田原坂陥落
田原坂陥落
部下達の手によって、木葉の正念寺に仮設された包帯所に運び込まれた弁千代は、脂の巻き始めた銃弾を麻酔も使わず摘出した。
弁千代は板を噛んで痛みに耐えた。
その苦痛は尋常ではなかったが、事情は他の負傷兵達も同様であった。
包帯所にはろくな機材も薬品も無かったからである。
止血を施された弁千代は半ば意識を失ったまま放置された。
「司令!なぜ隊長を病院に移送しては下さらぬのですか!」
伊藤舞介は大阪鎮台近衛連隊の指揮官に喰ってかかった。
「馬鹿者!今のこの大事な時にそんな暇があるか!ただでさえ軍夫は少なく、この付近からは土民もいなくなって雇用も出来ないのだぞ!物資の補給に一人でも人手が欲しい時に負傷兵を運ぶ人員などあるものか!」
「しかし、官軍の兵は続々と久留米の病院に運ばれております。何故隊長が移送されないのか納得がいきません!」
「今申したであろう!人手が足りんのだ!」
「それは、我々が巡査隊だからではありませんか!だから、そんなことを言うのでしょう!戦況を有利に導いたのは我々巡査隊なのに!」
舞介は眦を決して執拗に食い下がった。
「戦況を有利に導いたのは我々近衛連隊だ、お前達の力では無い!」
「ならば、あなた達に薩軍の銃弾密造工場を壊滅させる事が出来ましたか!」
「貴様!口を慎め!」
「いいえ、何度でも言います!警視抜刀隊がいなければ今の状況はあり得ません!」
「うぬぬ、言わせておけば!だめだ、絶対に軍夫は出さん!」
「ならば私一人でも隊長を南関までお連れするまでです!」
「そんな事をしたら軍法会議ものだぞ!」
「結構!軍法会議にでもなんにでもかけてください!」
舞介は司令を睨みつけると、敬礼もせず本営を飛び出した。
*******
「隊長、乗り心地は悪いですが少し辛抱してくださいね。必ず私が病院までお連れしますから」
舞介は大八車の轅を握ると、荷台の弁千代に声を掛けて足裏に力を込めた。
降り続く雨は凍るように冷たいのに、汗はとめどなく流れ出る。
ぬかるんだ道にはほかの車がつけた轍が深く刻まれており、車輪を取られて難儀した。
車が揺れる度に弁千代の呻き声が上がる。
荷台には筵を重ねて敷いてあるのだが、そんなものでは車輪からの振動を吸収出来ない。
隊長の身は案じられるがどうすることも叶わなかった。
坂を登る時、後押ししてくれる者がいたらと切実に思う。
しかし、本当に辛いのは下りだった。
車の重量に背中を押され、踏ん張っていないと坂の下まで転げ落ちてしまう。
何度も足を滑らせて冷や汗をかいた。
やっと平らな道に出た時、荷台からくぐもった声が聞こえた。
「隊長、気が付かれましたか?」首だけで振り返って訊いた。
「舞介か・・・俺は何故こんなところにいる?」
「隊長を病院にお連れしている所です」
「何故お前が?」
「・・・」
舞介の沈黙が全てを物語っている。
「そうか、もう良いお前は戻れ・・・今ならまだ間に合う」
「嫌です!私は戻りませんよ。隊長のいない抜刀隊なんか、大根の入っていないおでんのようなものなんですから」
「ははは・・・なかなか上手いことを言う」
「それに、今帰ったらみんなに殺されます」
「皆知っているのか?」
「明朝、重要な作戦が行われます、今抜刀隊が軍を抜ける訳には行きません。お前一人分くらいならなんとかなると言って、みんなが私を行かせたのです。本当はみんな来たかった筈です」
「重要な作戦?」
「はい、和田某という地元の有力者から、土地の者しか知らない道を聞き出したのです」
「なに」
「これで薩軍の背後を突けます。今、田原坂上を守っているのは薩軍と肥後軍の混成隊です。肥薩の兵は仲が悪く連携がうまくいっていないと言う噂です、きっとこれで田原坂は落ちます」
「ならば、今までの戦いは何だったのであろうな・・・もっと早くに分かっていたら」
「それは・・・もう仕方の無い事です」
「そうだな、お前の言う通りだ」
ガタンと車が揺れた。
「隊長、ここからまた登りになります。息が切れるので話はここまでです」
「そうか・・・なら、宝船に乗った夢でも見ているとしよう」
「なら、さしずめ隊長は大黒様ですね」
「何故だ?」
「大黒様は元は武神ですから」
舞介は大きく息を吸うと、前屈みになって足を踏ん張った。
*******
その日官軍は、肥後兵が守備する吉次峠を急襲した。
田原坂上の肥後軍は救援のため本隊を差し向けた。まんまと官軍の陽動作戦に引っ掛かったのである。
この時、肥後軍は薩軍に応援を求めなかった。
代わりに田原坂に入ったのは、日頃物資の補給などの後方支援を行っていた肥後隊であった。
そこに名も無き一隊が奇襲をかけたのである。
朝霧の中から突然現れた敵を見て、戦闘に慣れぬ肥後の兵は大混乱に陥った。
その混乱を見て薩兵も動揺し、田原坂上の薩軍は総崩れになった。
どれほど攻めても落ちなかった田原坂は、これによりあっさりと官軍の手に落ちた。
この時、背後から果敢に突撃した一隊が、警視抜刀隊であった事は誰も知らない。




