夜襲
夜襲
「薫・・・」
呼ばれて顔を上げた。
「良くやった。だが安心するのはまだ早い。今日中に兵站基地に着くのは諦めなくちゃならねぇ。怪我人を近くの包帯所に運ばなくちゃならねえし、死んだ兵も仮埋めしてやらなくちゃならねぇ。それに人を割かれるから勢い行軍の速度は緩くなる。それから暗くなる前に泊まるところを探せ。農家は駄目だぞ、野営できる場所を探すんだ。この辺は薩軍に同情的な土地柄だから密告でもされれば一貫の終わりだ。これだけの大所帯じゃ人目につかねぇところを探せというのは無理だが、夜襲に備えて場所を選べ、出来れば背後に切り立った崖のある小高い丘の上が良い。これだけの事をお前ぇが差配するんだ。いいか、兵の命はお前ぇの判断ひとつにかかっている、心してかかれ」
五郎は口早にそれだけ言うと、逃げた敵を追ってその場を離れた。
薫は歩ける怪我人は徒歩で、歩けない者は担架や大八車に乗せて送り出した。
墓穴を掘るのは重労働だった。後で掘り返さなければならないのであまり深くは掘らなくても良いが、山犬に喰われないくらいには掘らなければならない。
その間に斥候を出し野営地を探させた。
やっと作業を終えた頃、斥候に出していた兵が戻って来た。
峠の頂を越えたあたりに放置された堡塁があると言う。
襲ってきた薩兵達が塒にしていたのかもしれない。
もう陽はだいぶ西に傾いている。急がなければ山中での落日は釣瓶落としだ。
休む間もなく出発した。索敵に出ている巡査たちは後から追い付いてくるだろう。
着いて見て驚いた。堡塁と言っても墓石を積み上げただけのしろ物だ。
故に背後に切り立った崖は無いが小高い丘にはなっている。
この辺り一帯の村の先祖累代の墓地だったに違い無い。
「酷い事をする・・・」独り言を呟いた。
それを聞き咎めて古参の兵が振り向いた。
「若い将校さんよ、これが戦争と言うもんですぜ。俺たちだっていつこの墓石の下に埋められるか分からねぇんだ」
薫は一言も返せなかった。夢中で斬り倒した薩兵の躰の感触が蘇って、道端に嘔吐した。
辺りはだいぶ暗くなっている。もう新しい野営地を探している暇はない。
墓に守られる形で野営の準備を始めた頃、藤田が戻って来た。
「洒落た野営地を見つけたじゃねぇか、上等上等」
薫は五郎の冗談には応えず、深刻な顔で五郎を見つめ返した。
「藤田さん、私は何のために陸士に入ったのでしょう。国の為に粉骨砕身働くつもりで入ったのに、もう嫌になっています。陸士での勉強なんて何の役にも立たないんじゃないかって・・・」
「薫、本当にそう思うか?」
「はい・・・」
「勉強が役に立つのは、場数を踏んでからだ。頭で覚えたことは躰に落とし込んで擦り合わせをしなくちゃ物にならねぇ。まぁ見てな、死ななけりゃそのうちびっくりするほど役に立つ時が来るからよ」
「本当に?」
「ああ、俺たちは実戦の中で試行錯誤しながら戦略を覚えていった、だから生き残った奴はとんでもなく強ぇ。だがそれゆえ数は少ねぇ。しかしお前ぇたちは先に戦略を知っているんだ、ちょっと実戦を経験すりゃあっという間に強くなる。これからの戦争はそんな奴が大勢いる方が勝ちだ」
「そう言うものでしょうか・・・」
「そう言うもんだ」
「でも、もう一つ自分でもどうしようもない事があるんです」
「なんだ?」
「今日死んだ薩兵の中には私と同じくらいの年頃の奴もいた。奴ら志も遂げずに、道半ばにして斃れたんだ。どれほど無念だったろうと思うと鉛を飲み込んだように躰が重い」
「ふん、死んだ奴の気持ちをお前ぇが代弁するのはお門違いってもんだ。無念だろう悔しいだろうってのも、この世に取り残された者が勝手に抱く妄想だ。そんなもの担いで戦ってちゃお前ぇが亡霊に喰い殺されちまうぞ」
「亡霊に・・・」
「亡霊なんてもなぁどこにもいやしねぇ。いるとしたら人の頭ん中だけだ」
薫はほんの少しだけ肩が軽くなったような気がした。
「藤田さん、酒を持って来ましょうか?」
「薫、少しだがお前ぇも分かってきたようだな」
*******
墓石の堡塁に腰掛けて酒を呑んだ。バチが当たりそうな気がしたが、五郎が『そんなものはただの石だ、早く慣れろ』と言ったからだ。
とは言え、尻の下がむずむずする。まだ頭の中の亡霊に縛られているようだ。
「死にたくなけりゃ、余計なことは考えねぇこった」
真鍮のカップに酒を波々と注ぎながら五郎が言った。
「無理ですよ、私は五郎さんじゃありませんから」
冗談で返すと五郎が破顔した。
「ははは、いい傾向だ。真面目過ぎる指揮官のいる隊は長生き出来ねぇ」
薫は五郎の言葉に微笑んだ。
「ん?」
「どうした薫?」
「あそこに火が・・・」
「どこだ?」
薫が右の林を指差した。
「近いな、敵かも知れねぇ」
「銃撃隊を呼びます」
「こちらの火を消せ、狙われる」
「はい」
焚き火に砂をかけて消すと、辺りは闇に包まれた。
薫は銃撃隊を右の林に向けて配備した。
兵達は墓石の上に銃を据えて射撃体制を取った。
火はまだ林の中で燃えている。
「火に気を取られるな、敵は闇の中を移動して近づいて来る」
薫が指示を出す。
その時、右方向から銃弾が飛んで来て墓石に当たって跳ねた。
「索射開始、右前方の暗闇!」
堡塁の銃が一斉に火を噴くと闇の中で絶叫が上がった。
「やったぞ、敵に当たった!」薫が立ち上がって叫んだ。
「馬鹿野郎!立つんじゃねぇ!」
同時に左方から喊声が上がった。
「わぁ!左から敵が攻めてきた!」軍夫が叫ぶ。
抜刀した敵が墓石を乗り越えて雪崩れ込んで来た。
「右は囮だ!抜刀隊左を守れ!」
奇襲に浮き足立った兵達が堡塁の中を駆け回り、敵の白刃に次々と斬り倒されて行く。
「チッ、味方が邪魔で動きが取れねぇ!」
五郎は軍夫や兵達を突き飛ばしながら前に進む。
「邪魔だ!道を開けろ!」
やっと前が開けて、目の前に現れた敵を一刀の元に斬り伏せた。
抜刀隊も味方の混乱から抜け出し、敵と斬り結んでいる。
漸く落ち着きを取り戻した輜重兵が、銃に着剣して交戦し始めたので、敵味方入り乱れた大混戦になった。
右方の銃声が弱まってきた。そろそろ敵が銃剣突撃に入る頃だ。
「木場!ここは任せた!」
「応!隊長、武運を祈る!」
全力で右へ駆けた。銃撃兵達が敵の銃剣で突き倒されている。
薫がサーベルで奮戦しているが旗色が悪い。薫に襲いかかった敵の背中を背後から突き刺した。
「五郎さん!」
「怯むな!先手と手数を忘れるな!」
「はい!」
五郎は刀を縦横に振るって、敵を十人以上斬った。
「銃だ!銃を使え!あいつを止めろ!」
敵の指揮官が叫んだ。
一斉にこちらを向いた銃口に向かって飛び込んで行く。間合いを詰めればそう簡単には撃たれない。
「狙撃兵!指揮官を狙え!サーベルを持った若造だ!」
「何っ!」
遠間から銃口を向けられて、薫が呆然と突っ立っている。
「薫伏せろ!」
言うより早く薫の前に飛び出した。
銃声と同時に脇腹に焼け火箸を押し当てられたような痛みが走る。
ギリッ!と奥歯が鳴った。
喚き声を上げて狙撃兵に突進し、袈裟懸けに斬り倒す。
ガクリと膝を折った。
木場が駆け寄って来る。
「隊長!あっちはあらかた片付いた、こっから先は俺たちに任せろ!」
「ふん、お前ぇに助けられるなんてザマァねえな」
「その元気なら大丈夫そうだ」
木場は振り向くと雄叫びを上げて敵に突っ込んで行った。
「五郎さん!」
薫が漸く正気を取り戻して叫び声を上げた。




