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弥勒の剣(つるぎ)  作者: 真桑瓜
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野口vs.樺山

野口vs.樺山


「チェストイケー!!」

あの時、最初に聞こえてきたのはあの声だった。

樺山の気合いを聞いて、野口は阿蘭陀大使館の前庭を思い出した。

やっと来た、という安堵の気持ちと、なぜもっと早く来なかった、と言う怒りの感情が入り混じって噴き出した。

もう少し早ければあいつは死ななくて済んだかも知れない。

詮無いこととは分かっていたが、湧き上がる気持ちはどうすることも出来なかった。

と、いきなり脳天に、もの凄い衝撃があった。

目の前が真っ暗になって、気がついたら床に大の字に転がっていた。

「面あり!」吉永の声が隣町の寺の鐘のように遠くで聞こえた。

視力が戻り顔を上げると、樺山が恐ろしい顔をしてこちらを睨みつけている。

「おはん、おいば馬鹿にしちょっとか!試合の最中になんば考えちょる!」

竹刀を床に叩きつける音がした。

よろよろと立ち上がる。首が痛かった。

「く、くそっ・・・」

野口は唇を噛みしめて開始戦に戻る。

「大丈夫か?」吉永が訊ねた。

「はい、問題ありません・・・」

吉永が頷いて二人の間に立った。

「では改めて・・・二本目」吉永が手刀を切った「始め!」

『いかんいかん、今日はあいつの弔い合戦だった』

野口は竹刀を正眼に構え直して、樺山に目を据えた。

樺山の構えは八相とも上段ともつかぬ構えだった。腋を締めてその中間に竹刀を置いている。

『これが噂に聞く示現流蜻蛉の構えか』

さっきもこの構えから打たれたのだった。

樺山の打ち込みは見えたのだ。見えたから受けようとして竹刀を上げた。

ところが、その竹刀ごと押し潰されるように、面を打たれたのである。

そう言えば戊申の役の時、薩摩軍と戦った幕府の兵が、受けた太刀ごと額を割られて即死したとか・・・

『受けを捨てるべきか?』


「野口の奴、迷っているみたいだな」弁千代が呟いた。

「受けてちゃ、やられる。元々剣術には『受ける』と言う概念は無ぇ、受けと云えば受け入れると言う意味だ」

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ・・・か」

「浮かぶほどの瀬があればな」


野口は剣尖に気を込めながら反時計回りに移動した。

少しでも樺山の竹刀から距離を取りたい。

樺山が打ち気を見せる度、素早く右へ右へと回り込む。

業を煮やして樺山が間合いを詰めれば、迷わず退がって間合いを切った。

間合いに入らなければ打たれる心配は無い。しかし入らねば勝ちも無い。

野口は樺山を焦らす作戦に出た。

間合いギリギリの所で、見せ技、誘い技を繰り返す。

焦れた樺山の打ち気が頂点に達した時、ふと剣尖から気を消した。

「キエーッ!!!」

間髪を入れず樺山の竹刀が落ちて来た。

今度は躱す事なく真っ直ぐに踏み込んだ。

樺山の柄頭が目の前に見えた時、右へと飛んだ。

同時に竹刀を横一文字に引き斬った。

樺山の躰が、くの字に折れて膝をつく。

「胴あり!一本!」

吉永の手が上がった。


「野口の奴、冷静にやりゃまともな剣を使うじゃねぇか」五郎が言った。

「まだ分からない」

「部下を信じねぇのか?」

「信じなきゃならないのは疑っている証拠だ」

「なら確信しているんだな」

「いや、まだだ」

「いってぇどっちなんだよ?」

「どちらでも無い」

「ふん、わからねぇ奴だ」


「やれば出来るやなかか、なして最初から気ば入れん?」

樺山が立ち上がりながら言った。

「余計なお世話だ!」

「そげんこつやけん、仕事で命ば落とすったい」

「それは俺の同僚のことを言っているのか、あいつを馬鹿にすると許さんぞ!」

「そげんやなか、誰でん同じ事じゃて言うちょる。おいたちゃ、いつでん命ば捨つる覚悟ばしとかなでけんとじゃ」

「そんなことは分かっている!」

「分かっとるとならなんで気ば抜いた。感傷に浸っちょる暇があったら、目の前の敵を倒すこつば考えんか!」

「俺の気持ちなんぞ、お前に分かるか!」

「そげなひだるかこつ分かる訳がなか!」

「なにをっ!」

二人は面と面が触れ合う位置まで詰め寄った。

吉永が割って入って二人を分ける。

「もう良かろう、決着は剣でつけろ!」

二人は睨み合ったまま開始戦に戻る。

吉永が一歩退いた。

「これで最後だ、勝負・・・始め!」


「この勝負、冷静さを取り戻した方の勝ちだな」五郎が言った。

「さて、どうなるか・・・」


樺山の蜻蛉とんぼ、野口の正眼は変わらない。

野口は先程とは打って変わって攻勢に出た。樺山の面と言わず胴と言わず、見境なしに突きまくる。

樺山は必死でそれを防いでいる。

野口は防がれれば防がれるほど意地になって強引な突きを繰り出し、やがて動きが単調になっていった。


「あの時と同じだ・・・」弁千代が呟いた。

「あの時っていつだ?」

「初めて野口と太刀合った日だ。野口は俺に怒って、今のように突いてきた」

「それで、おめぇはどうした?」

「見ていろ、いまに樺山がやるだろうよ」


樺山の動きが緩慢になって来た。

野口の突きを見切ったのだ。

「どぎゃんした、突きしかでけんのか?」

「うるさい、これで終わりだ!」

野口は竹刀の柄から右手を離すと、強烈な片手突きを繰り出した。

予想していたのか、樺山がそれに乗ずるように両手もろてを突き出すと、野口は喉を突かれて仰け反った。

「突きあり、勝負あった!」吉永の右手が上がる。

野口が苦しそうに喉を押さえて蹲った。

「死にたくなかったら、要らん情けは捨つる事っじゃ」

樺山はそう野口に言い捨てて剣士控えに戻って行った。


これで二勝二敗、勝負の行方は大将戦に持ち込まれた。


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