述懐
述懐
「違うのです愛一郎殿。私は勝ってなどいないのです。私はヨハネスの超高速の剣を体捌きで躱す自信が無かったのです」
「だから、軽い刀の鞘をまるではたきのように使って、ヨハネスの剣を往なすという奇策を考え出さなければならなかったのです」
「その目論見はほぼ成功しました、が、代償は大きかった。今まで身につけて来た躰捌きが、一時的とは言え使えなくなったのです。辛うじて防いではいたものの躰には無数の傷を受けてしまいました。
「私は死を覚悟した」
「あの時、愛一郎殿の顔が目に入らなければ、私は死んでいたでしょう」
「古の達人の剣を目指していながら、竹刀剣術と同じ轍を踏む事は修行者としての堕落に他なりません」
「愛一郎殿の顔を見て、その事に思い至ったのです。最後の浮身は一か八かの賭けだったのですよ」
「いいえ、勝算などありませんでした。『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』正に『浮身』です」
「たまたま今回は私に運があった訳ですが、半端な武術では力や感情には及ばない事を知らされました。『生兵法は大怪我の基』ですね」
「一体、過去どれ程の才能ある武術家が、力や感情の為に潰されてしまった事でしょう」
「私のような凡夫は、跡形もなく消し飛ばされても文句は言えないのです」
「それでも、力や感情には限界があり、力に頼らぬ体捌きや感情を抑えた理性的な心の働きは、その限界を超えることが出来ると信じています」
「決して簡単な道ではありませんが、近道には得てして大きな落とし穴があるものです」
「大道を歩く事のみ、お考え下さい」
「愛一郎殿。『形』は、一切の力と感情を排除した理論なのです。気合いも迫力も、必死の形相も必要ではありません」
「実戦的に見えるかどうかなど、まるで関係が無いのです。寧ろ、そのような虚飾を排した『カタチ』こそが『形』なのですから」
「我々は、ただ『形』の教える所を淡々となぞれば良いのです」
「『形』とは、果物で申せば『種』です、種ならば、何処に植えても芽が出るでしょう?」
「つまりは普遍的なのです」
「ただ、その芽が育ち実を成すまでには、様々な条件が必要です。陽の光、雨の恵み、暑さ寒さ」
「時には嵐によって倒れる事もあるでしょう、又、大水によって流される事もあるでしょう」
「これら全ての条件を『縁』と言います。種が『因』、実が『果』、その間に『縁』があるのです」
「良き縁を取り入れ、悪しき縁を排除する」
「『善因善果、悪因悪果』」
「まずは、正しいものを見極める眼を養うのです」
「では、もう一度今の『形』を、ゆっくりとやってみましょう」
「はい!」




