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弥勒の剣(つるぎ)  作者: 真桑瓜
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弔い酒

弔い酒


「大使館員に一人の怪我人も出なかったのは奇跡だな」

「こんな事を言うと不謹慎のそしりは免れぬが、賊の攻撃目標が国力の衰えている阿蘭陀であったのも不幸中の幸いだったとも言える」

「ああ、これが英・米・仏・露・独、何れであってもただでは済まなかったであろうな」

「今やどの国も、銀や銅に埋もれた日本との交易権を独占したくて堪らぬのだ。諸国列強の力が拮抗している今、世界の覇権を握るのは日本を手に入れる事だと世界が気づいたのだから」

「これからは政府も補償交渉やなんやらで大変だろうな」

「こっちだって多大な犠牲を払ったんだ、頑張ってもらわな」

「しかし、奴ら天狗党の生き残りとか言ってたが本当だろうか?」

「一応水戸を出て各地で転戦し、最後に慶喜公に討伐された連中を天狗党と呼んでいるらしいが・・・」

「水戸出身の慶喜公も、内心さぞ忸怩じくじたる思いであったろうな」

「後世天狗党の名が高まるにつれ、我こそは天狗党だと名乗る輩も大勢いるが、天狗党と言っても幾つもの派閥に分かれていがみ合っていたそうだ」

「水戸の外にも天狗党と名乗る輩は大勢いたらしいぞ」

「一本松学舎に集まった奴らは思想を持った集団と言うよりも、食い詰めて雨山を頼った烏合の衆だったに違いない」

「そう言った奴らを飼い慣らしておいて、雨山は利用したんだ」

「剛田組の剛田もそんな天狗党の一人だった。世渡りの為に仕方なくヤクザに身を持ち崩していたのであろう」

「しかしだな・・・」

「おい、事件の分析はそれくらいにしておけ、今夜は死んだ奴らのとむらい酒なのだぞ」

弁千代が盃を置いて部下の言葉を遮った。

「分かっています・・・」

「しかし、遊撃隊の連中がもう少し早く来ていたら・・・」

「よせ、全ては結果論でしか無い。もし遊撃隊が先に到着していたら、人数に劣る彼らは全滅していたかも知れないのだ」

「だからと言って、俺たちの仲間が死んで良い訳じゃない」

「それに藤田部長は自己中心的行動が多過ぎる」

「いくら新撰組の斎藤一だって、やって良い事と悪い事がある」

弁千代は巡査を見据えて言った。

「奴は戦いにおいては天才的な資質の持ち主だ、いつも全てを見越して行動している」

「しかし、現場で指示を出している所を見た事がありません」

「現場で指示をしていては遅いのだ、藤田は部下の性格を知り抜いて現場では部下を心から信頼して動いている。俺にはあの真似は出来ん」

「私たちが信頼できないと言うのですか!」

「そうじゃない。俺はまだ君たちのことを何も知らない。俺に君たちの事を教えてくれ」

部下達は互いに顔を見合わせた。と、一人が立ち上がった。

「分かりました・・・私は野口吉之丞、出身は・・・」

「いや、姓名出身は書類を見れば分かる。俺の言っているのは“君“を知りたいという事だ」

「仰っていることの意味が分かりません?」

「僕はなんとなく分かるような気がするな」

「伊藤、どう分かるのだ?説明しろ」

「つまり僕達の本質というか魂というか・・・」

「そんなものどうやって知るというのだ、我々にだって説明などできんぞ」

「稽古をすれば分かる」弁千代が言った。

「稽古?」

「私は赴任して日が浅い故、まだ君たちと剣を交えてはいない。もし良ければ、これから時間の許す限り道場に顔を出せ。私も極力道場に詰めるとしよう」

「稽古はやぶさかではありませんが、それでどうやって我々の本質を知れたと証明できるのですか?」

「今度の署内剣道大会。遊撃課に勝ってみせる」

「そりゃ無茶だ、遊撃課には手練れが揃っている」

「我々の腕では、一勝上げられれば良い方です」

「私は勝ちますよ・・・今井さんに」

「それこそ無理だ。今井は遊撃課では藤田部長に次ぐ腕前だぞ」

「そんな事やってみなくちゃ分からないじゃないですか。勝負は強いから勝つのではないのです、勝った方が強いのですよ」

「おまんは屁理屈こきじゃの、俺たちの頭じゃ理解出来んぜよ」

巡査の一人が剽軽ひょうきんな土佐弁で言ったので、座の雰囲気が和らいだ。

「理屈は証明しないから屁理屈のままで終わるんです。理屈を捏ねた以上は証明して見せますよ」

「新入りにそこまで言われちゃ、俺たちもやらずばなるめぇ!」

「いっちょやってやるか!」

「そうだな、死んだ奴らの弔い合戦と思えばいい」

「分かった、やろう!」

「やりましょう!」

「そうと決まれば、今夜は前祝いだ。死んだ奴らにゃ気の毒だが、奴らの分も呑んでやるか!」

「存分に呑め、今夜は俺が奢る」

「よし、献杯けんぱいだ!」


弁千代は、今夜初めて部下達と心が通じた気がした。


*******


「福沢、お主のお陰で大事に至らずに済んだ」

秋月彪軒が福沢に酌をしながら言った。

「結構大変な事にはなったがな」

「雨山も可哀想な奴だ。頼りにしていた慶喜公が追討軍を率いていると知ると、もはやこれまでと降伏したものの、同志の多くが斬首に処され水戸に残った家族までもが処刑された。尊王攘夷の旗頭でありながら、結局は朝廷にも見捨てられて天狗党は壊滅した。その怨みにずっと縛られたままだったのだ」

「今更天狗党の行状をどうこう言っても詮無い事だが、農民や町民に対する略奪殺戮は度を越していた。彪軒、お前たちの漢学はそのような事の為にあるのではあるまい」

「もとより漢学は森羅万象の全てに通じる学問であり、自らの生き方を考察するためのものだ」

「私は洋学者だから、全てのものを細かく切り分けその一つ一つを徹底的に考察すると言う立場を取る」

「『はじめに言葉ありき』とは耶蘇教の教祖の言葉だったか。言葉は物事を分断する、だから腑分けという発想も生まれる。しかし、日本には『不立文字』『教外別伝』という思想が根付いているのだ。言葉にならないところに真実は隠されている」

「ならば、お主はその道を貫け。私は私の道を行く」

福沢は姿勢をあらためて低く口ずさんだ。

「瀬をはやみ、岩にせかるる滝川の・・・」

「われても末に、逢わむとぞ思う・・・崇徳院の歌だな」

彪軒が下句を返す。

「滝川の瀬は急流ゆえ、岩に当たって激しく二つに分かれてしまう。しかし流れは再び出会い一つになろうと願う。漢学と洋学はそういうものではないのか?」

「やっと怨みから解放された雨山に・・・」

「献杯・・・」


*******


「ノブオのボスは名を二つ持っているのか?」

「斎藤一があの人の誠の名だ」

「強いのか?」

「ああ」

「ノブオより?」

「あの人には誰も敵わぬよ、巡邏課の無門巡査部長以外はな」

「あの時真っ先に斬り込んだという人か?」

「そうだ」

「どちらでも良い、是非太刀合ってみたい!」

「今度の件が片付いたら頼んでやるよ」

「本当か?」

「武士に二言は無い」

「あの時もそう言った」

「悪い、知らせる暇が無かった」

「いいよ、お陰で仇討ち出来たから」

ヨーハンは悪戯っぽく笑って、ワイングラスを揚げた。

「神に召された魂に敬意を表して・・・」

「献杯」


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