柳河
柳河
「鈴さん、少し遠回りになりますが船で柳河入りしませんか?」翌朝、帳場で支払いを済ませた弁千代が戻って来て言った。「風待ちをしていた帆掛け船が出るんだそうです。それに乗って矢部川を遡り、三橋町の百丁で沖端川の川船に乗り換えて柳河まで下るのです」
「まっすぐ歩けば直ぐでしょう?私の足なら大丈夫ですよ」
「いえ、この辺は舟運が発達している所です、その様子を見て見たいのです」
「ふ〜ん、なんだか潮来の花嫁さんみたいね」
「え、潮来ですか?」
「潮来の花嫁は、舟で嫁ぐの」
「柳河にもあるのですよ、嫁入り船」
「わあ、憧れるわぁ!ってダメダメ、ここで浮かれちゃマズイわね。まず、ベンさんの仕官が先」
「仕官できるかどうかは時の運、駄目ならまた考えましょう」
「そりゃそうですよ、その時はその時だわ」
「やっぱり鈴さんは良いなぁ、柔軟で」
「楽に生きる為の知恵よ、流しをしながら身に付けたの」
「それに比べたら、武士は窮屈だ」
「ベンさんは武士だもの、仕方ないわ。でも、この世の中底辺の方が気楽だわね」
「ははは、違いない」
船は中島の番所を出帆して順調に川を遡り、昼過ぎに百丁に着いた。
沖端川で川船に乗り換えた時、客に若い侍が多いのに気が付いた。
「中武弁千代と申します」弁千代は近くの武士に話しかけた。「柳河の御城下で何かあるのですか?」
「学問吟味です」と、若い武士が即答した。
「学問吟味?」
「文官の登用試験ですよ」
「皆様はその為に?」
「そう、二、三百人は受けるでしょう。通るのは十人程ですが」
「そんなに厳しいのですか?」
「はい、他に武道吟味というのもあります。戦力強化の為でしょうな、世情が緊迫しておりますゆえ」
そういえば客の中には屈強な侍も混じっている。
「それは、いつ行われるのですか?」
「明後日ですが、早く行かなければ宿が埋まってしまうので皆急いでいるのです」
弁千代は、ここに来て初めて世の中が大きく変わろうとしている事に気がついた。
「有難うございました」弁千代は侍に礼を言った。
「私は吉村象二郎、覚えておいてください」
「鈴さん、私は浦島太郎になった気分です」鈴の側に戻って弁千代が言った。
「聞こえてました、なんだかみんな厳しい顔をしているわ」
「世の中が動こうとしています」
「この流れは誰にも止められないのでしょうね・・・」
沖端で船を降り、北長柄小路の加藤伊織の邸へ急いだ。いや、急ぐ必要などなかったのだが、舟客の顔を見ていたら気が急いたのだ。
折良く、伊織は城から下がって来ていた。
「よくお出で下された」裃を脱いで平服に着替えると伊織が言った。
「お言葉に甘えて参上仕りました」弁千代は畳に手をついた。鈴は玄関脇の控えの間に待たせている。
「して、修行は成ったのかな?」
「いえ、未だ道半ばで御座います。終わりなき道に御座りますれば」
「さもあろう。自信過剰の慢心者では使い物にならんからな」
「長崎の小曽根弥平殿より書状をお預かりしております」
「おお、弥平殿から書状とな。早速拝見致そう!」
弁千代が懐から書状を取り出し伊織に渡すと、伊織はサッと一読し、もう一度今度は丁寧に読み直した。
「これは、貴殿に託して正解だった」手紙を畳んで懐に入れながら伊織が言った。
「と、言われますと?」
「飛脚では奪われる心配がある」
「それほど重要なことが書いてあるのですか?」
「うむ、いずれ藩の命運を左右するやも知れぬ事柄じゃ」
「それは・・・」
「いずれ分かる時が来るであろう、今の貴殿には関係のない事じゃ」
「はい」
「他に長崎での貴殿の活躍が記されておるが、これは誠か?」
「どのような事で御座いましょう?」
「カピタンの護衛長と戦ったとか」
「紙一重の勝負に御座いました」
「弥平殿が感謝しておりますぞ」
「たまたま、運が良かっただけに御座います」
「それでも、我が国の損失が避けられた。この通り礼を申す」伊織が頭を下げた。
「そ、そんな勿体無い、頭をお上げください」
伊織はゆっくり頭を上げて弁千代を見据えた。
「それよりこの書状、いささか気になることが書いてある。今からご家老様に届けて参るがここで待っていては貰えぬだろうか?」
「ご命令とあらば」
「まだ貴殿に命令できる立場では無い。して、宿は取ってあるのか?」
「いえ、沖端に着いて直ぐにこちらへ伺ったものですから」
「そうか、それは丁度良かった、今夜はここに泊まると良い。武者修行の話なと聞きながら飲み明かそう」
「ありがたきお言葉・・・しかし、連れがおりますれば・・・」
「うむ、聞いておる、女人が一緒だとな。お主も隅に置けぬ」
「い、いえ・・・」
「まあ良い、部屋は二つ用意させる。遠慮は要らん、わはははははは・・・」
伊織は豪快に笑って座敷を出て行った。




