木場の長い一日
木場の長い一日
「ゲベール銃の射距離と命中率は、百ヤードで74.5パーセント。因みにミニエー銃は94.5パーセントとなる。三百ヤードともなればゲベールは16、0パーセントだがミニエーは55.0パーセントと差が大きくなる。これは銃身内部に施条があるかないかの差で、施条がある事で銃弾が旋転し弾道が安定するためである。しかし最新式のスナイドル銃ならさらに命中率は高くなる。だが違いはそれだけでは無い、ゲベールとミニエーは前装式なので熟練兵でも一分間に四発撃つのがやっとだが、後装式のスナイドル銃なら未熟な兵でも数倍のペースで射撃出来る。しかも、前装式は装填の際に銃を立てるので狙われやすいが、後装式は匍匐の姿勢で装填容易だ・・・」
陸軍の教官が黒板に板書しながら得々と説明した。
「なんで俺たちが陸軍の奴らと一緒に座学をせにゃならんのだ?」
木場が不貞腐れた顔で言った。
「近頃では西国で士族の蜂起が相次いでいる。これからは従軍することもあるのだろう」
隣の巡査が小声で木場に耳打ちした。
先日辞令が届き、木場は東京警視庁内に新設された巡査隊への配属が決まった。
隊員達は武器の操作と山岳地での戦闘に慣れる為に、陸軍の訓練に参加する事になったのだ。
今日は十人の巡査が兵学寮内にある建物に派遣されている。
「ふん、こんな徴兵で集められた百姓や町人上りの奴らと一緒になんかやってられるか」
「もう、槍や刀の時代は終わったんだ。これからは武器の性能がものを言う時代だ、その事はお前もよくわかっている筈じゃないのか?」
「そりゃ頭じゃわかっちゃいるがな、その武器を使う人間の精神が問題だろう。士族は戦うのが商売だが、百姓らにそんな覚悟があるのか?」
「こら!そこ何を喋っておる、講義中だぞ!」
教官が木場を睨みつけた。
「いえね、こんなことしている暇があったら実弾射撃でもしたほうが早いんじゃないかと思ってね」
「俺たちだって好きでお前ら警官に教えている訳ではない。山縣有朋参軍の御命令により、仕方なく教えているだけだ、文句を言うなら参軍に言え!」
「チッ、山縣さんも飛んだ算段をしてくれたもんだ」
「ブツブツ言うな、野外演習でたっぷり可愛がってやる」
「そう願いたいもんだな、体が鈍って仕方がねぇ」
明治九年三月二十八日太政官布告、大礼服並軍人警察官吏等制服着用の外帯刀禁止の件、が出された。
特に名称は無く、後年『廃刀令』と言い習わされるものである。
前年の山縣有朋の建議が採用された形となった。
山縣の建議とは要するに『従来刀を帯びていたのは倒敵護身の目的だが、今や国民皆兵の令が敷かれ巡査の制が設けられ、個人が刀を帯びる必要が認められない為、速やかに廃刀の令を出し武士の虚号と殺伐の余風を除かれたい』と言うものだった。
だが、帯刀は実戦的な武備というよりは武士の身分の証明である。
それを否定する事は、実質的な特権の否定であり徴兵令及び秩禄処分とともに武士のアイデンティティが否定されることを意味した。
これにより不平士族の反乱は避けられないものとなった。山縣はこれを目論んでいたのかも知れない。この機会に一気に武士という存在を消してしまいたかったのだ。
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「こんな重たい装備を背負って、一体どこまで走らせるつもりだ!」
雨模様の中、戎衣(戦闘服)を身に付け木場達は野外演習に参加した。
「この装備、八貫目いや十貫目はあるぞ!」
木場はぬかるみに足を取られながら、不満タラタラで文句を言った。
「ふん、お前さっき躰が鈍って仕方がねぇ、なんて言ってたんじゃなかったか?」
前を走る陸軍の兵が振り返って鼻を鳴らした。
「俺たちゃな、お前達百姓のように力仕事は得意じゃねぇんだよ」
「士族なんざ甘ちゃんだな。俺たち百姓の次男坊三男坊は口減らしの為兵隊に売られたも同然、吉原の遊女とおんなじだ。生きるためには身を犠牲にしてでも働かなきゃなんねぇんだよ」
「お前ぇらに死ぬ覚悟なんかあるのか」木場が言い返した。
「死ぬ覚悟なんざ地獄を知らねぇ奴らがする事だ。俺たちゃ地獄から這い上がる為に生きてるんだ」
「お前達口を慎まんか!野営地まで保たんぞ!」馬に乗った士官が怒鳴った。
「ちえっ、自分は馬に乗っていい気なもんだぜ」
「士官様は侍ぇと一緒だ。俺たちゃどう頑張ったって曹長止まりだ、一生馬になんて乗れねぇ」
「ふん・・・しかし、この長靴は何でこんなに走りにくいんだ。誰か草鞋をくれ〜!」
木場が自棄気味に叫んだ。
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「止まれ!」
馬上から真柴少尉が命じた。
「ここが我が隊の陣営だ!」
山の斜面にある猫の額ほどの平地に、四十名の兵が整列した。そのうちの十名が東京警視庁の巡査隊だ。
「今日の訓練について説明しておく。現在、この山全体に我が隊を含め四小隊が展開している。良いか、自隊以外は全て敵だと思え。日没までに一隊でも多くの敵を殲滅した隊の勝ちだ。絶対に殲滅される事の無いように死力を尽くして頑張ってくれ!」
真柴少尉は、居並ぶ兵を前にして檄を飛ばした。
「真柴少尉殿、嫌に張り切っているじゃないか」
兵の一人が隣の兵に囁くように言った。
「他の三隊の士官殿が真柴少尉の同僚だってよ」
「同僚って陸士の同期か?」
「そうだ、だから面子にかけても負ける訳には行かないんだろうよ」
「ふん、あんな若造の面子のために何で俺たちが頑張らなくちゃならねぇんだ」
「知らねぇよ、適当にやっておくか・・・」
真柴少尉の気合いに比べて、兵達は白けていた。
「まず、隊を四班に分ける。第一班は斥候部隊、第二班と第三班は銃撃部隊、第四班は斬り込み部隊だ」
「第一班は二名一組で索敵、見つけたら一人を残し直ちに本部へ報告」
「第二班、第三班は報告を受けたら直ちに出撃、対敵したらとにかく撃って撃って撃ちまくれ」
「至近距離まで接近したら、機を見て斬り込み隊突入。銃撃隊はそれを援護しながら、乱戦になったらただちに着剣して銃槍突撃に移る!」
「斥候隊は銃声が聞こえても合流する必要は無いない。引き続き索敵を続けよ」
「以上、何か質問は!」
「質問がある!」木場が大声を出した。
「何だ?」
「てか、頼みなんだけどよ。斬り込み隊は俺たち巡査隊に任せてくれねぇか。銃の扱いじゃ負けるが、剣の扱いは俺たちの方が上だ。役に立つぜぇ。あんたどうしても勝ちてぇんだろう?」
真柴は図星を刺されて戸惑った。
「良いじゃねぇか、やる以上は勝たなきゃ意味がねぇからな」
真柴は木場の面構えを見て決心した。
「名前は?」
「木場だ」
「良いだろう・・・木場、斬り込みは巡査隊に任せる」
「ありがてぇ、これで面白くなって来たぜ」木場が右の口角を上げて笑った。
下士官によって腕章が配られた。
「我が真柴隊は黄色、他の三隊は山下隊緑、芳賀隊青、三島隊が黒だ。間違っても同士討ちなどするな!本部にある同色の旗を奪われたらその時点で負けだ!」
「作戦開始は、本日イチフタマルマル(十二)時、それまでに野営の準備を完了せよ!」
「かかれ!」
四十名の隊員は篠突く雨の中、陣地の設営に入った。
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雑木林の斜面は濡れた枯れ草で覆われていた。木の枝に捕まっていなければ滑ってしまう。
斥候隊の二人の兵は、銃を杖にして足場を確かめながらゆっくりと降りていった。
「長靴の中まででぐちょぐちょだ、斥候なんて損な役回りだぜ」
「文句を言うな、誰も見ていないんだ、敵が見つからなけりゃサボっていたってわかりゃしない。下に降りたら休憩しようぜ」
「そりゃ良い考えだ。そうと決まれば早いとこ降りちまおう」
兵は気忙しく次の一歩を踏み出した。
「うわぁ!」
その途端、木の根に足を取られて斜面を転がり落ちていく。
五メートルほど落ちたところで大きな木にぶつかってやっと止まった。
「大丈夫か!」
心配そうにもう一人の兵が訊いた。
「いててててて・・・こ、腰が・・・」
腰を押さえながら半身を起こした兵が、金縛りにあったように硬直した。
「おい、どうした?」
「あ、あれを見てみろ・・・」
指差す方を見ると、木立の切れた先にチラリと青いものが動いた。
「あれは芳賀隊の旗じゃないか!」
「間違いない、芳賀の本隊が目の前にいる!」
「本部に連絡だ!」
「俺は腰を打って動けない、お前行ってくれ!」
「一人で大丈夫か?」
「構わない、行ってくれ。目の前に敵が現れたんじゃサボるどころの話じゃない!」
「分かった、すぐに本隊をつれて戻る。それまで見つかるなよ」
「ああ、早く行け」
兵は今降りて来た斜面を這うようにして登ると、林の中に消えていった。
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真柴少尉は斥候からの報告を受けるとすぐに、本部に第三班を残し第二班と第四班を率いてこの雑木林に駆けつけ兵を配置した。
林の途切れた向こう側は、急峻な岩場が切り立っており、その岩場を背にして芳賀隊の本部が設営されている。
敵も索敵をしているのだろう、銃を持った一個小隊が所在なさげに屯していた。
「戦闘中だと言うのに、奴らやけにのんびりしてるじゃねぇか?」
木場がしゃがみながら腰を痛めた斥候兵に訊いた。
「芳賀隊の兵は元士族ばかりだ。徴兵で集められた他の隊を馬鹿にしているんだ」
「そうか、じゃあ薩長に土佐っぽだな。どうだ一泡吹かせてやろうじゃないか?」
「あんたも士族なんだろ?」
「俺は越前の人間だ、奴らにゃ戊辰の恨みがあるんだよ」
「そう・・・なのか?」斥候兵は意外な顔をした。
木場は立って真柴少尉の方に歩いて行った。
「少尉、今が攻め時だぜ」
「しかし敵は三十は居る。それに比べてこっちは二十しか居ない」
「なぁに、敵はまだこちらに気付いていない、先手を取った方が有利だ」
「後ろは岩場だ、後方撹乱は無理だ、それに正面も土塁を築いている、守りは堅固だ」
「しかし、兵達にやる気が感じられねぇ、やるなら今だぜ」木場が言った。
「う〜む」
木立の陰から敵を再度見遣ると、真柴が言った。
「よし分かった。俺が合図をしたら第三班は手筈道理に撃ちまくれ。空砲で敵の度肝を抜いてやるんだ」
「敵が撃ってきたら暫く銃撃戦を続けて注意を引き付けてくれ、その間に俺たちは側面に回り込む」木場が木剣を腰のベルトに突っ込んだ。
「斬り込み隊が突っ込んで銃撃が止んだら、剣鞘を付けたまま銃剣を装着して銃剣突撃に移る」
第三班の班長兵が言った。今朝木場とやり合った奴だ。
「頼んだぜ、おめぇ達がしくじったら斬り込み隊は全滅だ」
木場が言うと班長兵が答えた。
「百姓の底力を見せてやるよ」
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真柴は敵の状況を見定めると大きく息を吸った。
「構え筒!射撃始め!」
途端に轟音が鳴り響く。前面の岩場に反射して数倍の音になった。
敵が慌てふためくのが見えた。
焦って銃に弾を込める者、土嚢の陰に身を隠す者、訳の分からない事を喚き散らす者。
木場達巡査隊は、濡れた下草の上を匍匐前進で敵の右側へと回り込み、側面を突ける位置に身を潜めた。
漸く敵が態勢を立て直し応射を始めた。木場達の動きに気付いた者はまだ居ない。
「射撃が間遠になったら突っ込むぞ」
三十分もたった頃、漸く銃声の間隔が間伸びして来た。弾が残り少なくなった証拠だ。
「用意は良いか?」木場が木剣を腰から引き抜くと、皆目顔で頷いた。
「突撃!」
素早く身を起こして無言で駆け出した。
敵の防塁に飛び込んだ時、敵兵は何が起こったのか分からないと言った顔で木場を見た。
木場は木剣を振るって射撃中の二、三人を薙ぎ倒す。
漸く事の重大さに気付いた敵兵が銃をこちらに向けたが、この距離では銃は使えない。
巡査隊の連中が次々と雪崩れ込み敵を殲滅して行った。
あっという間に敵の三分の二を倒した時、鬨の声を上げて第二班が突撃して来た。
剣鞘を着けた銃剣で敵を突き倒して行く。
「取ったぞぉ!」
見ると本部に掲げられていた青い旗を振り上げて班長兵が叫んでいる。
敵の動きが止まった。
次の瞬間味方から大歓声が湧き起こった。
「勝った、勝ったぞ!」
勝った勝ったの大合唱が背後の岩場にこだました。
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「皆、よくやってくれた。悔しそうな芳賀の顔を見たか!」真柴が破顔して兵達を振り向いた。
勝利の後、真柴隊は意気揚々と本部に引き上げる道を辿った。
「まだ、安心するのは早ぇぜ。勝った時こそ気をつけなきゃなんねぇんだ」木場が真柴を諫める。
「なぁに、こちらは勢いに乗っているんだ。この調子で他の隊もやっつけるさ!」
真柴はライバルに勝った興奮で冷静さを欠いていた。
「若ぇな、そんな調子じゃ九州で死ぬぜ。俺の隊長ならそんなことは言わねぇ」
「お主の隊長だと?」
「ああ、新撰組三番隊組長斎藤一だ」
「・・・」
その時銃声が聞こえた。
「本部の方向です!」兵が叫んだ。
「し、しまった、本部が襲われた・・・」
真柴は動転してオロオロしている。
「少尉、命令を出せ!」
「き、木場・・・俺はどうしたら・・・」
木場の拳骨が飛んで真柴の頬が鳴った。
「てめぇで考えろ!」
「そ、そうだったな」真柴はヨロヨロと立ち上がった。
「総員全速前進!本部へ戻る!」
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敵の旗兵が黒旗を掲げていた。三島隊が全軍で攻めて来ているらしい。
留守番の第三班は黄旗を守って必死の応戦を続けていたが、銃撃戦の間合いを詰められ、敵は突撃の態勢を整えている。
真柴隊は敵の後方へと迫った。
「間に合ったようだな」
木場が真柴に言った。真柴は頷くと同時に命令を下した。
「銃撃隊前へ、座撃ち用意!」
銃撃隊が前に出て片膝をついた。
「撃て!」
最新式のスナイドル銃が一斉に火を噴いた。勿論空砲ではあるが・・・
途端に敵の銃撃隊は態勢を崩した。予想もしない方向から敵が現れたのだ、やむを得まい。
「撃ち方止め!斬り込み隊突撃!」
ワッ!と声を上げて巡査隊が突進した。
突撃の態勢を整えていた敵の斬り込み隊が反転して応戦したが、勢いを付けて斬り込んで来た巡査隊に争う術はなく、虚しく打ち倒されて行く。
「銃撃隊着剣、銃槍突撃に移れ!」
着剣した銃を構えて銃撃隊が飛び出した。
数十分後、またしても班長兵が黒旗を頭上高く掲げた。
「獲った!三島隊を仕留めたぞ!」
兵達は歓声を上げ、戦国武者よろしく勝鬨を上げ始めた。
エイエイオー! エイエイオー! エイエイオー! ・・・
敵の兵は項垂れて地べたに座り込んだまま動かない。
真柴隊は三島隊が山下隊から奪った旗も手に入れて、本日の勝者となった。
「良い采配だった」木場が真柴に言った。
「お陰で自信がついた、これで九州で働ける」
「ああ、たくさんの兵の命がかかっているんだ。よろしく頼んだぜ」
真柴が去ると、班長兵が旗を持って木場の側にやって来た。
「あんたのお陰だ」
「なんの。俺こそ徴兵の実力を軽く見ていた。謝るぜ」
「あんた名前は?」
「木場だ」
「俺は伊沢多喜男、宜しくな」西洋式に手を差し出して来た。
木場はしっかりと握り返して言った。
「おめぇ、自分は吉原の遊女と同じだと言っていたな?」
「ああ、それがどうした?」
「良い女がいる店を知っている、今度付き合え」
「俺は遊女は・・・」伊沢は木場から目を逸らした。
「同じ身の上で身につまされるってか?馬鹿言え、遊女は酸いも甘いも知り尽くしているんだ。決して投げやりに生きちゃいねぇ」
「そ、それは・・・」
「嘘だと思うなら着いて来い。『真は嘘の皮、嘘は真の骨、迷うも吉原、悟も吉原』ってね・・・待ってるぜ」
木場は伊沢の手を離すと木剣を肩に担いで離れて行った。




