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弥勒の剣(つるぎ)  作者: 真桑瓜
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火の国へ


火の國へ



大地が震えている。鈴が弁千代の袖を引いた。

「大丈夫です、じきに収まる」

これで二度目、然し道ゆく人々は平然としている。慣れているのか?

暫くすると揺れは収った。


「仲睦まじきこと、良き哉良き哉」

後ろから声を掛けられて振り向くと、見覚えのある僧の姿があった。

「弁千代、久しぶりじゃな」

「あ、貴方は胤舜様!なぜこのような所に?」弁千代は驚いて目を見開いた。

「何故と問われてもなぁ。儂は行雲流水の雲水じゃ、どこにでも行く」

「誰?」怪訝な顔で鈴が訊いた。

「笹野屋の事件のきっかけになった、山賊退治をした御坊様です」

「あれぇ、あの時の!」

「ほう、知っておるのか御女中?」

「はぁい、知っていますとも。おかげでベンさんとも会えたのですよぉ」

「なら、儂は縁結びの神か?否、仏に使える身が神はおかしいか・・・?」

「あの寺はどうなったのです?」慌てて弁千代が話を変えた。からかわれたのでは叶わない。

「再興したぞ、新しい住持職も決めた。お主のお陰じゃ」

「いえ、そんな事はありません・・・」

「久し振りに会うて旧交を温めたいのは山々じゃが、儂は今からお城へ行かねばならぬ」

「お城へ?」

「御城主様に挨拶じゃ。雲水じゃとてなかなか世間との縁は断ち切れん、不自由な事じゃ」

一度立ち去り掛けて、胤舜が振り向いた。

「お主、暫くはこの國におるのか?」

「はい、そのつもりですが」

「ならば三日後、霊巌洞に来ぬか?」

「霊巌洞?」

「知っておろう、昔、高名な剣術家が五巻の極意書を書き上げた窟じゃ、今はその横に寺が建っておる」

「その寺に来い・・・と」

「儂の名前を言えば粗略には扱うまい。そこで儂が来るまで待て」

「然し・・・」

「待っておって損は無いぞ。では急ぐのでこれで・・・」

さっさと胤舜は行ってしまった。弁千代は呆然と後ろ姿を見送った。

「どうするのベンさん?」

「う〜ん・・・胤舜様にはお尋ねしたい事も山ほどあるが、この國の剣術家とも太刀合いたい」

「困ったわねぇ・・・」鈴が首を捻っている。「分かった!今日これから強い剣術家の情報を集めておいて、霊巌洞に行く道すがら立ち寄るの、二日もあれば二、三人とは太刀合えるんじゃない?」

「簡単に言いますねぇ」

「物事は深く考え過ぎちゃ駄目、下手な考え休むに似たりって言うでしょ」

「ははは、鈴さんには敵わない」

「そうと決まれば腹拵えよ、お腹空いちゃったぁ」

「分かりました、分かりました。店を探しましょう」



翌日、早めに宿を出た。幸い霊巌洞までの道筋に二人の高名な剣術家が見つかった。

一人は、甲冑を着けた戦いの”形”をそのまま残した古流の剣術の達人河合幻斎。もう一人はこの地に渡って独特な変貌を遂げた兵法の達人星野兼有であった。

「ベンさん、私ここで路銀を稼いで行くから先に行っててくださいな」

「路銀など私が払います」

「冗談言っちゃいけない。私ゃ今まで一人で生きて来たんですよ。自分の路銀くらい自分で稼ぎます。これ以上ベンさんのお荷物になるくらいなら一緒についてきゃしませんよ!」

顔が怒っている。

「すみません、気に障ったのなら謝ります」

「じゃ、明後日。霊巌洞で待っててくださいね」もう笑っている。全く、女心は分からない。


鈴と別れて一人で歩き出す。これはこれで良いもんだ。

目指す道場は、幹道から少し離れた森の中にあった。

赤い鳥居が立っていて、その奥に社が見えた。境内を突き抜け裏口から外に出た所に古い寺があった。

背後の大岩に注連縄が張り巡らされている。ここは神道・仏教・修験道が一体となった聖地なのだ。

「どなたかな?」

見ると、墨染の衣を着た僧形の男が立っている。かなりの高齢に見えた。

「住職様で?」

「儂は、このような格好をしておるが坊主では無い。隠居して寺の手伝いをしながら余生を送っておるただの爺いだ」

「ここに、河合幻斎様と言われる御仁がおられると聞いて訪ねて参った者です。お取次をお願いしたいのですが」

「ほう、幻斎殿に御用の方か」老人はジロリと弁千代を一瞥してから言った。「では、ついて来なさい、儂が案内してしんぜよう」

弁千代が老人について行くと方丈に案内された。老人は訪を告げるわけでもなくずかずかと入ってゆく。

床の間の前で振り返り、そのまま座ってしまった。

「あの・・・」

「まあ、そこにお座りなさい」

言われるままに老人と向き合って座る。

「分からぬか?」

「・・・?」

「儂が、河合幻斎じゃ」

「えっ!」

「太刀合いが所望なのじゃろう?」

弁千代は驚いた、この老人が本当に河合幻斎なのか?武術家特有の”匂い”が全く感じられない。

「枯れてしもうた」弁千代の心を読んだように幻斎が言った。

「侘び寂び、というじゃろう?侘びは古きもの、寂は朽ちたものじゃ。儂は朽ちてしもうてもう何の匂いもせん。

「この老いぼれに勝ったところで、お主の誉にはなるまいよ。ただ放っておけば倒れるものを、無理に押し倒したと言われるだけじゃ」

「然し・・・」

「お主は強い、見れば分かる。弱くなりなされ、弱くならねば人の心はわからん。人の心が分からねば真の強者にはなれんよ」

言葉が出なかった、戦いを無理強いする気にもなれない。ただ、幻斎と居ると心が満たされて来る気がした。

「今日はここに泊まっていかっしゃれ、久々に若い人と話がしとうなった。せっかく来てもろうて何の土産も無いが、土産話なら事欠かんよ」

否、は無かった。この夜聞いた幻斎の言葉は弁千代の心の隙間を埋めて行った。ここに来て良かった、と心底思った。

旅の終わりが近づいて居る。そう感じさせる夜だった。




次の朝、弁千代は幻斎が寝て居る間に方丈を後にした。

本当は気づいていたのだろうが、幻斎は知らぬ振りで微かな寝息を立てていた。

『もう、甲冑剣術など流行らんよ、儂らの時代は終わったのじゃ。だが、忘れて貰いたく無い事が一つだけある。それは、昔の武士はあの重い甲冑を着けていたからこそ、速く動く術を身につけたという事じゃ。それを、甲冑を脱いだ途端自分勝手に動き、速く動いたつもりで、結局は間に合わぬ動きしかしていない事に気付いていない。その事をくれぐれも忘れぬ様にな』

河合幻斎は最後にそう言ったのだ。

弁千代は、幻斎の言葉を噛み締めながら、幹道を歩き出した。


暫くはのどかな田舎道が続く。道の左右には刈り入れ前の田んぼが黄金の海のように波打っていた。

まっすぐな道の先に街が見える。目指す星野兼有の道場は近い。

街には、縦横に張り巡らされた運河があった。その水辺の等間隔に植えられた柳の間に、立派な門が見えた。門を潜り、道場の玄関に立つと、たくさんの履物が乱雑に脱ぎ散らかされていた。

「お頼み申す!お頼み申す!」無人の玄関から、奥に向かって訪を告げる。

「誰じゃ!」すぐに人が出て来た。のっぺりとした特徴のない顔の侍である。

「武者修行のものでございます。星野兼有先生のご高名を伺い、是非お教えを乞いたいと存じ参上致しました、星野先生にお取次を・・・」

「何っ、道場破りか!」

「いえ、違います。この地に独特な変貌を遂げた兵法の達人がおられると聞き、一手なりとも教えて頂ければと参ったまででございます」

のっぺりとした特徴の無い顔の侍は疑わしげに弁千代を見ていたが、待っておれ、と言って奥に引っ込んだ。

暫く待たされた後、ようやくさっきの侍が出て来た。

「お主は運が良い。丁度この街の名士の方々に我が流儀の真髄をご披露する所である。道場の隅に控えて見学する分には苦しゅうない。それで良ければ上がられよ」

弁千代は侍の不遜な態度や物言いに不快なものを感じたが、ここまで来て引き返すのは癪だった。

「それで結構です、お願い致します」侍に頭を下げた。

ついて参れ、と侍は言った。弁千代は玄関で履物を脱ぎ揃え、侍の後ろに従った。

控えの間の先に道場の入り口はあった。中には大勢の人の気配がする。

礼をして入ると、正面に神棚がある。鹿島、香取、両神宮の掛軸がこれ見よがしに掛けてあった。名士と思われる人々がその前に座している。壁際には弟子が二、三十人はいるだろうか。


弟子達による華麗な”形”が繰り広げられている。この”形”には幻斎の言葉が、如実に体現されていた。

動きは速い、しかも自由自在に動いているようにも見える。然し”間”に合っていないのだ。

間に合うとは、時間的に速いという意味では無い、その瞬間の”機”にピッタリと合っているという事だ。

例えゆっくりとした動きでも、”間”に合えば避ける事の叶わぬ技になる。

足が居着いてから、いくら速く刀を振ってもその”間”がズレる。

この事を、幻斎は自分勝手な間に合わぬ動きと言ったのだ。

『これでは、芝居の殺陣と変わらぬ』


道場の中央に片肌を脱いだ、筋骨逞しい壮年の男が刀を下げて立った。

あれが、星野兼有か。

兼有の前には、藁苞が六段に積み重ねられている。

兼有はゆるゆると刀を上段に振りかぶった。動作がいちいち芝居がかっている。

「チェーイ!」裂帛の気合とともに刀が振り下ろされた。

藁苞は六つとも綺麗に両断された。

ほぅ、と名士たちから感嘆の声が上がる。

弟子がそれを片付け、今度は四本の孟宗竹を兼有の周りに据えた。

刀を鞘に戻した兼有は、腰を落としたっぷりと間を取った。

徐に刀を引き抜き、右袈裟、左袈裟、右下からの掬い斬り、左下からの掬い斬りと次々に孟宗竹を斬っていく。

最後に畳が持ち出された。両端を弟子達が支えている。

あれを斬ろうというのか?

兼有は、刀を上段に構え息を整える。兼有の背骨が海老のように反り剛刀が振り下ろされた。

「エェーイ!」兼有が渾身の力を込めて刀を引き下ろす。刀は畳の半分を切り裂きそこで止まった。

「ムムムッ!」兼有は更に力を込めて刀を引き斬りにした。畳は真っ二つになった。

ほ〜、大きな溜息が漏れる。

『あれは、ただの据え物斬りではないのか?』弁千代は首を傾げた。

人は据え物では無い、動きもすれば反撃もする。いくら畳みが斬れようとも、あんなに大きな動きでは斬る前に斬られてしまうだろう。

確かに、独特の変貌を遂げた武術ではある。否、これを武術と呼ぶのは烏滸がましい。

『これからの武術は、このようになってゆくのであろうか?』弁千代は暗澹たる気持ちになった。

そっと道場を出た。

草鞋を履いていると、先程ののっぺりとした顔の侍が出てきた。

「待て、もう帰るのか?」

「はい、有難うございました。大変勉強になりました」弁千代は頭を下げた。

「タダで当流の真髄を見ておいて、挨拶も無しとは無礼であろう!」

「とても私の及ぶものではありません、また出直して参ります」弁千代は慇懃に礼をした。

「ふん、せっかく来たのだ。私が一手教えてやろうか?」

「いえ、またの機会に・・・」弁千代はそそくさと玄関を出て門を潜った。

侍は、弁千代が恐れをなして逃げ出したと見て後を追って来た。ここで弁千代をいたぶれば道場の宣伝になると思ったのであろう。

「教えてやろうと言っておるのだ!」

「いえ、そのような御親切には及びません」

「問答無用!」いきなり刀を抜いて斬りつけて来た。

「御無体な!」

「うるさい!」侍が剣を振りかぶる。

その動作に合わせて弁千代は前に出た。

侍が剣を上げ終えた時には、弁千代の一本拳は水月を突いていた。

音も無く侍が倒れた。

『ここに長居は無用だな』弁千代は運河の端を霊巌洞のある金峰山に向かって駆け出した。



運河から川に出た、この川に沿って行けば金峰山がある。

今頃星野の道場は大騒ぎになっているに違いない。

兵法の道場が門弟をやられて黙ってはいられない。それでは名士達に面目が立たない。

弁千代は追っ手を気にしながら足を早めた。

なるべく人気の無い所を歩く、しかし道は一本だ。その気になれば足取りは容易につかめる。

弁千代は迷った、このまま姿を消すべきか?

然しそれでは霊巌寺の僧や胤舜に迷惑が掛かるやも知れぬ。何より鈴を巻き込みたくは無い。

急ぎ、この事を知らせる必要があった。

金峰山への道は整備されていた。次の宿場までの幹線道路であり、隣國への入口だからである。

霊巌寺は山の中腹から急峻な枝道に逸れ、更に山の奥深く分け入った所だ。

もうすぐ暗くなる、追っ手も夜は動けないだろう。

約束の日は明日、今宵のうちに対策を考えねばなるまい。




霊巌寺の老師は、黙って弁千代の話を聞いていた。話し終えると笑みを浮かべて弁千代を見た。

「ご心配なさる事は無い、この寺の僧は皆胤舜殿の弟子、町道場の一つや二つ物の数には入りません」

「し、然し乍ら皆様にご迷惑を・・・」

「仏弟子は、刺激を求めてはならない事になっております。だが、それでは若い僧達にはちと苦しいのです。逆説のようですが”捨”を知る為には”不捨”を知ることも必要、胤舜殿ならきっとそう仰います」

眉に白髪の混じった老僧は、はっきりとした口調でそう答えた。

「英信、これへ」老僧は次の間で控えていた若い僧を呼んだ。

「はっ、胤栄様!」

「聞いての通りじゃ、皆に支度を整えさせよ」

「承知致しました、皆さぞ喜ぶ事でありましょう」

「間違えてはならぬ。これは修行ぞ!」

「ははっ!」

英信は音も無く立ち上がって出て行き、寺は厳戒態勢に入った。




翌早朝、胤舜が一人の侍を伴って霊巌寺にやって来た。

「山門に覚印と慈円が仁王のような顔で突っ立っていたが?」胤舜が老師に質した。

「ならば二人から事情はお聞き及びでしょう?」

「うむ、星野といえば今や飛ぶ鳥も落とす勢いの兵法道場ではないか」

「そうらしゅうございますな」拙僧は下界の事情には疎う御座いますれば、と老師は言った。

「ははは、老師らしい」

「ところでそちらのお方は?」

「おお、そうであった。此方はこの度、殿の武術指南役になられた・・・」

「二天一龍と申します。どうぞお見知り置きを」胤舜の後ろに控えていた壮年の武士が答えた。

「はて、二天・・・と仰せられますと?」

「はい、この地で大往生を遂げた兵法家の末流にございます」

「ふむ、そうでありましたか」

「ところで、弁千代は何処に?」

「弁千代殿ならば、先程様子を見て来ると言って外に・・・」

その時、方丈の戸がガラリと開いた。

「ただいま戻りました」声とともに弁千代が姿を現した。「あっ、胤舜様。お早いお着きで」

「何を呑気なことを言っておる。この騒ぎは何だ?」

「はあ、面目次第も御座いません・・・」弁千代が頭を掻いた。

「今日はそちに二天殿を引き合わせるためにお連れしたのじゃが・・・まさかこんなことになっていようとはな」

「まったく・・・」

「して、外の様子はどうであった?」

「ここは、周囲が深い谷になっており此方からの侵入は出来ません。森の中にも人影は無く、今の所いたって静かです」

「それは、袋の鼠ということでは無いのか?」

「はあ、そうとも言います・・・」

「馬鹿者!」

「ひっ!」また怒鳴られた、出会った時と同じである。

「儂は麓の町で、大勢の武士たちが物々しく戦支度をしておるのを見た」三十人はいただろうな、と胤舜は言った。

「あれは確かに星野兼有でした」二天が言った。「私は太刀合うた事はありませんが強いという評判です」

「然し、膂力に頼った剣法だと推察しました」弁千代が言った。

「力の剣法を甘く見てはいけません。太刀行きの速さは時に技を凌ぐ、侮れば痛い目に遭います」確かに、未熟な技は力に敵わない。

「此方の人数は?」胤舜が老師に問うた。

「拙僧を含め僧が六人」

「儂と弁千代で八人か」

「私も人数にお加えください」二天が言った。

「然し、二天殿は殿の武術指南役、このようなことに巻き込まれてはなりません」

「私は人に教えるより、此方の方が向いている」二天は、わっはっはっはっ!と豪快に笑った。

「空真と円成は?」

「庫裡で握り飯を作っております」

「そうか、腹が減っては戦は出来ぬか。我々も腹ごしらえをしておこう」




飯を喰って茶を喫していると、山門のあたりが騒がしくなった。

「来たか!」胤舜が立ち上がった。「弁千代は衆堂に隠れておれ!」

返事も待たず胤舜は駆け出して行った。


山門の後ろが本堂で、その後ろが方丈だ。本堂の東に庫裡、西に禅堂と衆堂がある。

寺の周囲に塀は無い、どこからでも侵入は可能だ。

山門の前には、星野兼有と三十人の弟子達が犇めいていた。

頭に鉢金、胴には撃剣の防具を着けている。どこで手に入れたのか、古い甲冑を身に着けている者もいた。

その前で、英信と覚印が錫杖を構えている。

「ここで匿っているのは分かっている。大人しく渡してもらおう!」星野兼有が言った。

「この寺にそのような者はおらん!」英信が応える。

「どうしても渡さんと言うなら仕方がない。強硬手段に出るが良いか?」

その時、覚印の背後から胤舜が現れた。

「待て待て、それは穏やかならざる御言葉、儂が話を聞こう」

「誰だ御坊、この寺の者では無いな?」

「如何にも、ただの雲水である」

「先生、こいつは今朝方侍と一緒にこの寺に登って行った奴です」弟子の一人が言った。

「そうか、怪我をしたくなければその侍と共に何処なりとも立ち去るが良い。それまで待ってつかわす」

「それはまた、寛容なお心使い痛み入る。じゃが儂は今晩この寺に世話になる事になっておってな、僧が恩義を忘れては衆上に説法は出来んわい」

「ならば覚悟せよ」星野兼有が右手を挙げた。「散れっ!」

ワッ!と弟子達が動いた、寺を取り囲むように移動する。

「かかれっ!」


僧達は予てよりの手筈通りに配置に就いた。

胤舜、覚印を山門に残し、英信は方丈に走る。庫裡に空真、円成、禅堂に慈円、衆堂には弁千代、そして二天は方丈で老師を守る。

東西南北にそれぞれ七、八人の敵が殺到した。


空真、円成は七人の敵を迎え撃つ。空真は痩せて背が高く、円成は小太りだ。

空真は高さにモノを言わせ、敵の刀を叩き落としては脳天を砕いて行った。

円成は鞠のように転がりながら、次々と敵を弾き飛ばす。



西の慈円は寺では一番若い、弁千代と同じくらいである。然し、錫杖の動きは胤舜を彷彿とさせた。

弁千代は一瞬目を瞠ってから、目の前の敵に向かった。



老師は二天の背に守られていた。二天は両手を広げ、二本の剣を天に向けて突っ立てていた。その前で英信が獅子奮迅の働きをする。英信の端整な顔立ちがまるで鬼神のようにみえた。



山門には、星野兼有が居る。兼有は一歩下がって戦いの趨勢を見詰めていた。

覚印の丈は鋭い。仁王のような体躯から矢のような突きが発せられる。

胤舜は三人の敵を受けていた。

「どうれ」兼有がゆるりと刀を抜いた。

覚印に歩み寄り刀を振りかぶる。咄嗟に覚印は杖を一文字にして頭上を守る。

兼有の刀は真っ向から錫杖ごと覚印の頭を断ち割った。

「覚印!」胤舜の絶叫が聞こえた。



空真は腕に二箇所の傷を受けていた。敵はあと二人。

円成は既に地に伏している。

正面から来た敵の刀をはたき落とし鳩尾を突いた。

その途端背中に激痛が走る、刀の切っ先が腹から出ているのが見えた。



慈円の杖は折れていた。何度も敵の刃を受け脆くなった所に勢い余って禅堂の礎石を打ってしまったのだ。

短くなった錫杖で一人倒した。目の端に弁千代の背後に迫る敵の姿を捉えた。

その敵に向かって錫杖を放つ。当たった。その瞬間慈円の目の前が真っ暗になった。

「慈円殿ぉ!」弁千代の悲痛な叫びが境内に響いた。



英信の右目は、もう見えていなかった。

敵の半数は倒した。老師は二天が守っている。

二天は最後の敵と対峙している。

敵が斬り込んで行くのと二天が動くのが同時だった。

二天の剣が敵を斬り裂いた時、英信の膝がガクリと折れた。



「覚悟は良いな」兼有が胤舜を見詰める。

「応!」胤舜は周りを見渡した。敵は兼有を含め三人。極めて分が悪い。

多分、兼有だけなら何とかなる。しかし・・・



「どうした、弁千代殿!」二天が弁千代に駆け寄る。

「私の所為で慈円殿がっ・・・!」

「馬鹿者っ!慈円殿の死を無駄にするつもりか!」

「私は、私は・・・」

「早く!山門へ!」二天が走り出す。ヨロヨロと弁千代も続いた。



山門に着いた時、胤舜は山門を背にしていた。

敵は二人、胤舜の足からは止めどなく血が流れ出ていた。

胤舜の前に飛び込みざま、二天が敵を打ち倒す。

残すは、星野兼有只一人。



「ベンさん!」

鈴の声が聞こえた、そう言えば今日、ここで落ち合うことになっていた。

「先生、女を捕まえました。そいつを尋ねて来たに相違ありません!」

敵が、まだ居たのだ。

「ふん、良い所に・・・」兼有がほくそ笑む。「お前は二天だな。俺の用事は、そこの若造のみ。手出しは無用!」

二天はジリッと前に出た。

「待って下さい!」弁千代が前に出る。「ここは、私が!」

「お主の、今の状態では無理だ」

「いえ、やらせて下さい!」

「是非もない・・・」

二天は山門まで引き退った。


凄まじい太刀風だけで弁千代の頬が斬れた。

弁千代は、既に数カ所傷を負っていたが、気力を振り絞って何とか紙一重で躰を躱し続けた。

星野兼有は手強かった。だが、その事が弁千代に慈円の事を忘れさせた。

『甲冑を、あの重い甲冑を着けたとしたら・・・自分ならどう動く?』

幻斎の言葉が蘇る。『昔の武士は、あの重い甲冑を着けていたからこそ、早く動く術を身につけたのじゃ』

弁千代は腰を落とし、剣を下段に構えた。

兼有の腰は高い、撃剣を多く稽古した者の腰だ。

『鎧を脱いだ途端自分勝手に動き、結局は間に合わぬ動きしかして居ない』

「死ねっ!」

兼有が地を蹴り、必殺の一撃を打ち下ろして来た!

同時に弁千代が全身の力を抜いた。

躰が自然に落下して行く感覚に身をまかせると、弁千代の剣がばねの様に跳ね上がった。

『斬!』弁千代の剣は兼有の股下から喉までを斬り割いて止まった

ゆっくりと、実にゆっくりと兼有が倒れた。もう、息をしては居ないだろう。

『弱くなりなされ・・・』幻斎が言った。










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