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弥勒の剣(つるぎ)  作者: 真桑瓜
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天狗



天狗



花売りの娘が気になった。

結局、川沿いの小さな旅籠に宿を取ったのだが、翌朝早く件の廟に戻ってみた。

石段の下には誰も居なかった。

「まだ早かったかな?」

石段を登り総門を潜ると昨日の僧が箒で仏殿の前を掃いて居た。

「今日もまたお参りですか?ご先祖様もさぞお喜びでしょう」にこやかに僧が問うた。

「は、はい・・・あの・・花が欲しいのですが、花売りの娘は?」

「ああ、あの娘なら今日は来ませんよ。ここに来るのは二日に一度です。今日は他を回っているのではありませんか?」

「どこに回ったか分かりませんか?」

「さあ・・・」

「では、住まいはどちらか分かりませんか?」

「え?」

「ああ・・・昨日・・釣を余計に貰ったのです。それを返そうと思って」弁千代は咄嗟に嘘をついた。

「そうですか」僧は振り返って仏殿の背後を指差した。「あの山の麓の小さな村に、爺さまと二人で住んで居ます、菊の家と訊けば分かりますよ」

「お菊さん・・・」ぴったりの名前だと思った。



夕刻、山に向かって弁千代は歩いていた。道は一本道だが、起伏が多い上に曲がりくねっていて、山は見えているのになかなか辿り着けない、まるで他所者の侵入を拒んでいるようだった。

短い峠を登り切った時、突然視界が開け小さな集落が見えた。小高い丘に周囲を囲まれた、お椀の底のような村だった。

その時、右手の草叢でガサリと音がした。

「ん、猪でもいるのか?」弁千代は咄嗟に身構えた。

そこで弁千代の見たものは異形の者だった。

顔は今まで見たことがない程赤く、鼻が異様に尖って顔の前に飛び出している。

「て、天狗!」思わず刀の柄に手を掛けた。

天狗はサッと身を翻し、草むらの奥に消えた。弁千代は茫然とその姿を見送った。


村の入り口に着くと祠があり、その中には小さな観音様が祀られていた。しかし弁千代は違和感を覚えた、今まで見た観音様とはどこかが違うのだ。

どこがどう違うのか説明を求められても、答えることは出来ないだろうが。


村に人影はなかった、しかし人の気配はする。

夕餉の支度をしていたのであろう煙が、其処此処に棚引いている。

然し、どの家も貝のように戸を閉ざして、弁千代が訪っても返事は返って来なかった。

「変だな、私を警戒しているのか・・・」

更に村の奥に入って行った。



小川の辺りに花畑が見えた、白と黄色の小菊が一面に咲いている。

色の無い村の中でそこだけが華やいで見えた。

人影が二つ、大きな影と小さな影。こちらを向いて立っている。近寄って行った。


「お侍さん、なぜここに?」小さい影が訊いた。

「お前も天狗の仲間だべ?」大きな影が小さな影を庇うように前に出た。

「いえ、私はそのようなものではありません・・・お菊さん」

「私の名を・・・?」

「お坊さんに訊きました・・・その・・何となく貴方の様子が気になって」

「孫は渡さん、とっとと山に帰れ!」

「そうではありませんお爺さん、私は・・・」

「煩い、おめぇに爺さん呼ばわりされる覚えはねぇだ!」

何を言っても取り付く島がない、弁千代は途方に暮れた。元々、ここに来たのは余計なお世話だったのだ。

弁千代は項垂れて、スゴスゴと来た道を戻って行った。


祠のそばまで戻った時、いきなり後方で半鐘が鳴った。弁千代が振り返ると菊の家の辺りに人が集まり始めている。

「一体何が・・・?」考える間も無く、弁千代は身を翻した。

そこで弁千代が見たものは、異様な光景だった。

小川に掛かる唯一の橋を挟んで、二人の天狗が対峙している。

山側にいる天狗の後ろには月代の伸びきった武士が十名、いずれも擦り切れた袴を履いて立っていた。

村側の天狗の後ろには手に手に鋤や鍬などを持った村人が大勢居た。


「ミハエル様、もう我慢なんねぇだ。米や野菜の無心なら我慢もするが、村の娘を寄越せなど・・・」菊の爺様が言った。

「ワカッテイマス、ゴンノスケサン」天狗が言った。峠の草叢で弁千代が見かけた異形の者に間違いない。

「この村が隠れキリシタンの村である事を役人に知られたくなかったら、温順しく言う事を聞くんだな」もう一人の天狗が言う。こちらは明らかに作り物と分かる天狗の面を被っていた。

「アナタタチコソ、ソンノウハ二オワレルジョウイロウシデハアリマセンカ」

「ふん、我々に高尚な志は無い、逃げようと思えばいつでも逃げられるんだ。然しお前達はそうは行くまい」

「オキクサンヲワタスワケニハイキマセン、カエリナサイ!」本物の天狗が言った。

「ならば、腕尽くでも連れて行く」そう言って偽天狗は、刀の柄に手を掛け、欄干の無い橋の上に一歩踏み出した。脅せば村人が言う事を聞く事を知っている。

然しミハエルは動じない、一歩も引かない気構えを見せた。


「待て!」

その時弁千代がミハエルの前に飛び出した。既に左手で鯉口を切っている。

「お侍さん!」菊が叫んだ。

「何だお前は!」偽天狗が喚く。

「事情は知らないが、どう見てもお前たちの方が悪人面だ・・・乗りかかった船、助太刀いたす!」弁千代が前を向いたままミハエルに言った。

「ア、アナタ・・・ランボーハイケマセン!」

「えっ、そんな事はこいつらに言ってくれ!」

偽天狗がスッと後退した。それと入れ替わりに背後の侍が前に出る、既に抜刀している者もいた。「問答無用!」先頭の侍が斬り込んできた。

狭い橋の上である、弁千代は正面の敵に集中する。抜き掛けに敵の刀を躱し真一文字に眼を斬り裂いた。

ギャッ!と声を上げて敵は小川に落ちて行った。

二人目が突いて来た、刀の棟でそれを制し同じ太刀筋で今度は喉を斬る。

ヒュー!と松籟を残し、この敵も橋上から消えた。


「半数は川を渡れ!」偽天狗が怒鳴る。

深い川では無い、敵の四人がザブザブと水音をさせて川を渡り始めた。

百姓達は刀を持った敵に腰が引けている。ただ独り、権之助だけが鍬を振り上げて待ち構えていた。

『背後を取られるとマズイ』咄嗟に振り返ると、ミハエルが碧い目を片方瞑った。

「ダイジョウブデス」そう言って、手に持った見慣れぬ武器を弁千代に見せた。

束の短い諸刃の短剣だ。

『さっき乱暴はいけないと自分で言っていた癖に!』弁千代は心の中で毒吐いたが、背後の憂いが無くなった分、前面の敵に集中できる。

敵は上段に構え、じりじりと間合いを詰めて来た。

弁千代は中段の剣をスッと正中から外した。途端に敵が斬り込んで来る。

その切っ先を躱し正面に斬り込むそぶりを見せる。敵はそれを受け止めようと咄嗟に剣を上げた。刹那!弁千代の身が沈む、敵は両足を膝の下で断ち斬られ橋の上に転がった。


次の敵は、まだ息のある味方の躯に遮られて前に出て来られない。

弁千代はホッと息を吐いた。

背後で騒乱が起こる、然し顧みる余裕は無い。前面の敵に集中する。あと三人。


漸く味方の躯を乗り越えて一人が前に出て来た。恐怖と怒りで目が血走っている。

「うゎー!!!」突然、剣を滅茶苦茶に振り回しながら弁千代に突進して来た。

太刀筋の狂った剣は怖い。弁千代は二三歩後退した。『動きが伸びるのを待とう』

弁千代はさらに一歩引いた。弁千代が下がった分、敵は間合いを詰める為に勢いをつけて踏み込まなければならなくなった。

動きが・・・伸びた。

袈裟懸けに、頚動脈を狙って振り下ろされた剣の下を掻い潜り、弁千代は敵の腋を撫で斬りにした。右腕が刎ね飛び宙に舞う。

敵は訳のわからない叫び声を上げながら、橋から落ちていった。


あと二人。





「俺は今までの奴等とは違うぞ!」

そう言って、仲間の骸を蹴落としながら出て来たのは、総髪の侍だった。

確かに、下段に構えた姿勢に隙は無かった。

『無ければ作るだけだ!』弁千代は総髪の侍を睨みかえした。

右足を引いて剣の切っ先を後方に流す”車”の構えを取る。

そのまま真っ直ぐ突進した。

総髪の侍が狼狽し、下段の剣が慌てて上がる。

間合いに入った。剣が弁千代の頭上に降ってきた。

瞬時に弁千代は浮身を掛け躰を入れ替える。剣は空を斬り、弁千代の剣は侍の首に食い込んだ。

そのまま体当りで突き飛ばす。橋から落ちる時、総髪の侍は恨めしげな顔で弁千代を睨んでいた。


あと一人。


その時、背後で歓声が上がった。

「オワリマシタ。ソノオトコハワタシニマカセナサイ」ミハエルの声がした。

弁千代の左脇をすり抜けて、ミハエルが前に出た。

「アナタハナガイアイダコノムラヲクルシメマシタ。ツミノツグナイヲシナサイ」

「な、何を!」偽天狗は明らかに動揺している。仲間はすでに一人もいないのだ。

ミハエルは右手に剣を持ち橋の中央に立つ。

村人が川を渡って偽天狗の後方を塞ぎ退路を断った。偽天狗は諦めたように刀を抜く。

ミハエルはスッと右足を出した。剣の切っ先は真っ直ぐ偽天狗を捉えている。

偽天狗が落ち着きを取り戻している、覚悟を決めたようだ。左手で天狗の面を外す。

意外に若い顔が現れた。

「我々は、攘夷党に金で雇われた脱藩浪人だ。もうすぐ侍の世は終わる、夢も希望も尽き果てた」

「コダワリヲステナサイ、アナタハサムライデアルマエニヒトリノニンゲンナノデス。ナニヲヤッテモイキテイケルノデスヨ」

「もう遅い」偽天狗は泣きそうな顔をした。「私も皆の後を追う」

偽天狗はゆっくりと刀を上げて上段の構えを取る。

「モウナニモイイマセン・・・」ミハエルが腰を落とした。


偽天狗・・・今はもうただの脱藩浪人・・・は、スゥと息を吸い、カッ!と目を見開いた。

キェー!裂帛の気合とともに刀を振り下ろす。刀はミハエルの剣をはたき落としガッ!と鈍い音を立てた。

振り下ろされた刀は、そのまま蛇が鎌首をもたげるように切っ先を上げミハエルの躰を貫いた。

「ミハエル様!」あちこちで悲鳴が上がる。


偽天狗がゆっくりと刀を引き抜くと、ミハエルの躰は無言で橋の上に倒れた。

「ミハエル様!」菊が駆け寄り抱き起す。

緩慢な動作で、偽天狗の刀が菊に迫る。

「危ない!」弁千代は咄嗟に刀を持ち直し、偽天狗目掛けて投げた。

刀は深々と胸に突き刺さり、偽天狗はドゥ!と後ろに倒れた。


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