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弥勒の剣(つるぎ)  作者: 真桑瓜
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祝言


祝言


「高砂や、この浦舟に帆を上げて・・・・」


一年後、弁千代の屋敷で婚礼の儀が執り行われた。

弁千代は、小さいながら初めて自分の屋敷を持つ事になったのだ。

鈴は、北長柄小路の伊織の屋敷から弁千代の待つ南長柄小路の弁千代の屋敷に、念願であった花嫁舟に乗って輿入れしたのである。


「この浦舟に帆を上げて、月もろともに出で潮の、波の淡路の島影や・・・」


『顔に似合わず良い声だぜぇ』伊織の奴、こんな芸当が出来たのか・・・と、吉右衛門は胸中で舌を巻いた。


「遠く鳴尾の沖過ぎて、はや住吉すみのえに着きにけり・・・」


鈴は伊織の屋敷を出る時、白無垢姿で畳に三つ指をつき家族に挨拶をした。

「義父上、義母上、千鶴ちゃん、長い間お世話になりました」

「なんのなんの、短い間じゃったが実の娘を嫁に出す思いじゃ」

「綺麗ですよ、鈴、よく辛抱しましたね。あなたはもう、押しも押されもせぬ武家の女ですよ」

「お姉ちゃん、お家に遊びに行っても良い?」

「もちろんよ。皆様、このご恩は一生忘れませぬ」鈴は再び、深々と頭を下げた。


「はや住吉に着きにけり・・・」


披露の宴はごく内輪で行われた。花婿花嫁、伊織の家族以外は、藩から家老の無門吉右衛門以下数人の役人が出席したのみであった。

鈴にはもとより類縁は無く、弁千代の兄は役務に追われ、母の脚ではこの柳河までの長旅は無理である。しかし、國元からの祝いの品は床の間に高く積まれてあった。

「来年の参勤交代の折、殿に従って江戸に参れ。もちろん鈴も一緒にな、そこで兄と母御に花嫁を合わせるが良かろう」吉右衛門が言った。

「ありがたきお言葉です、なんと言ってお礼を申せば良いのやら・・・」

「なぁに、その代わり殿をしっかりとお守りするのだぞ」

「御意!」


「良い婚儀であった」吉右衛門が帰ると、皆それぞれに弁千代宅を後にした。

後には当然の事ながら弁千代と鈴が残った。


「鈴さん、長い間お待たせしました」

「なんの事がありましょう、たったの一年でございます」

「これからよろしくお願いします」

「こちらこそ、末長くよろしくお願いいたします」

「鈴さん・・・」

「鈴とお呼びください」

「いえ、それは出来ません。呼び捨てはかえって他人行儀だ」

「では、私はなんとお呼びすれば・・・」

「ベンさんで結構、今更それ以外で呼ばれても自分のような気がしません」

「それでは、二人の時には鈴さんベンさん、家の外では鈴、弁千代様では如何ですか?」

「武士は体面を重んじますからね、面倒ですが仕方がありません。そのように致しましょう」

「良かった。じゃあベンさん、今夜は二人で呑み直しよ」

「賛成です、丁度庭の鈴虫も祝ってくれています」

「ほんに・・・私は幸せですよ、ベンさん」

「私も・・・」


婚礼の夜は静かに更けていった・・・



この頃既に、日米和親条約によって下田と箱館が開港され、事実上日本の鎖国体制は終焉を迎えていたが、条約の英文と和文では内容が異なっており、両国の認識には大きなズレがあった。

弁千代と鈴の運命も、時代の波にゆっくりと飲み込まれて行く。が、その変化は弁千代のような下級武士が感じられる程には直截的では無かった。





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