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弥勒の剣(つるぎ)  作者: 真桑瓜
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弁千代の思い


弁千代の思い


この頃、柳河藩には藩の道場というものは無く、武術家の私邸が主な稽古場となった。

弁千代は吉右衛門の口利きで、新陰流鎌池繁波の道場で藩士たちの指導を始めた。


皆さんは武士です、武士は兵です。では、兵の目的とはなんでしょう?

戦って勝つ事、これは分かりやすいですね。

お隣の佐賀藩の葉隠れ武士道にも『武士道とは死ぬことと見つけたり』という有名な一節があります。

では、戦って死ぬ事が武士の本懐なのでしょうか?いえ、それは違います。

死んだら負けでしょう?勝つためには生きなければなりません。

葉隠れを隅々まで読んでみても、何処にも死ねとは書いてありません。

それどころか、武士の目的は生きて戻ること、石に齧りついても生きる事と教えています。

これはどういう事でしょうか?『武士道とは死ぬことと見つけたり』とは嘘なのでしょうか?

いえ、そうではありません、この言葉の示す意味は、生を全うして死ねという事なのです。

人は死にます、遅かれ早かれ皆死んでしまうのです。

でも、我々は死ぬために生きているのではありません、生の終着点が死であると言うだけの事です。生死は表裏というけれど、生は長く死は一瞬です、決して等価ではありません。

犬死は最悪です。死に急ぐことは美しくも何ともありません。生き切ることこそ武士の本懐。

それを忘れてはなりません。では、どうすれば良いのでしょう?

具体的には、心と躰の力を抜いて冷静沈着に次の行動を選択するのです。欲や怒りの感情で行動を選択すれば、必ず間違います。好き嫌いではなく何が必要かを考える。

決して感情を行動の源にしてはなりません。武術を通してその事を学ぶのです。

何故なら武術の技は力を抜く事でしか発現しないからです。

皆さんは怒ると力が入るでしょう?恐怖に震えても力が入るのです。

怒ったから力が抜けた、などという事は決してありませんね。

それは自然の反射だからです。

武術によって自然の反射を抑える反射を身につけるのです。

そうすれば、生きて帰る確率は飛躍的に上がるでしょう。

昔から良い考えが浮かぶのは、馬上・隠上・枕上と相場が決まっています。

馬にゆるりと揺られている時、雪隠で用を足している時、枕の上に頭を乗せている時。

最近ではこれに湯船の中というのを加えても良いでしょう。皆、力がフッと抜けている状態です。

兎に角、力んでいる時には良い考えも浮かばず、素早い動きも出来ません。

これは、高度な精神の働きです、根性や負けん気などとは次元の違う話なのです。

兵は戦うことが仕事です、これは悲しい現実ですが仕方がありません。

無駄死にしたくなければ、正しく武術を学びましょう。

『はじめ極めて静かに抜かざれば一生手移り悪し』とは、ある居合の名人の言葉です。

まずはゆっくりと動く事から始めましょう・・・



弁千代は柳河藩の武士たちに、今までの考えを捨てる事から教え始めた。






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