新しい時代
新しい時代
「五郎さんのお陰で、無事兵站基地に物資を届ける事が出来ました」
佐賀関の病院の廊下で、薫は五郎に再会した。
病院は負傷兵だらけで足の踏み場もない。
廊下だけではなく、待合も庭の天幕の中にも怪我人が犇いている。
「能天気な奴らは田原坂を奪ったくれぇで勝ったつもりでいやがるが、そんな簡単なもんじゃねぇ。薩軍が海を渡って四国へ行きゃ、自由民権派に火が着く、そうなれば士族だけじゃねぇ、全国の不平分子に火が着いて政府は倒れる。この戦の正念場はこれからだよ」
廊下の壁に背を持たせて座ったまま吾郎が言った。
「私は新しい任務を頂いて明日日向に向かいます」薫が言う。
「そうか、あっちも飫肥の士族が蹶起したらしいからな。まだまだ大勢人が死ぬぜ」
「いつまで続くのでしょうか、この戦いは?」
「西郷がこれで良いと言うまでだろうよ。それでやっと戊辰戦争が終わるんだ」
「戊辰戦争はもうとっくに終わっているじゃありませんか?」
「いんや、この戦争は明らかに戊辰戦争と地続きだ。西郷はそれを終わらせるためにこの戦をおっ始めたんだよ」
「・・・」
「お前ぇはその尻拭いをさせられてるって訳だ」
「五郎さんや父もでしょうか?」
「いや、俺たちゃその張本人だよ。だから責任を取らなくちゃならねぇんだが、また今度も死に損ねちまった・・・俺が言うのもおかしな話だが、日本人同士で殺し合うような世の中は二度と作っちゃならねぇ・・・だから薫・・・死ぬなよ」
翌日、五郎は輸送船に乗せられて東京へと移送された。
五郎の予想通り、戦闘はそれから半年の間続く。
薩軍が鹿児島を出てから、田原坂陥落までの実に六倍の時間を要しているのである。
「晋どん、もう、ここでよか」と言う西郷の言葉で、後に西南戦争と言い習わされる戦いが終わったのが、この年の九月二十四日。官軍六千四百三、薩軍六千七百六十五名の死者を出した。負傷者に至っては数知れない。
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「先生、もうよろしいのですか?」
佐伯靜馬が畦に立って弁千代に声をかけた。
弁千代は鍬を持つ手を休めて靜馬を見た。
「ああ、まだ傷は引き攣っているが動けぬ事は無い。いつ迄も怪我人面していると山の神にどやされる」
「鈴様は厳しいですからね」
弁千代は久留米の病院から、鈴の待つ柳河へと送られた。
その時の鈴の慌てぶりは身も世もないほどであった。
伊藤舞介の献身的な働きで一命を取り留めた弁千代は、山縣参軍の裁量で自宅での療養を許されたのである。
西南戦争が終結してから一ヶ月、漸く今日床上げしたばかりだ。
「薫さんから便りが届いていますよ」靜馬が懐から手紙を取り出した。「鈴様が先生に見せろって」
弁千代は手拭いで汗を拭うと、畦に上った。
「井戸で手を洗ってから行く、先に道場に行っててくれ」
「はい」
靜馬は再び手紙を懐に入れると、道場の方へ歩き出した。
『拝啓、父上様、母上様。お二人ともお変わりなくお過ごしの事と勝手に推察致しております。父上の傷の具合は大変およろしいとの母上の便りで、ほっと胸を撫で下ろしている次第です。母上の事ですから心労も並大抵のものでは無かったでしょうが、どうぞ無理はなさらないで下さい。
私は九州での働きが認められ、少尉に昇進致しました。今はどこに配属されるかを待っているところです。なかなか帰郷することは叶いませんが、来年のお盆には必ず帰るつもりでおりますのでよろしくお願いいたします。また、その時に女性を一人伴います。私の幼年学校からの寝台戦友瀧幸次郎の妹で海さんと言います。宮崎の産で、母上と同じく気は強いですがとても優しい人です。将来結婚を約束しています、母上もきっと気に入ってくれると思います、どうか会ってやって下さい。これから寒い季節に向かいます。お二人ともお身体には十分お気をつけ下さい。取り急ぎ乱筆乱文お許し下さい』
極月朔日
無門薫
父上様、母上様
机下
弁千代は手紙を畳んで封筒に戻した。封は切ってなかったので鈴はまだ見ていないのだろう。
「靜馬、ご苦労だがこれを鈴さんに渡して来てくれないか」
弁千代はこれから始まる新時代を思って、静かに目を閉じた。
弥勒の剣 完
長い間ご愛読有難うございました。
長かった弁千代の旅も、ここで一応の区切りを見ました。
この先は、拙著『弥勒の拳』『弥勒の拳・エピソード0・1・2』『福物語』へと続きます。
剣を拳に変えて次世代の武術家へと繋がって行く物語を、興味のある方は覗いて頂けると幸いです。
充電期間をおいてまた新しい作品に挑戦したいと思います。
その時まで、皆さんお元気でお過ごしください。
いつも、励ましのコメントを下さった糸東甚九郎さん、本当にありがとうございました。




