舞介の刀
舞介の刀
雨は降り続いていた。
奇襲は成功したが、ここは敵陣の真っ只中だ。いつ敵と遭遇するか分からない。
弁千代は木立を透かして慎重に辺りを見回すと、掌を後ろに向けて小声で部下を制した。
「止まれ」
「どうしました隊長?」
「前方の丘の上から話声が聞こえる・・・」
「まだそぎゃん遠くへは行きよらん筈ですが」
「よし斥候ば出せ、辺りを虱潰しに探すんじゃ!」
「はっ!」
訛りの強い言葉だった、間違いなく弁千代達を追って来た薩兵だろう。
「十人は居る・・・」
「我々の倍ですか」
「斥候を出すようだ、人数が減ったら先手を打つぞ」
指示を出す声が聞こえて二、三人が駆けて行く足音がした。
部下達は茂みの陰や岩の後ろに身を隠し、銃を構えて弁千代の合図を待った。
斥候の足音が消えて五分程経った頃、十メートル先の斜面上に敵兵が姿を現した。
まだだ、もう少し引き付けてから・・・
敵が五メートルに迫った時、弁千代が右手を上げた。
「撃てっ!」声と同時に振り下ろす。
目前の二人が倒れた。
「敵だ!丘の上まで退避!」
慌てて丘を登る敵兵に銃弾を浴びせて、また二人を倒した。
「これで人数は互角だ!」
ただし、位置的には敵の優位は揺るがない。
斜面の縁から銃口だけを見せて撃ち下ろして来る。
部下が二人、敵の銃弾に倒れた。
味方の銃撃の間隔が開いてきた。
「隊長、もう弾がありません!」
「うぬっ!」
間も無く味方の銃から音が止んだ。
「これまでか・・・」
弁千代が呟いた時、野太い声がした。
「弾が尽きたようじゃな!」
薩兵が一人、丘の上に立った。
「儂は薩軍四番隊隊長、桐野利秋。悪いようにはせん、大人しく降参せい!」
弁千代はその声に聞き覚えがあるような気がしたが、思い出せないでいる。
するとまた声が落ちて来た。
「出てこんなら皆殺しじゃ、それでん良かか!」
弁千代が開けた斜面に身を晒した。
「警視抜刀隊隊長、無門弁千代!死ぬ覚悟はとうに出来ている!」
「なに・・・」そのまま声が途切れた。
「撃つなら早う撃て、その代わり部下達の命は助けて欲しい!」
「隊長、僕も死にます!」舞介が声を上げた。
「馬鹿者、あたら若い命を無駄にするな!」
「しかし!」
「もう良い、黙っておれ!」
弁千代は返事を急かすように丘の上を睨んだ。
暫く待ったが返事が無い。訝しんで口を開きかけた時、桐野が先に口を開いた。
「ま、待て!・・・おはん本当に無門弁千代か?」
「どう言う事だ、この後に及んで嘘を言うて何とする!」
「無門、見忘れたか、儂じゃ中村半次郎じゃ!」
弁千代は目を凝らして見上げたが、暗くてよく見えない。
「東郷様の屋敷で、剣を交えた中村か?」
「そうじゃ、おはんが鈴殿と薩摩を逃げ出す時、郷中の者から守ってやった中村じゃ!」
思い出した、武者修行の途中ひょんな事から薩摩に入り、身に覚えのない逆恨みをされて薩摩の二才に襲われた時、藩境までの抜け道を案内してくれたのだった。
「あん時の約束、よもや忘れちゃおるまいな?」
「忘れるものか、今度会ったら決着をつけると約束した」
「ふふふ、やっと約束が果たせる」
桐野は腰の刀に手をやって、部下を振り返った。
「良いか、手を出しちゃならんぞ!」
言い置いて斜面を降りて来た。
「半次郎・・・」
「弁千代・・・」
二人は暫し見詰め合った。
「久しぶりじゃのぅ」
「二十年振りか?」
「もう、そげんなるか。早かもんじゃ」
「こんな所で会うとはな」
「人の運命は分からぬの」
「尋常な勝負をするのか?」
「当たり前じゃ。これは薩軍と官軍の戦いでは無い、儂とおはんの戦いじゃ」
「そうか・・・」
「じゃがあまり時間が無い、ほかの隊が現れれば有無を言わさず撃ってくる。そろそろ始めようかの」
雨が更に激しくなった。
二人は足場を確かめるように斜面を移動しながら刀を抜いた。
桐野は徐々に剣を上げて行く。
その反対に弁千代は手元を下げて前屈みになる。
頭上がガラ空きになった。
「必死必殺の構えじゃの・・・」
「お主には小手先の技は通用せぬのでな」
「参る」
桐野は一気に間合いを詰めた。
化鳥のような気合いと共に、剛刀が落ちて来る。
弁千代は肩先を刃が掠るのも構わず、桐野の懐に飛び込みざま剣を返して斬り上げた。
桐野の内股の肉が削げ躰が傾ぐ。
弁千代の刀が反転し、桐野の首に向かった時、一発の銃声が轟いた。
斜面の下から拙攻に出ていた薩兵が駆け上がって来る。
「桐野隊長!ご無事ですか!」
見ると弁千代が倒れている。脇腹から血を流していた。
もう一人の兵が膝をつき銃を構えると、引き金に指を掛けグイと力を込めた。
「待て!撃つな!」
桐野の声が樹間に虚しく響いた。
*******
ほとほとと、粗末な藁葺き家の戸を叩く者があった。
「伊藤舞介様の御宅はこちらでありましょうや?」外から訪う声がする。
「こんな夜更けに誰でありましょう、母上?」舞介は針仕事の手を止めた母に尋ねた。
「うむ、声の感じでは怪しい客ではなさそうじゃが・・・舞介出て見なされ、されど油断をするでないぞ」
「はい」舞介は上がり框から藁草履を履いて土間に降り、戸から一間の距離を置いて立った。
「どなたですか?今日はもう遅い、急ぎの用事で無ければ、明日出直して頂きたい」舞介は戸板越しに声を掛けた。
「決して怪しい者ではございません、四谷に住む刀鍛冶でございます。本日はご注文の刀をお届けに参りました」客は舞介にそう答えた。
「それはおかしい。うちはご覧の通りの貧乏暮らし、とても刀匠殿の来訪を受ける謂れはない」
「いえ、方々探し回ってやっと伊藤様のお宅を見つけたので御座います。どうあっても持参の一振りを見ていただかなくてはなりません。どうぞこの戸をお開け下さい」
刀と聞いて舞介は興味を覚えた。母に目配せして戸にかけていた心張り棒を外す。風で行灯の灯が揺れた。
表に立っていたのは老人であった。或いは顔に刻まれた深い皺が男を老人に見せたのかも知れない。
舞介は警戒しながらも男を家内に招じ入れた。
男は中に入ると土間に跪き、舞介と母に向かって深々と頭を下げた。胸に風呂敷に包んだ一振りの刀を大事そうに抱えている。
「やっとお会いできました」その口振りが男の誠実さを物語っていた。
母は疑いを解いた。「そんなところで膝など着くものではありません。貧乏暮らし故、なんのお持て成しも出来ませぬが、熱い白湯なと献じましょうほどに、ささ、どうぞお上りなさいませ」囲炉裏のそばに藁で編んだ円座を置いて男に勧めた。
「では、お言葉に甘えます」男は円座を避け、刀を下ろし床に手をついた。「突然のお尋ね、お許しください。源清人と申す刀鍛冶でございます」
「源・・・あの江戸の名工?」舞介は天才と謳われた刀匠の名を思い出した。
「はい、清麿は私の師で御座います」清人はまるで我が身を恥じるかのように言った。
舞介は目を丸くして驚いた。「その、清麿殿の弟子である貴方がなぜこのような所に?」
「はい、まずはこれをご覧くだされ」そう言って清人は懐から一通の証文を取り出して舞介に渡した。「それは嘉永六年に書かれた借用書の控えで御座います」
「嘉永六年といえば、四十年前・・・」舞介は頭の中で素早く数えた。
「お読みくだされ」清人は舞介を促す。
舞介は色褪せて黄色くなった証文を開き、母に聞かせるため声に出して読んだ。
「金三両、鍛刀前置き金として確かに受領仕り候、源清麿、同心組組頭伊藤仙右衛門殿」
「確かに、仙右衛門は私の父ですが・・・」
黙って聞いていた母が、はたと膝を打った。「思い出しましたぞ!」
「どうしました、母上?」舞介は驚いて母の顔を見た。
「あれは確かに四十年前、旗本の窪田清音様が屋敷にいらしての、『清麿支援の武器構を作るから三両出さぬか』と仰せられた」
窪田清音は講武所の頭取、田宮流居合の達人である。
「其方の父上は、窪田様から目を掛けられ居合術の免許を許された。そのご縁で喜んで三両を出させて頂いたのじゃ」
舞介はその父親から居合の手解きを受けた。
「そのようなことが・・・」舞介が唸った。
「しかし師は、作刀に悩み酒に溺れ、ついに注文の刀の一振りも打たぬまま世を去りましたので御座います」清人は母の話を引き取った。面には、苦悶の色が滲み出していた。
「私は、前置き金控帳を頼りに、その返済のため鍛刀を続けて参りました。しかしながら私の刀などは師の足元にも及びません。そこで失礼ながら生活道具の鉈や包丁なども作って、なんとか三両の価値に見合うようにしてお渡しして来たので御座います」旧幕臣の暮らしは、決して楽では無い、どの家も舞介の家と五十歩百歩だ。鉈や包丁なら有難い。
「ですが今宵は、鉈や包丁の代わりに刀に拵えを施して参りました。こちらの舞介様が巡査隊として九州に出征なさると耳にしたからで御座います」やっとここまで言い終えてから、清人は徐に刀を風呂敷包みから取り出した。
その拵えは、無骨でなんの飾り気も無い、まるで清人本人の様だった。
「これを、お受け取り下さい。きっとあなた様のお命をお守りするでありましょう」
*******
舞介は弁千代を庇うように飛び出すと刀の柄に手をかけた。
その瞬間舞介は、一直線に自分に向かって来る光を見た。
舞介は弾かれたように刀を抜いた、否、刀が勝手に鞘走った。遅れて銃声を聞いた。
刀身に衝撃が走り、二つに分かれた弾が頬の両側を焼いた。
「なんと、鉄砲の弾を斬りよった・・・」
桐野が呆れたように呟いた。
「隊長!」
舞介が弁千代を抱き起こした。
「大丈夫、かすり傷だ・・・」
弁千代が言うと、桐野がゆっくりと立ち上がる。
「すまぬ、邪魔が入ったな」
桐乃は振り向いて兵達に言った。
「引き揚げじゃ!今、ここで見たこつは全て幻じゃっで、他言は無用ぞ!」
立ち去りかけて桐野が立ち止まる。
「おはん、名は?」
「伊藤舞介」
「覚えておこう」
桐野が弁千代を見た。
「生きておったらまた会おう」
そう言い残すと、足を引き摺りながら丘の向こうに姿を消した。




