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弥勒の剣(つるぎ)  作者: 真桑瓜
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雨山無惨

雨山無惨


「藤田さん襲撃目標が特定できた、阿蘭陀大使館だ。木場が奴に吐かせた!」

今井が駆け込んで来た。

あれからしばらくして戻ってきた木場は、容疑者を面通しして、逃した男に違いないと断定した。それからあの時の腹いせとばかりに凄絶な尋問?を始めたのである。

「容疑者の名は田丸結城たまるゆうき二十六歳、ヤクザの剛田組の組員です。組長の剛田は日頃から一本松学舎の塾長、内藤雨山とは懇意にしているらしい」

「よし、これで繋がった」弁千代が言った。

「早かったじゃねぇか、奥の手でも使ったか?」

五郎が訊くと今井が嫌な顔をした。

「さあ、木場に聞いてください・・・」

「居留地に入るには門が二つある。藤田、お前はどっちから行く?」弁千代が訊いた。

「そうだな、俺は南門だ」

「では俺は北門から行く」

「私も行くぞ!」福沢が言った。

「あんたは一般人だ、ここで大人しくしてろ」

「漢学者を怒らせたのは私だ、責任の一端は私にある!」

福沢はどうしても行くと言い張った。

「分かった、あんたは俺と一緒に来な。だが、決して手を出すんじゃねぇぞ」

「承知した」

「今井、どうやらヨーハンとかいう奴に知らせるのは間に合わねぇようだな」

「仕方ありません。しかし大使館が襲われたとあれば、真っ先に飛んで来るはずです。ヨーハンはそういう男だ」

「随分信頼しているじゃねぇか?」

「剣を合わせれば分かりますよ、藤田さんと無門さんのように」

「そうだな」五郎が照れたように笑った。「今井・・・」

「なんです?」

「制服を一着持って行け、帽子と上着だけでいい」

「はい・・・でも何故?」

「外国人に日本人を斬らしちゃなるめぇ」

「はっ?」今井が怪訝な顔をした。

「いいから持って行け」

「はい・・・」

五郎が立ち上がった。

「よし、出撃だ!」


*******


風が強くなってきた。

龕灯がんどうの灯りを庇いながら周囲を見渡す。

「遅かったか!」弁千代が呻いた。

北木戸の門番が二人、血を流して倒れている。

警邏隊の十人は坂を駆け下り、堀の荷上げ場に掛かる太鼓橋を渡って築地ホテル館の前に出た。

真夜中の事とて通りに人影は無い。漆黒の闇の中を龕灯の灯りだけを頼りに走った。

小田原町を駆け抜け、南本郷町の長い板塀の前を通り過ぎた時、陶器の割れる甲高い音と共に、前方の空がにわかに明るくなった。

「急げ!」

次の角を曲がれば阿蘭陀大使館は目と鼻の先だ。

どこかで半鐘が打ち鳴らされて、家の中から人々が飛び出して来た。

「どけどけ、どいてくれ!」叫びながら走った。

堀に突き当たって右に折れる。

ときの声を上げて、三十人ほどの襲撃者が火のついた邸内に雪崩れ込もうとしていた。

「大使と家族を守れ!抵抗する者は斬っても構わん!」

弁千代は部下にそう命じながら、真っ先に襲徒の群れに突っ込んだ。

ギョッとして振り向いた浪人を真っ向から斬り下げた。

絶叫が上がる。

「警察だ、神妙にしろ!」

突然の警察の出現に一瞬襲撃者達がたじろいだ。

「馬鹿者!たかが巡査に怯むんじゃない!我ら天狗党は天に代わって夷狄に天誅を加えるのだ!」

首領らしき男の一言で襲徒は態勢を立て直し、巡邏隊と激しい斬り合いとなった。


*******


「チッ!もう始まってやがる!」

天を焦がす炎を見ながら五郎が舌打ちをした。

福沢は息を切らしながらも良くついて来ている。

「刀は抜刀して肩に担げ、全力で走るぞ!」

「応!」

居留地の外国人居住区の前にかかると、背の高い男がいきなり飛び出して来た。

龕灯の灯りを向けると両肘を曲げて目を覆う。

「ヨーハン!」

今井が叫んだ。

「ノブオか!」

「そうだ!」

「大使館の方に火の手が見えた、何があった?」

ヨーハンが目を細めて訊いてきた。

「阿蘭陀大使館が襲撃されている、一緒に来い!」

「なに!」

「今井、こいつがヨーハンか?」五郎が訊いた。

「そうです」

「とっとと制服を着せろ!」

「は?」

「仇討ちがしたいんだろ?」

「あ、そう言う事か!」今井がハタと手を打った。

「どうしたノブオ?」

「説明は後だ、とにかくこれを着ろ!」

今井は持ってきた帽子と上着をヨーハンに渡した。

「それを着ていれば存分に剣を振るえる!」

まだ納得の行かないヨーハンに無理やり制服を着せて、遊撃隊は再び走り出した。

「学者に異国人、うちの隊は寄せ集めか・・・」五郎が皮肉な笑いを浮かべた。


*******


折りからの強風に煽られて、火の勢いはますます強くなった。

建物の二階の窓からは、助けを求めて異国人の男女が身を乗り出して叫んでいる。

避難させなければならないが、救助に割く人数は無い。

「伊藤!ここは俺が食い止める、中の人間を救出しろ!」

玄関の前で敵を斬り倒しながら弁千代が叫んだ。

「はっ!」

伊藤は斬り結んでいた敵を蹴り倒し瞬時に身を翻すと、西洋障子(ガラス窓)を破って邸の中に飛び込んだ。


中は煙が充満していて息苦しい。制服の袖で鼻を覆い、身を低くして階段を探す。

廊下の突き当たりに階段が見えた。人声は二階から聞こえてくる、迷わず駆け上がった。

二階も煙で先が見え辛い。人の声を頼りに進む。

大きなドアに、体当たりをするように飛び込んだ。広い部屋に二十人ほどの人間が集まっていた。窓を開け放してあるので比較的息がし易い。

皆が一斉に恐怖の目をこちらに向けた。下で日本人どうしが斬り合っているのだ、当然だろう。

赤や黒の皮膚を持った人間は使用人なのだろう。部屋の隅に固まって座っている。

「私はヤパンのポリスだ、安心しろ!」

通じたかどうかは分からないが、ポリスくらいは分かる筈だ。

「誰か日本語の分かる者はいるか?」

異人達を見回して訊いた。

「私は阿蘭陀の大使だ」

恰幅の良い大男が進み出た。

「裏口はどっちですか?」

「廊下に出て右に行くと、厨房に通じる階段がある。そこを降りると正面に使用人専用の出入り口がある」

さっき伊藤が登ってきた階段とは逆の方向だ。

「ついて来るようにと、皆に伝えてください!」

大使が蘭語で何事か言うと、座っていた者は立ち上がり、立っていた者は寄って来た。

先に立って歩き出すと、皆ゾロゾロとついてくる。

「着衣の袖で鼻を覆うように言ってください!」

ドアを開けて廊下の様子を窺った。

ガラスの割れる音がした。

「伊藤、敵がそっちへ行った!」

遠くから無門の声が聞こえた。

「裏口へ!」

大使に言って、自身は階段の踊りままで戻ると、伊藤は刀を鞘に納めて膝を折った。

煙はさっきより酷くなって辛うじて床が見える程度だ。

慎重に階段を登ってくる足音に神経を集中した。

敵の右足が踊り場の床を踏んだ瞬間、伊藤は床を蹴って横一文字に抜刀した。

右足を失った敵が、絶叫を残して階段を転がり落ちて行く。

伊藤は身を返すと、大使の後を追った。


*******


弁千代は必死で応戦した。

しかし、敵の数が多過ぎる。食い止めきれず、敵の邸への侵入を許している。

「斎藤、早く来い!」

思わず口に出していた。

「チェスト行けー!!!」

その時、示現流独特の気合いが門の方角で響いた。

「やっと来たか!」弁千代は胸の中で息を吐いた。

「無門、待たせたな!」

五郎の声だ。

「敵が裏に回った、大使が危ない!」

「よし、任せろ!」

「今井!ヨーハンを連れて俺について来い!」

「はい!」


*******


先頭の大使が一階に降りた時、裏口の扉が蹴り破られた。

「天誅!」浪人が血のついた抜き身を振り上げる。

パン!と大きな音がした。

浪人は刀を振り上げたまま、ゆっくりと後方へ倒れていった。

大使の手には単発式のデリンジャーが握られていた。

追いついた伊藤が駆け寄って来た。

「よかった」

「いつも護身用に身につけている」大使が言った。

伊藤は無言で頷くと、戸口に寄った。

人の気配はするが、銃を警戒しているのか入って来ようとはしない。

伊藤が飛び出そうとした時、絶叫が上がった。

剣を撃ち合う音と人の叫び声がして、すぐに静かになった。

「伊藤もう大丈夫だ、出て来ていいぞ!」

「藤田さん!」

伊藤が飛び出すと、異人達も煙に追われるようにして飛び出して来た。

「大使!」ヨーハンが帽子を脱いで顔を見せた。

「ドクタ・ヨーハン、よくきてくれた!」

「ご無事で何よりです」

「今井、大使を安全な所へお連れしろ」

「え、私ですか?」

「ヨーハンには、まだ大仕事が残っている」

「は、はい!」

「よし、ヨーハン、前庭に戻るぞ!」

「ヤー、隊長!」


*******


福沢は初めて人を斬った事を後悔していた。

反射的に、斬りかかってきたヤクザ者の腕を斬り落としたのだが、ズンと重い感触が腕に残って喉に吐き気が込み上げて来る。

「人を斬るとはこういう事だったのか・・・」

「福沢さんよ」

耳元で五郎の声がした。

「だから署で待ってろって言っただろう」

「しかし・・・」

「お前さんのように“形“稽古で身につけた技は、本人の意に反して勝手に出てくるもんだ。ここにいちゃまた同じ目に遭うぞ。戦線を離脱して外で待ってな」

「い、いや・・・私はここにいる。私には見届ける義務がある!」

「チェッ、頑固なお人だ・・・」


藤田の参戦で一気に形勢が逆転した戦いは、劣勢に追い込まれた襲撃者達が前庭の中央へ追い詰められ、ジリジリと包囲の輪を縮められている。

五人ほどの仲間に守られた雨山がその中心にいた。

大声で喚き続けていた雨山が、福沢を見咎めると挑むような目つきで目を合わせてきた。

「福沢、貴様どこまで我らの邪魔をする、この洋学かぶれめ!」

輪の中から雨山が吠えた。

「内藤、お前こそ漢学に名を借りて私怨を晴らそうとしているではないか!」

「うるさい、今のような西洋の思想に毒された世界を作るために、我ら天狗党の同志は命を落としたのではない!」

「語るに落ちたか、今の言葉が私怨を物語っている」

「私怨ではない、武田耕雲斎様の高邁な志を貫こうとしているだけだ」

「同じこと、お前達の過激な思想がゆっくりと生まれ変わろうとしていたこの国を、動乱の渦に巻き込んだ事を忘れたか?」

「詭弁を弄すな、貴様の説など聞く耳持たん!」

「目を覚ませ、観念して大人しく縛につくのだ。無駄に命を落としてはならん!」

「ふん、事ここに至っては我ら玉砕するのみ!」

雨山が血走った目で福沢を睨みつけた。

「福沢さんよ、もう良いじゃねぇか。奴らの思うようにさせてやろうや」

「お主、彼らを殺すつもりか!」

「今の日本に生きているだけ、奴らは苦しむだけだ」

「な、何を言う・・・」

五郎は福沢を無視して声を上げた。

「さあ、死にたくねぇ奴は刀を捨てろ!でなきゃ皆殺しだ!元新撰組三番隊組長、斎藤一はそんなに甘くはねぇぞ!」

雨山を囲む五人の気がしぼむのが分かった。五人はその場に刀を置いて投降した。

「雨山、もう終わりだ、お前も投降しろ!」福沢はもう一度説得を試みた。

「ワハハハハハハ!」雨山の高笑いが前庭に響く。

次の瞬間、雨山は刀を八相に構えると叫びながら駆け出した。

「天誅!!!」

「ヨーハン!」五郎が叫ぶ。

「ヤー!!!」

飛び出したヨーハンの剣が雨山の躰を背中まで貫いた。

ヨーハンが剣を引き抜くと、雨山はドウと倒れた。

五郎が雨山の顔を覗き込んだ。

「笑ってやがる・・・」

「狂っていたのか」福沢が言った。

「危ない!」誰かが叫んだ。

「引け!堀端まで退避!」

全員が慌てて門を駆け出ると、二階建ての洋館が音を立てて崩れ落ちた。

熱風が髪を焦がす。

雨山の躰は炎に包まれていた。

手が最後の足掻きのように持ち上がって落ちるのが見えた。



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