乗せて座敷に運ぶ。

弁千代と向き合って朝餉をとりながら、今日の天気やお城での事などを話す。

家老の無門吉右衛門様は、ベンさんの顔を見ると『時間がない、時間がない』とおっしゃっているようだが、一介の下級武士の妻には差し当たってやる事は無い。

食事が済むと、台所の片付けをする。

余った飯を”しょうけ”に移し蓋をして涼しい場所に吊るしておく。こうすると冷や飯が美味しくなるのだ。

それが済むと弁千代と一緒に畑に出た。

雑草を抜き、虫を取り、水をやる。

登城までにはまだ間があるので、ベンさんが写本の続きを始めた。

鈴は一息入れて弁千代の側で庭を眺めている。

朝五つ、登城のため弁千代に裃を着せ、切り火で送り出す。

帰ってくるのは昼七つ、いや、近頃は文官も剣術の稽古を始めたと言うから暮れ六つ前になるだろうか。

さあ洗濯、今日は天気がいいから良く乾くだろう。

屋敷の前の堀端に行く。もうどの家の朝食も済んだ頃だから、洗濯に堀の水を使っても問題あるまい。近所の武家の女房が洗濯籠を抱えて出て来たので挨拶を交わす。

解いた着物に糊をつけて戸板に貼り付ける。

次は、掃除。

姉さん被りに襷を掛けて叩きを持った。高いところから順に叩きを掛けて行く。

棚の埃を乾いた雑巾で拭き取り、固く絞った雑巾で拭き上げ、下に落ちたゴミや埃を箒で外に掃き出した。

同様に、畳を目に沿って拭いて行く。

縁側を箒で掃き、濡れ雑巾で拭き上げる。

玄関のゴミをシダ箒で搔き集め、庭を竹箒で掃き清めた。

最後に厠を清潔にすると、鈴は、ふう、と息を吐いた。


気がつくと昼時であった。

朝の余った冷や飯に、熱い茶をかけサラサラと掻っ込む。

梅干しを一個口に放り込んだ。『う〜酸っぱい』思わず顔を顰める。

明るい陽のあたる縁側で弁千代の着物を繕いながらうとうとと眠ってしまった。

着物の皺に火熨斗をあてて伸ばす。そろそろ古着屋で一着仕入れてこようかしら。



七輪でクチゾコの干物を焼いていると弁千代が帰って来た。

鈴さん、ただいま。

おかえりベンさん、お城はどうだった?

特にいつもと変わりはありません、と言って弁千代が笑った。


夕飯が済むと、二人で近所の湯屋に行く。

湯冷めせぬように綿入れを着込む。

帰りは暗い夜道を寄り添って歩いた。

ベンさん、こんな日がずっと続けば良いですね。

私もそう思います。

無理な願いなんですかねぇ。

弁千代は何も言わず黙っている。

でも良いわ、ベンさんと一緒なら。

私も鈴さんと一緒なら心強い。


あら、ベンさんお月さんが笠被っているわよ。

明日は傘が要りますね。

うふふ・・・








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