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弥勒の剣(つるぎ)  作者: 真桑瓜
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最終決戦 伊藤vs.今井

最終決戦 伊藤vs.今井


「これで三度目の太刀合いだな」今井が面の中で、余裕の表情を浮かべながら言った。「最も前の二つは尋常な立ち合いとは言えないが」

「嫌だなぁ、太刀合いの八割は尋常じゃありませんよ」伊藤が答えて言った。

「そうだな、御一新前なら互いに名乗り合って斬り合うなど皆無だった」

「そうですよ、戦いは太刀合う前から既に始まっているのです。僕はあの日からずっと貴方の事だけを見てきました」

「それは光栄だな」

「だから今日は僕が勝ちますよ」

「お手柔らかに願いたいものだ」

そこで口を閉ざすと、互いに礼をして蹲踞そんきょの姿勢をとった。


「あの二人何か因縁があるのか?」弁千代が五郎に訊いた。

「なんだ知らねぇのか、あいつら一人の女学生の掌の上で転がされていたんだぜ」

「ほう・・・」

「それで伊藤が女の怖さを悟って、ここへ逃げ込んで来たんだ」

「お主が言うと身も蓋も無いな」

「要約すりゃそんなとこだよ」

「終わったら伊藤を問い詰めてみよう」

「ああ、そうするがいい、笑えるぜ」


五郎と弁千代に肴にされているとも知らず、今井は伊藤の気迫に内心舌を巻いていた。

過去二回は真剣での太刀合いだった。今日は竹刀だと侮っていた。

しかし、いま竹刀を正眼に構えている伊藤からは、その時と寸分も違わぬ気迫が漂ってくる。

『こいつにとっては、太刀合いは全て真剣勝負なのだ・・・』

伊藤の剣尖はピタリとこちらの目に貼り付いてピクリとも動かない。喉に付けられるより嫌な感じがする。『まるで抜刀寸前の居合の構えのようだ』

今井は慎重に間合いを測った。

居合なら、伊藤に動いて貰わねば話にならない。その為にはこちらから攻める必要がある。

邪魔な目の前の剣尖を払いに行けば伊藤の思う壺だろう。

『あえて乗ってやるか』

そう思った時には跳ね上げていた。案の定、伊藤の竹刀が翻る。

構わず踏み込んで面を打つ。同時に胴に衝撃が走った。

「相打ち!」吉永の声だ。

『チッ!』

慌てて構え直そうとした途端、籠手を打たれた。

「籠手あり!」

一瞬の出来事だった。


「今井さん、これで本気を出してくれますか?」伊藤を見遣ると真剣な顔で睨み返してくる。「真剣勝負に審判はいませんよ」

確かに、審判の宣告を待ってしまった。

「ふふ、俺としたことが・・・」

自嘲気味に呟いた。

「二本目を願おうか」

今井はゆっくりと開始戦に戻った。


「今井の方が真剣勝負には慣れていそうなものだが」弁千代が言った。

「こうやって竹刀で打ち合っていると、どうしても真剣味が薄れるんだよ。つい刀と比べてしまうからな」

「二本目はそうは行くまい」

「あたりめぇだ、相手は今井信郎だぜ・・・」


二本目に入ってから今井さんの動きが変わった。

余裕は影を潜めて僕の動きを見ている。もう、さっきのような事は二度と起きないだろう。

僕は正眼の竹刀を下段に下ろした。

下段からの発剣は居合の抜刀と似ている。

居合は膝を抜いて躰を一瞬宙に浮かす事で刀の重量を消し、最速の剣を腰間から飛ばす大型の手裏剣だ。

下段からの斬り上げも同じだ。落ちる体重を利用して剣を目標までねあげる。

と、今井さんが竹刀を上段まで上げた。目で合図を送って来る。

『どちらが速いか比べようぜ』そう言っている。

上段から落ちる剣と下から刎ね上がる剣。筋力勝負なら剣の重さがある分、上段が有利。しかし剣の重さを消せば条件は同じ。あとはどちらの体捌きが上まわるかだ。

『承知』目配せを返す。

一本を取るなら籠手を狙うしかない。今井さんは面を狙って来るだろう。

僅かに体重を前足に移した。

今井さんは動かない、ジッと上から見下ろして来る。気が重くのしかかって、額から汗が吹き出した。目に入ったが瞬きも出来ない。

どのくらいの時間が過ぎただろう。場内がざわつき始めた時、今井さんの気が消えた。

『来る!』

全身の力を抜いた。躰が落下を始める。それに伴って竹刀が刎ね上がっていく。

もう少し。今井さんの籠手が目の前にある。

『勝った!』と思った時、意識が飛んだ。

背中に床の感触を感じて目を開けると、吉永審判の顔が目の前にあった。


「大丈夫か?」

「は、はい、なんとか・・・」

「続けるか?」

「むろんです」

「では、立って開始戦に戻れ」

伊藤はよろよろと立ち上がり、もつれる足で開始戦に立った。

「今のは白の面一本・・・泣いても笑ってもこれが最後だ、悔いなく戦え」吉永が言った。

無言で頷く。

「よし、三本目、始め!」

開始と同時に、伊藤は竹刀を引いて腰に納めた。

「な、何をする、棄権する気か!」吉永が驚いて言った。

「いえ、さっき先生は仰いました、悔いなく戦えと」

「だから、竹刀を納めてどうする!」

「僕の得意な方法で戦います」

「得意な方法?」

「居合です」

「居合だと、これは剣術の試合だ!」

吉永は慌てた。居合で試合など前代未聞だ。

「吉永君!」

警視監の赤池が観覧席から立ち上がった。

「やらせてあげたまえ、その男の好きなように」

「し、しかし・・・」

「かまわん、これは私の命令だ」

「は、はい!」

吉永も上司の命令には逆らえない。

「警視監の仰せだ、今回に限り居合の使用を許可する」

伊藤は観覧席を向いた。

「ありがとうございます」

姿勢を正して頭を下げた。

「今井君もそれでいいな?」吉永が訊く。

今井が顎を引いて頷いた。

「では改めて試合を再開する」

「勝負・・・」右手を大きく上げると勢いよく振り下ろした。

「始め!」


伊藤は腰を落として右手を柄の上に置いた。

今井は右足を引いて八相に構えを取る。

正眼からの発剣は振り上げる時に隙が出来る。居合はそこを逃さないからだ。

居合の真髄は、最短距離を最速で、最大の運動量を保って剣を運ぶ事。

今井は摺り足で時計回りに移動を始めた。剣の到達距離を、少しでも伸ばしたい。

伊藤は柄頭を今井に向けて、躰の向きを変えた。


居合の発剣は、同じ抜き付けの動きから、縦横斜めに変化する。

『今井さんは僕の心を読んで、発剣の瞬間に動くだろう。ならば、心と躰を分離して動くしかない』


『目は心の窓。伊藤は抜き付けの瞬間、必ず狙ったところを見る。面ならば胴を、胴ならば面を、袈裟に来たら籠手を、応じ返して打てば良い』

今井は心を鎮めて伊藤が動くのを待った。


伊藤の右手が柄に掛かった。

『胴を打つ!』

伊藤は心に強く念じた。

『胴か!』

発剣と同時に今井は手元を下げた。『鍔元で受けたら面を返す!』

「なにっ!」

竹刀が真上から落ちて来た。

パーン!と脳天が鳴った。

伊藤の片手斬りが面に決まったのだ。

「面あり一本!勝負あった!」

吉永が高らかに告げた。


「ああ、やっちまった。今井の野郎、心は万能だと思ってやがる」

「心を経由させれば躰の動きは遅れる」

「それくらいの事、今井ほどの者なら気付くと思っていたが、俺のかいかぶりか?」

「それは今井が可哀想だ、伊藤の作戦勝ちを誉めるべきじゃないか?」

「そうかぁ?」

「いずれにしても今回は俺の勝ちだ」

「ふん・・・おや、お偉いさんのお帰りだ」


剣士達が全員立ち上がって首を垂れている。

その中を歩いて赤池が弁千代達の方に近づいて来る。

二人は立ち上がって敬礼をした。

「良いものを見せてもらった」

「はっ、光栄に存じます」弁千代が答える。

「実はこの度、有事に備えて東京警視庁内部に特別部隊を編成する事になった」

「九州あたりの事ですか?」五郎が訊いた。

「いや、そういう訳ではないが・・・」赤池は語尾を濁したが、二人を見据えて言った。「そこで、ここにいる全員をその部隊に編入する。そのうちに命令書が届く、心しておくように」

「ご命令とあらば喜んで」

「よろしく頼む」

そう言い置いて赤池警視監は出口へと向かった。その後を髭の小栗警視が慌てて追った。


「警視監ははっきり言わなかったが、鹿児島を見据えたものに違ぇねぇ」

「いよいよだな」

「戊辰の総決算か」

「あいつらを死なせたくねぇな」

五郎が部下達を振り返る。部下達は互いに健闘を讃えあって言葉を交わしている。

「俺たちは警察官だ、死ぬ事もある」

「まぁそうだ」

「呑みに行くか?」

「ああ・・・」


二人は静かに道場を後にした。


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