豊後方面
豊後方面
四月十四日、征討軍第二旅団が熊本城内の突入に成功し熊本城は解放された。
熊本城包囲の薩軍は消え、戦場は豊後方面に移って行った。
横浜から船に乗った藤田五郎は、四百名の巡査隊と共に豊後佐賀関に向かった。
船と言っても軍艦では無い、民間から徴用された客船で、今から戦場に赴くという緊張感は無く豪華な船旅となった。
神戸から陸軍の補給部隊が乗り込んで来た為、暑苦しい船内を嫌い、五郎は甲板で風に吹かれながら酒を呑んでいた。
「藤田さんではありませんか?」
若い士官が声を掛けて来た。
五郎が首だけで振り返ると、若者は破顔した。
「やっぱり藤田さんだ」
「薫?無門薫か、何故ここにいる?」
「私は今年陸軍士官学校を卒業し、今は見習い士官として此度の戦に従っております」
「輜重隊か?」
「はい、佐賀関から兵站基地まで武器弾薬の輸送を命じられております」
「何故そんな貧乏籤を引いた?」
「貧乏籤?」
「まぁ、そうは言っても上官の命令は断れめぇ。お前ぇ何のヘマをした?」
「ヘマって・・・」
「大方正義でも振り翳して上官の命令に逆らったんだろう?」
「いえ、私はただ同僚へのいびりを止めただけで・・・」
「それが甘ぇって言ってんだよ。軍で上官に逆らったら一生冷や飯食いだぜ。初っ端から輜重隊なんて所にやらされたんじゃ、命がいくつあっても足りねぇや」
「輜重隊も立派な軍隊です」
「何も輜重隊が軍隊じゃねぇなんて言ってねぇ、兵站は戦の最重要事項だ。だが輜重隊は重い荷車を引き、時には十貫目ほどの荷を背負うて進ま無くちゃなんねぇんだぞ。隊の中には非戦闘員である軍夫も多い、待ち伏せして襲われればひとたまりもねぇんだ」
「しかし、それ程厳しい戦場ならば良い経験になります」
「馬鹿が、緒戦で死ねば経験もへったくれも無ぇ。薩軍は熊本城を諦め豊後の地に雪崩込んでいる。物資の少ない薩軍は輜重隊を襲って戦いを続けるしかねぇんだ。そんな中でお前ぇのような馬鹿正直な人間が生き残れる確率は万に一つもありゃしねぇ」
「そ、そんな事は分かっています!」薫の顔からみるみる血の気が引いていった。
「分かってねぇよ、分かってねぇからこんなところに来てるんだろ」
「しかし・・・」
「まぁお前ぇが死んだって俺にゃなんの関係も無ぇけどな」
薫は五郎の言葉に悔しさが込み上げてきて唇を噛んだ。
「ふっ・・・だがお前ぇみたいな馬鹿がいなくっちゃ、戦争なんて馬鹿らしくてやっちゃいられねぇがな」
「藤田さん・・・」
「そんな馬鹿の総大将があの西郷だ、奴は大馬鹿者だな」
五郎が湯呑み茶碗を袖で拭うと、五合徳利の首を持ち上げて薫に突き出した。
「ちと脅しが過ぎたようだ。ま、一杯やれ」
「い、いえ、勤務中ですので・・」
「この船に乗ってる間は襲われるこたぁねぇよ。それに戦争の間中酒はついて回るもんだ。お前ぇたちの運ぶ荷の中にも入っている筈だが?」
「そう言えば、酒樽を見たような・・・」
「戊辰の役の時は、毎晩浴びるほど呑んだもんだ。そうしなくちゃ戦争なんて怖くてやっちゃいられねぇ。兵隊働かせるにゃ酒が必需品だと言うことよ」
「・・・」
「呑め!」
「は、はい・・・」
薫は湯呑みを受け取って五郎の酌を受けた。そして一気に酒を飲み干した。
「ところで親父は知っているのか?」
「はぁ、実家に手紙は書きましたが、父に届いているかどうか・・・」
「戦場に便りが届く事はねぇ、まぁその方が奴にとっちゃ幸せだがな」
「父は無事でしょうか?」
「分からねぇよ。だがどんな奴だって必ず死ぬんだ、今更生まれてきた事を後悔したって始まらねぇだろ」
「はい・・・」
「まぁ、もう一杯呑めよ・・・」
船は夕凪の中を戦場に向かってゆっくりと進んで行った。
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佐賀関についた時、ここが九州である事を疑った。空はどんよりと曇り、小雪がちらついている。
「東京より寒いじゃねぇか・・・」
五郎は悴んだ手を両の腋に挟み込んだ。
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「隊長、俺たちゃ斥候隊じゃなかったのかい?」木場が怪訝な顔で訊いた。
「俺が志願した、不服か?」
「不服じゃねぇが良く上が承知したな?」
「俺を誰だと思っていやがる、警視庁一番小隊長の佐川官兵衛は会津の出だ、俺が頼めば嫌とは言わねぇよ」
「俺もコソコソ嗅ぎ回るのは好きじゃねぇ、ただ、苦労の割にゃ報われねぇ部署だと思ってよ」
「誰かに褒められてぇか?」
「んなわけねぇじゃねぇか、酒さえ呑めりゃ文句は言わねぇよ」
「その酒を運ぶんだ、呑み放題さ」
「フハハハハ、そりゃいい!」
そこで木場はフッと真顔になった。
「ところで、昨日船の甲板で話してた若造は誰だい」
「無門の息子だ」
「そうか、そう言う事か・・・だったら俺たちに任せろ」
「すまねぇ」
「隊長らしくもねぇぜ、今までそんなこと言ったこたぁねぇじゃねぇか」
「俺も焼が回ったか」
「随分人間らしくなったもんだ」
「ふん、人でなしが人になっちゃおしめぇだ」
「違げぇねぇ」
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「藤田さん、何故輜重隊の警護なんかに?」
港の倉庫から物資の積み込みを終えた薫が出て来た。
「上からの命令じゃ逆らえめぇ」
「私は心強いですが」
「いいか、俺たちをあてにすんな、自分たちの手で軍夫と武器弾薬を守れ」
「分かっています」
「ならさっさと持ち場に着け。言っとくが戦闘は先手必勝だ、必ず先に相手を見つけろ」
「了解!」
輜重車は列を成して細い道を進んで行く。
この辺りは思ったより地形が複雑で坂道も多い。勢い進が遅くなる。
曲がりくねった道では先が見え難い。
薫は斥候を出して敵がいないか確かめた。
「報告、道の先に敵はいませんが、その先は緩やかな登りになっています」
「周りの様子は?」
「道の右側は鬱蒼とした林、左側は深い谷です」
「来るなら右からか」
薫は走って列の先頭に出ると、双眼鏡を構えた。
見たところなんの異常もないが、何故か違和感を覚える。
「何かがおかしい・・・ん?」
崖にへばりつくように群生している芒が揺れた。
「谷だ!速度を上げろ!止まればやられるぞ!」
芒の束を投げ捨てて、薩軍の兵が喊声を上げて斬り込んで来た。
皆袴の股立ちを取って頭に鉢巻きを巻いている。薫と同じ年頃の私学校の兵たちに違いなかった。
同時に林の中から銃声が起こった。輜重車を押していた兵と軍夫がバタバタと倒されて行く。
「銃撃隊、応射だ!輜重車を守れ!」
「薫、速度を落とすんじゃねぇ!突き抜けろ!」
後ろから五郎の叫び声が聞こえた。
「輜重隊、全力で車を押せ!銃撃隊は右の林に集中砲火!」
抜刀隊が凄まじい勢いで輜重隊の傍を駆け抜けて行く。
「実戦の心得その二!手数で負けるな!」
「分かってます!」
薫は声を張り上げた。
「撃って撃って撃ちまくれ!絶対に輜重車を奪われるな!」
その時、谷側から刀の打ち合う音が聞こえてきた。
絶叫がこだまして、敵兵が次々と谷底へ転がり落ちていく。
左は白兵戦、右は銃撃戦が続く中、輜重車はのろのろと敵の挟撃の中を進む。坂が急になって思うように速度が出ない。
と、突然銃声が止んで右の林の中から、刀を手にした薩兵達が飛び出して来た。
薫は咄嗟にサーベルを引き抜く。
目の前の薩兵が奇声と共に真っ向から斬り下ろしてきた。
薫はサーベルを横一文字に頭上に掲げ、全力で受け止める。
が、そのまま押し込まれて後ろに倒れ込んだ。
もうだめかと思った時、薩兵の力が抜け絶叫を上げて反り返った。
「後ろに倒れていなかったら額を断ち割られていたぜ」
五郎の顔が目の前に現れ、薫を覗き込んでいる。
「立て、まだ戦いは終わっちゃいねぇ」
薫は五郎に手を引かれて立ち上がった。
「実戦の心得その三は逃げ足だ。とっとと輜重車をこの混戦から脱出させろ!」
「はい!」
薫は声をかぎりに叫びながら走った。
「死ぬ気で走れ!死にたくなかったら死力を尽くせ!力の限り輜重車を押せ!」
走りながらサーベルを振るって敵を斬った。もう何も構ってはいられなかった。
後方から薩兵が追って来たが、抜刀隊が殿軍を務めて食い止めている。
やっと敵の攻撃線を抜けた時、薩兵が退却して行くのが見えた。
薫は腰の力が抜けて、ヘナヘナと道に座り込んだ。




