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弥勒の剣(つるぎ)  作者: 真桑瓜
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北方陣屋


北方陣屋



「ごめんねベンさん、私だけ馬に乗っちゃって」

「いいですよ、秋までにはまだ間がある、のんびり行きましょう」

今朝早く芦刈屋を出立した。元気になったとはいえ、まだ鈴の足がふらついたので馬を雇うことにしたのだ。

城下の馬喰町で馬子を捜したが、折悪しく皆出払っていた。

馬が一頭残っていたので馬喰宿を覗いてみると、馬子が急な腹痛とかで伏せっていた。

「どこまで行きなさるね?」宿の主人が弁千代に訊いた。

「連れの湯治のために嬉野まで行きます」

「なら、こう致しましょう。お侍さんが轡を取って馬を引いて行き、嬉野に着いたら適当な馬喰宿に馬を置いて、佐賀に行く用事のある者に託しなされ。そうすれば駄賃は二百五十文で済みます」

「それで良ぉ御座いますので?」

「はいはい、その方が馬子も助かりましょう。途中北方あたりで一泊して、翌日嬉野に入られるのが良い、北方の宿で餌を与え汗を拭いてやるのを忘れぬように」

「心得ました」



「馬の背に揺られて旅をするなんて初めてだわ」鈴が嬉々として言った。「とっても見晴らしがいい」

「嬉野で体力が回復するまで逗留しましょう。長崎は逃げはしませんから」

「嬉しい、ベンさんの武者修行の旅ももうすぐ終わりですね」

「修行は一生続きますけどね」



暮れ六つ頃、北方に着き馬を預け宿を取った。

部屋に入って夕食を済ませ寛いでいると来客があった。

「お侍様、北方陣屋のお役人がいらっしゃっております」宿の仲居が伝えて来た。

「お役人が、いったい何の用でしょう?」

「さあ、是非お会いしたいと」

「ベンさん、私お風呂に行って来ます」鈴が気を利かせて言った。

「そうですか。では、ここにお通し下さい」

「はい」

「いったい何の用でしょう?」仲居が去ると鈴が不安な顔で訊いた。

「心配要りません、何も悪い事などしていませんから。それより、ゆっくり入って来て下さいね」

「じゃあ、行って来ますよぅ」



「ごめん」

鈴と入れ替わりに年配の武士が入って来た。

「みどもは陣屋詰の佐賀藩士、桂十郎左衛門と申す者にござる」

「中武弁千代で御座います」

「ご修行の方とお見受け致しましたが?」

「如何にも、武者修行の者にございます」

「良かった、急なお願いで誠に申し訳ないのですが、是非、陣屋の道場でお手合わせ願いたい」

「何故?」

「実は佐賀の牟田道場から、強い武者修行の方がそちらに向かった故、稽古をつけて貰えと連絡が入ったのです。それ故宿場の入り口に見張りを立てておりました所、それらしきお方がこの宿に入られたと報告がありましたのでこのように参上した次第にございます」

「そうでしたか、それは恐れ入ります」

「つきましては、明日使いの者を差し向けますので我が陣屋までお越し願いとう御座います」

「分かりました、私のようなもので宜しければ」

「夜は、ささやか乍ら酒肴の準備もしております故どうぞそのおつもりでおいで下さい」

「いえ、そのようなご心配は・・・」

「それでは、牟田先生から私が叱られます、曲げてご了解頂きますように」

「は、はぁ」

「それでは明日、楽しみにしております」そう言って桂は帰って行った。



「と言う訳で、鈴さん。明日は帰りが遅くなるやも知れません」

鈴が風呂から戻ると、弁千代は桂の来意を告げた。

「良いですよ。その間、私も流しで一稼ぎしておこうかしら。ベンさんにだけ負担をかける訳にいかないわ、駄賃くらい稼がなくちゃ!」

「無理をしないように。まぁ、躰を動かす練習には良いでしょう」

「久し振りに三味線の腕が鳴るわ」

「三味線も稽古をしなければ腕が落ちますか?」

「勿論よ、剣術と同じ」

「どちらも芸・術ですからね。では、私も一風呂浴びて来ます」

弁千代は手拭いを持って部屋を出て行った。



翌日、鈴が出て行った後一人で部屋に居ると、昼過ぎに迎えの者がやって来た。

「お迎えにあがりました、お支度は宜しいでしょうか?」

「何時なりと」

「では早速参りましょう」


迎えの者に付いて陣屋に行くと、縦に四間、横に七間の松板張りの立派な道場だった。

「ようお出で下さいました、さ、こちらにお入り下さい」桂にいざなわれて道場に入ると、驚いた事に郡奉行二人が見分に来ており、陣屋詰めの藩士は勿論、町人も大勢見物に来ていた。

近頃の武者修行とはこういったものか、と弁千代は改めて世の中の変遷を知った。

藩士二十数名と太刀合ったが、皆、当てっこ剣術で骨のある者は一人も居ない、しかし、誰一人悔しがる者もなく稽古を楽しんでいる風だった。




「本日は、誠にありがとう御座いました」稽古の後の小宴で桂が言った。「本物の剣術という物を見せて頂きました、皆、勉強になったと思います」

「皆さん、流派はバラバラのようにお見受け致しましたが」

「はい、形はそれぞれに稽古しておりますが、ここでは防具を付けた竹刀打ち合い、俗に言う撃剣を主に稽古しております」

「それでは流派の意味が無いのでは・・・」

「近頃、流派とは名ばかり、流行りの流派に人は集まります。精々挨拶の時に『私は、何々流です』と自己紹介用に名乗るばかりです」

「そうなのですか・・・」弁千代は愕然としてしまった、一体自分のやって来た事はなんだったのだろう。

その後、今日手合わせした藩士が入れ替わり立ち替わり弁千代の元を訪れ、賞賛の言葉や質問などをして和気藹々と歓談して行った。

殺伐とした空気は微塵もなく、皆、平和な世の中を謳歌している様である。


その時、陣屋の外で半鐘がけたゝましく鳴って火事装束の役人が飛び込んで来た。

「桂殿、池之端の古着屋から火が出ました!」

「よし、あい分かった!」桂は座敷を見回した。「皆の者、火事じゃ!支度をして池之端へ向かえ!」

「応!」今まで酒を酌み交わしていた藩士達が慌ただしく出て行く。

「中武殿、今夜はこれにてお開きじゃ、明日改めてご挨拶に伺う!」

「そのようなご心配には及びません。明け六つには出立致します、どうぞご存分なお働きを!」

「かたじけない!」

桂は押っ取り刀で駆け出して行った。

「俺の武者修行などは所詮、現実離れした次男坊の甘えた世界なのかも知れないな」

一人になった座敷で、弁千代は誰にともなく呟いていた。


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