腰掛け養女
腰掛け養女
「なに、國へ帰ぇりてぇだと!」
「はい、仕官のなった暁には夫婦になると約束した人がいるのです」
「その女が國にいるってぇのかい?」
「いえ、この柳河におります」
「ならいいじゃねぇか、國へ帰ぇらずとも夫婦になりゃ」
「それが・・・然るべき武士の養女にならなければならないのです」
「その女は町人かえ?」
「天涯孤独の三味線弾きです」
「そりゃおめぇ・・・なんとも粋なこったなぁ」
「ですから、一度我が剣の師の養女として・・・」
「かったるいな、そんな面倒な事してる暇はねぇ。おい、伊織、おめぇの養女にしてやれ!」
「し、しかし御家老様・・・」
「腰掛け養女だよ、半年か一年、おめぇんとこで武家の作法をみっちり仕込んでやんな。その間弁千代は城の長屋に住んで、時期が来たら南長柄小路に家を与えて婚わせてやるんだよ」
「おお、それは良いお考えで!」
「だろう、この緊急事に弁千代を國に返す時間はねぇよ」
「御意!」
「そ、そこまで甘えては・・・」
「構わねぇ!その代わりおめぇには大事な仕事が待ってるんだ」
「それは・・・」
「この柳河の侍ぇを、時代に合った立派な武士にしてくれろ。剣はその為に使うんだ」
「御家老様・・・」
「日本は変わらなくちゃなんねぇんだ、勤皇だの佐幕だの攘夷だのと言ってる暇はねぇ、そんなことをしていちゃ世界に喰いものにされちまうんだよ。こんな日本の端っこにある小藩にも、何かできることはある筈じゃねぇか」
「は、はい!」
「分かったら、とっとと帰ぇって養子縁組の準備をしろい!」
「御意!」
「こ、これは御家老様、今日はまたどうして!」伊織は吉右衛門の突然の来訪に面食らった。
「いきなり邪魔して悪かったな、どうしても弁千代の女房になる女を見たくってよ。いるかい?」
「た、只今、我が娘と一緒に水天宮にお参りに行っております。もうじき戻ると思うのですが・・・」
「悪いが待たせて貰うぜ、今日じゃなきゃまたいつ来られるか分からねぇ」
「そ、それは構いませぬが・・・」
その時、控えの間の襖が開いた。「あら、殿様いらっしゃいませ」
「お、お富士。早く御家老にお茶をお出しせよ」
「いや、茶はいらねぇ。出来れば冷を一杯くんな」
「冷って、お酒ですか?」
「あたぼうよ、きまってんじゃねぇか!」
「はいはい、すぐ御用意致しますよ」お富士は今開けたばかりの襖を閉めた。
「ところで、千鶴はその女・・・え〜となんて言ったかな」
「鈴ですか?」
「そう、その鈴とは仲良くやってるのかい?」
「はあ、うちは一人娘ですからな、いきなり姉が出来て大喜びで御座います」
「幾つになった?」
「数えで十になりました」
「ふ〜ん、いずれ婿を取るんだろうな?」
「そういう事になりましょうな」
「いいなぁ、俺んとこは種が悪いのか畑が悪いのか子宝に恵まれなかったからなぁ。その女房も去年死んじまったし・・・」
「後添えをお貰いになっては如何ですか?」
「まだ早ぇよ、そんな事をしたら女房が化けて出らぁ」
「お仲が宜しかったですからな」
「そんなんじゃねぇよ、俺が尻に敷かれてただけだ・・・だがいずれ養子を考えなくちゃなんねぇんだろうが・・・」
逡巡していると、襖が開いてお富士が酒を持って現れた。
「お待たせしました」
「おっ、ありがてぇ。久し振りに歩って来たんで喉がカラカラだ」
吉右衛門が、湯飲みになみなみと注がれた冷酒を一気に飲み干した。
「ぷは〜旨ぇ!」
「良かったら、もう一杯如何です?」
「良いのかい?」
「もちろんですよ」
「じゃあ、言葉に甘えてもう一杯貰おうか」
「すぐに持って参ります」
お富士が盆を持って立ち上がった。
「よく出来た女房殿だなぁ」
「御家老ほどではないですが、私も尻に敷かれております」
「ちぇっ、揶揄うんじゃねぇよ」
「ただいま〜」玄関先で子供の声がした。
「お、良い具合に戻って参りました」
トタトタと廊下に足音がしてカラリと障子が開いた。
「あ、殿様!」
「なんだ千鶴、行儀の悪い。ちゃんとご挨拶せぬか!」
「あ、御免なさい」千鶴は廊下にペタンと座って頭を下げた。「殿様、ようこそいらっしゃいました」
「おお、千鶴大きくなったなぁ。苦しゅうない、入ぇれ入ぇれ!」
「は〜い」
千鶴が入ると後ろに女が控えていいるのが見えた。吉右衛門が鈴を見据えた。
「お前ぇさんが鈴さんかい?」
「はい」
「俺ぁ、無門吉右衛門、一応家老の端っくれだ、覚えてといてくんな」
「鈴と申します」
「かたっ苦しい挨拶は抜きでいいぜ、さ、中に入ぇんな」
「では、失礼致します」
鈴が入ってそっと障子を閉めた。
「義父上様、ただいま戻りました」鈴が伊織に頭を下げた。
「おう、水天宮はどうであった?賑やかだったであろう」
「はい、流石に縁日、大勢の人で賑わっておりました」
「そうであろうな」
「伊織、親子っぷりが板についているじゃねぇか」吉右衛門が言った。
「いえいえ、まだ馴れませぬ。これ鈴、改めて御家老様にご挨拶を致せ」
「はい」鈴は吉右衛門に向き直って畏った。「加藤伊織の娘、鈴に御座います、どうぞお見知り置き下さい」
「その方、親は?」
「加藤伊織に御座います」
「そうじゃねぇ、本当の親だ」
「居りませぬ」
「なんの渡世をして参った?」
「三味線を弾いて生業として参りました」
「三味線をやめるのか?」
「はい、ベンさ・・・いえ、弁千代様と夫婦になる為に」
「武士は好きか?」
「嫌いです」
「ならば、何故武士の女房になる?」
「武士と弁千代様は関係ありませぬ。私は弁千代様の女房になるのです」
「弁千代が武士で無くなっても・・・」
「弁千代様が百姓になると言うのなら、私は喜んで鍬を取り肥を撒きましょう」
「その覚悟は?」
「出来ております」
「おい、伊織」吉右衛門が伊織を呼んだ。
「はい」
「酒だ、酒を持て!」
「もうご用意して御座いますよ」お富士が襖を開けて顔を覗かせた。「ただ今沖ノ端の鰻屋に人を走らせております。今夜はここでゆっくりとおくつろぎになって下さいませ」
「おい、鈴!」
「はい」
「これが武家の女房の心意気だよ、よっく覚えておけ」
「心得まして御座います」
吉右衛門が急に砕けた調子で言った。
「なぁ鈴、頼みがあんだがなぁ」
「なんですえ?」鈴が調子を合わせる。
「二度とは言わねぇ、一度だけお前ぇの三味線を聴かせちゃくんねぇか?」
鈴の顔がパッと華やいで見えた。
「殿様、あっちの三味は高値うござんすよ」
「うん、いい気っ風だ。江戸を思いださぁ・・・」
吉右衛門は駕籠を呼び、夜が更けてから帰って行った。
帰り際に、懐から切り餅を二つ(五十両)出して伊織に手渡した。「当面の鈴の養育費だ、足りねぇ時は言ってくれ」
「御家老・・・これは」
「頼んだぞ!」有無を言わせぬ吉右衛門の口調だった。
「御意!」伊織は深々と頭を垂れた。




