それぞれの剣
それぞれの剣
野口吉之丞の場合
面金越しに見える野口の目は、怒りに燃えていた。
勤務中は命令に背く事も無く、淡々と職務をこなしている。しかし、一度竹刀を取って太刀合えば抑えていた感情が噴き出してくる。
阿蘭陀大使館襲撃事件で、野口の親友だった巡査が死んだ。職務遂行の為にはやむを得ない犠牲だったとしても、心でそれを割り切る事は出来ない。
怒りの持って行き場は、作戦を指揮した弁千代に向くのは当然であった。
相手の動きを見ることも無く、無闇に突いては弁千代に面垂を突き返されて仰け反っている。
しかし、決して参ったとは言わない。
強引に弁千代の竹刀を上から叩き落とし、突き、また突きと攻めてくる。
竹刀を軽く合わせるようにして、往なし続けていた弁千代の剣先が下がった。
「もらった!」野口が渾身の力を込めて突きを放つ。
次の瞬間、野口の面が外れて宙を飛ぶ。同時に両足が浮いてあっという間に仰向けに倒れた。
「また、明日だ・・・」
弁千代が道場の出口に向きを変えた。
首を振りながら野口が立ち上がり面を拾い上げる。
「あっ!」
野口は面を見て驚いた。左側の面金が二本、ぐにゃりと曲がっている。
「真剣なら即死だな・・・」
野口は弁千代の背中を呆然と見送った。
湯浅倉平の場合
剣尖が迷っていた。
こちらの隙には素早く反応するのに、打ち時を外す。
頭で考えている証拠だ。
弁千代は立て続けに打突を繰り出した。
竹刀を払って籠手から面、体当たりで湯浅の躰を突き飛ばしておいて面から更に面へと追い討ちをかける。
その度に湯浅は辛うじて躱すのだが次の反撃が出来ないでいる。
弁千代はさらに容赦無く湯浅を攻め立てた。
湯浅は羽目板にぶち当たり、床に転がりながら必死で立ち上がって来る。
湯浅の息が上がり立っているのもやっとの状態になった。
目は朦朧として視線が定まらない。
『そろそろだな・・・』
弁千代は思い切り竹刀を振り上げ面を狙って打ち下ろす。
パーン!と乾いた音が道場にこだました。
湯浅の逆胴が見事に決まった。
「それで良い」
弁千代の声が聞こえたのか、湯浅は安心したように膝から崩れ落ちて、道場に転がった。
「また明日・・・」
弁千代は稽古をしていた巡査に、湯浅を医務室に運ぶように告げて道場を後にした。
町村金吾の場合
その剣は、羽のように軽かった。
と言っても良い意味では無い。
速さを重視するあまり打ちが甘い。
鞠のようにポンポンと打って来る。
これでは敵にかすり傷は負わせても、攻撃力を奪うような斬撃にはなるまい。
弁千代はわざと、町野の打ちに合わせて同じ技を繰り出した。
面には面を、籠手には籠手を、胴には胴をという具合に。
暫く続けていると、一撃毎に町野の顔が歪むのが分かった。同じ技でも重さがまるで違うからだ。
そのうちに町野の技が遅れ気味になる。
相打ちであっても効果の差が恐怖となって現れ出したからに違いない。
弁千代が一歩踏み出した。
町野の体が萎縮して固くなるのが見えた。
竹刀を尻に当たるくらい大きく振りかぶって、町野の面に打ち下ろす。
それほどの間を取っても町野はピクリとも動けなかった。
脳震盪を起こした町野は、ふらふらと二、三歩後退すると床に尻餅をついた。
まだ頭がクラクラするのだろう、目を閉じて俯いている。
「剣は当てるものでは無い、斬るものだ」
そう言って踵を返す。
「また明日な・・・」
高野源進の場合
強情な剣だった。
鉄砲の弾の如く、一度発したら途中で変化が効かない。
何が何でも一撃で相手を仕留めようとする。
弁千代はのらりくらりと躱し続けた。その間一度も高野の竹刀と打ち合わすことは無かった。
「逃げてばかりとは卑怯な!」
遂に剛を煮やして高野が怒鳴った。
「ならば」
弁千代が正眼に構えた。
「そこを動くな!」
高野が火の玉のように打ち込んで来た。
ゆらり・・・と弁千代の影が歪んだ。
弁千代は高野を腰車に乗せて、道場の羽目板に投げつける。
「う・・・むぅ・・・」
背中を打って息が詰まったのだろう、高野は目を白黒させている。
「ま、まだまだ・・・」
高野は竹刀を杖にして立ち上がると顔の右横に竹刀を立てた。
「ウオォォォォォ!」
弁千代に駆け寄ると袈裟懸けに竹刀を叩きつけて来た。
弁千代の竹刀が初めて高野の竹刀に触れた。
軽く、ほんの触れる程度に・・・
「クッ・・・」
高野がどれほど力を入れても、弁千代の竹刀は微動もしない。
「剛中柔あり、柔中剛あり」
ふっ、と弁千代の圧力が消えた。
その途端高野の躰は宙に浮いて、意識が闇の中に落ちた。
背中を強打して床に大の字に寝転がった高野を見下す。
「また明日やろう・・・」
伊藤舞介の場合
「今日を楽しみにして来ました」
伊藤は本当に嬉しそうな顔をした。
「君は居合が得意だったな、剣術で大丈夫か?」
「嫌だなぁ、居合にだって二の太刀はありますよ」
「ふふ、君は本当によく似ている・・・」
「誰にですか?」
「沖田総司に」
「沖田って新撰組の?」
「奴は軽口を叩きながら人を斬る事が出来た」
「僕にはできませんよ、そんな事」
「どうだかな」
「やってみれば分かります」
「そうだな・・・では始めるか」
「お願いします!」
伊藤の正眼は他の者の正眼とは大きく趣が変わっていた。
他の者の正眼は構えだが、伊藤のそれは初太刀を斬り終えた姿だった。
その姿から瞬時に二の太刀でも三の太刀でも発する事が出来るという訳だ。
理屈では分かっていても、実際にそれが出来る居合使いは少ない。
「なるほどな・・・」
弁千代は竹刀から左手を離し右手一本で伊藤の喉元に剣尖をつけた。
「ずるいなぁ、あなたも居合ですか」
それには答えず、右足を踏み出した
伊藤は正眼の姿勢を少しも崩す事なく、上体を前に倒すようにして脛を斬ってきた。
弁千代の竹刀が下がった途端、伊藤の竹刀が翻って真上から落ちる。
瞬時に浮身をかけ左右の体を入れ替えると、弁千代はその体捌きだけで竹刀を伊藤の首筋に運んだ。
「速いなぁ、とても敵わないや」
「だが、二度と同じ手は通用すまい」
「明日は負けませんよ」
「楽しみにしている」
弁千代は軽く右手を上げて出口に向かった。




