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弥勒の剣(つるぎ)  作者: 真桑瓜
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吉村象二郎


吉村象二郎



「鈴さん、今日の晩飯の献立は決まっていますか?」

「いいえベンさん、まだですよ」

「それなら久しぶりに鰻にしませんか?」

「いいわねぇ、いつ以来かしら?」

「さあ、もう随分と食べてない気がします」

「確か婚礼の夜以来よ」

「今日、お城への行き掛けに、沖ノ端の鰻屋に回って夕方届けてもらうよう頼んで来ます」

「お願いしますよ」

「では、行って参ります」

「行ってらっしゃい、気をつけて」


弁千代は、堀端をぶらぶら歩いて目的の鰻屋『柳川屋』に向かった。

途中のんびりと川舟が行き来するのを眺めていると、前方が妙に騒がしくなった。

「てめぇ、サンピンふざけてんじゃねぇぞ!」

「黙って聞いてりゃ、何様のつもりだ!」

「だ、だから私はその船に乗ろうと・・・」

一人の武士が二人のやくざ者に絡まれている。

「みんな並んでんじゃねぇか。それを先に乗ろうだなんて太ぇ了見だ」

「だが、私の國では・・・」

「おめぇの國じゃどうだかしんねぇけどよ、ここ柳河じゃそうは行かねえんだよ」

あれは・・・学問吟味の登用試験に合格した吉村象二郎じゃないか。

「こ、この町人風情が武士に対してなんという口の利き方を・・・」

「うるせぇ、こちとら急いでんだ、とっととどきやがれ!」

「なに!」吉村が刀の柄に手を掛けた。

「おっ!やろってぇのかい。上等だ!」

「おい兄貴、こいつ刀の抜き方知らねぇぜ」

「本当だ、俺たちゃ用心棒の先生にヤットウ習ってんだ、そんな屁っ放り腰じゃ刀は抜けねえ!」

「だ、黙れ!無礼討ちにしてくれる!」

吉村がやっとの思いで刀を引き抜いた。それに応じて二人のやくざ者も長脇差を抜く。

「待て!」

弁千代が双方の間に割って入る。

「双方とも刀を引け!」

「なんだおめぇは、関係ねぇ奴ぁ引っ込んでろ!」兄貴分のヤクザが弁千代を睨みつけた。

「あっ、中武さん!」吉村がホッとした顔を弁千代に向ける。

「事情はだいたい飲み込めた、あなたがたにも言い分はあろうが長年の習慣はなかなか抜けぬもの、ここは穏便に手を引いては貰えぬだろうか?」

「ならねぇ!このまま帰ったとあっちゃ俺たちの顔が立たねぇ」

「では、どうすれば良い」

「土下座して貰おうかい!」

「ふむ、だがそれでは武士の顔が立たぬ」

「知った事か!」

「ではこうしよう、私が今からそち達の親分に会いに行こう」

「あ、会ってどうしようってんだ!」

「そちらの渡世のしきたりを聞く」

「聞いてどうするんだよぉ」

「双方の顔が立つようにしよう」

「そ、そんな事をしたら俺たちが親分に叱られる」

「だが、信念あってした事なら誰に負い目もあるまい」

「だ、だからってよぉ、親分にそんな面倒な事・・・」

「さ、連れて行って貰おうか」

「・・・」

「ちぇっ、今日のところは大目にみてやらぁ!」兄貴分が虚勢を張って嘯いた。「行くぞ。安!」

「へい、兄貴!」

二人のやくざは不満げに、肩で風を切って去って行った。

「お侍さん、船を出すよ」船頭が吉村に声を掛けた。

「あ、ああ。中武さん、一両日中に一度お付き合い願えないだろうか?」舟に乗りながら吉村が言った。

「いいですよ。あ、そうだ吉村さん鰻は好きですか?」

「はあ、大好物です」

「じゃあ、今夜家に来ませんか?鰻で一献傾けましょう」

「よろしいので?」

「構いませんよ」

「では、今夜伺います」


船は岸を離れて加治屋町方面に流れて行った。『鰻、三人前頼まなくっちゃな』



「今朝方はお恥ずかしいところをお見せ致した、申し訳ござらぬ」吉村が弁千代に頭を下げた。

「昨今は武士の権威も下がりっぱなしです、もう、昔のようには行きますまい」

「そのようですな、しかし、双方の顔が立つ方法などあったのですか?」

「さあ、そうなったらそうなった時に考えるつもりでした」

「私にはとてもあのような真似は出来ませぬ」

「私には吉村さんのような文官は務まりません」

「私など、ただ事務処理能力に長けているだけです」

「それでも、私などよりはずっと藩のために役立っている」

「そう仰って頂くと少しは気が楽になります。しかしどうやったらあのような肝の座った対応ができるのですか?」

「どうやったらなどという方法はございません、それぞれに得手不得手があるだけでしょう」

「私に中武さんのような腹があれば、他藩との交渉事ももっと簡単に進むでしょうに」

「文武両道と言いますが、文武は二道という事ではありますまい。文と武で一道だと推察致します。この二つは不可分に融合しているのです。吉村さんには武が必要、私には文が必要なのです、これを機会に互いの足りないところを補い合おうではありませんか」

「それは是非お願いしたい。私も暇を見つけて道場に顔を出します」

「私も学問所に伺いましょう」

「では、今後の交友を祝して」

「乾杯!」

「難しいお話はおすみですか?」鈴が鰻を温め直して運んできた。

「これはお内儀、今夜は突然お邪魔をして申し訳ござらぬ」

「いえいえ、主人がお友達をお連れしたのは初めての事なのですよ。どうやら、武術などという物騒なものをやっているので誤解されやすいので御座いましょうねぇ」

「鈴さん、理解と誤解は同じものですよ、理解されたとしても同じように理解しているとは限りません、誤解もまた然り。同じように思っていても互いに誤解していることもあり得るのです」

「ほら、こんな身もふたもない事を言うので、人は敬遠するのです」

「しかしお内儀、中武さんの言う事にも一理あります。人は互いに理解しているつもりになっているだけかも知れません。人と交渉しているとよくそう思います」

「ベンさん、良かったですね良き理解者が現れて」

「鈴さん、だから理解と誤解は・・・」

「おや、お二人はいつもそう呼びあっておられるのですか?」

「これは失礼いたした、家の中ではそう呼びあっております。外では鈴、弁千代様です」

「これは新しい夫婦のあり方ですな、私も見習わねば」

「吉村さんは結婚していらっしゃるの?」

「いえ、まだです。いずれしたいとは思っているのですが・・・」

「その時は是非紹介して下さいな」

「はい、必ず連れて参ります、楽しみにしていて下さい・・・ですがそのまえに」

「何かあるのですか?」弁千代が訊いた。

「私は藩の命で江戸に旅立ちます」

「え、いつです?」

「四日後、実は今日も挨拶回りに奔走しておったのです」

「それで・・・」

「さあ、鰻が冷めないうちに食べましょう、私もご相伴致します」鈴が言った。「ベンさん、久しぶりに三味を弾いてもいいかしら?」

「それは是非お願いします!」


「楽しいなぁ、こんな楽しい夜は久しぶりですよ」鰻を肴に酒を酌み交わしながら象二郎が言った。

「それは良かった、江戸から戻ったらまた呑みましょう」

「はい、必ず!」


弁千代と吉村は互いに協力して藩のために尽くす事になるのだが、それはまた後の話である。








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